〜雷峰のフェンリルと、新たなる旅の目的〜
前回からの続きになります。フクから衝撃の事実が語られます。
シオンの声が、すっと冷静なトーンに切り替わった。
戦闘中のナビゲーションモードに近い、研ぎ澄まされた声。
「あなたの体から感じる理の構造——ただの太陽の神獣にしては、格が高すぎるのよ。炎の権能の奥に、雷の残滓がある。それも、とびきり濃い原種の」
「えっと……それってなんスか?」
「単刀直入に聞くわ。——あなたの母親は、フェンリルね?」
フクが、ぴたりと動きを止めた。
「——お母さんのこと、知ってるんスか?」
「知っているかと聞かれたら、『知識としては知っている』わ。フェンリル——雷と嵐を司る太古の神獣。大陸に数体しか確認されていない、天災クラスの高位存在。あなたの体に残っている雷の痕跡は、間違いなくその血筋よ」
フクが僕の腕の中でもぞもぞと身を捩って、小さく鼻を鳴らした。
「……うん。おいらのお母さん、フェンリルっス」
「やっぱり」
「すごく大きくて、すごくかっこよくて——雷がバリバリってなると、お母さんの毛がぶわって逆立って、すっごくキラキラするんスよ!」
フクの声が、お母さんの話をする時だけ一段と明るくなる。
「でもおいらはお母さんとちょっと違くて、雷よりも炎の方が得意なんス。お母さんが言ってたっス——おいらは『太陽を食べて生まれた仔』だから、特別なんだって」
「太陽を食べて——」
シオンが小さく息を呑んだ。
「……フェンリルの変異種。太陽属性の——世界で唯一の個体ということ?」
「よく分かんないっスけど、お母さんがそう言ってたからそうなんスよ、きっと!」
僕は、フクの頭を撫でながら、ある記憶を手繰り寄せていた。
フェンリル。
雷の神獣。
——あの日のことを、思い出す。
「……シオン。僕、昔フェンリルに会ったことがあります」
「何ですって?」
「ルークたちと旅をしていた頃です。北の山脈地帯を越えた時に——雷峰と呼ばれていた山の頂で、一頭の巨大なフェンリルに遭遇しました。ルークが聖剣を抜こうとして、僕がそれを止めたんです」
「止めた?」
「あの子は——あのフェンリルは、怒っていたんじゃなくて、泣いていたんです。理の糸が、嘆きの形に歪んでいた。だから僕は剣じゃなくて、手を伸ばした。糸をほどいて、泣き止むまで一緒にいました」
フクが僕の腕の中で、じっと僕の声を聞いている。
「あの時のフェンリルに——仔はいませんでした。一頭きりの、孤独な神獣でした」
「……じゃあ」
シオンの声が、静かに繋げた。
「あなたたちが別れた後に、あのフェンリルが子を産んだ——それがフク」
「おいらのお母さんに会ったことがあるんスか!?」
フクが顔を上げて、尻尾をものすごい勢いで振り始めた。
「ノア、おいらのお母さんに!? すごいっス! お母さん、どうだったっス!? 元気だったっス!?」
「うん。……あの時は、元気でしたよ。気が強くて、とても美しいフェンリルでした」
僕は微笑んだ。
でも——同時に、胸の奥がちくりと痛む。
あのフェンリルが、お母さんになっていた。
あの孤独な神獣が、仔を産んで、愛して——。
「フク。君がお母さんとはぐれたのは、いつ頃のことですか?」
「……えっと」
フクの声が、少しだけ小さくなった。
「おいらが生まれて、しばらくしてからっス。お母さんと一緒にいた時に、変な人間たちが来たんスよ。おいらを捕まえようとして——お母さんが戦ってくれたけど、おいら、逃げてる途中で罠にかかっちゃって」
フクの体が震えている。
怖い記憶を思い出しているのだ。
「捕まって、冷たいところに閉じ込められたっス。ずっとずっと暗くて——お母さんの声も聞こえなくなって——」
「もういい。無理に思い出さなくていいよ」
僕はフクの頭をそっと撫でた。
小さな耳が、僕の手のひらの下でぺたんと伏せる。
「……ノア」
シオンの声が、低くなった。
「今の話——仔を奪われたフェンリルがどうなるか、分かる?」
「……はい」
分かる。
あの時のフェンリルですら、孤独だけであそこまで嘆いていた。
唯一の仔を人間に奪われたら——。
「発狂するわ。怒りと絶望で理の制御を失って、周囲の環境を巻き込んで暴走する。それはもう『天災級の特異点』と何ら変わりない」
背筋に、冷たいものが走った。
「シオン。あのフェンリルがいた場所——雷峰のあたりに、特異点の報告って来ていますか?」
「……ちょっと待って」
シオンが何かを探るように長く沈黙した。
「——あるわ。一年前から、雷峰一帯が巨大な嵐に覆われて近づけなくなっているという報告。天災級の特異点として各国に通達されているけれど、あまりに危険すぎて調査隊すら送れていない」
「……やっぱり」
僕は仔狼を腕の中に抱いたまま、静かに目を閉じた。
フクのお母さんは、仔を失った悲しみで壊れかけている。
あの嵐の中で、たった一頭で、泣き叫んでいる。
——一年前の、あの日のように。
「フク」
「……な、なんスか」
「お母さんのところへ、行こう」
フクが、ぴくりと跳ねた。
「おいら——お母さんに会えるんスか?」
「会えます。僕が連れていく。君が元気でいるって、直接教えてあげよう」
「で、でも——お母さんのいる場所、すっごく遠いっス。おいら、まだちっちゃいし、そんな遠くまで——」
「大丈夫。一緒に旅をしましょう。シオンもいますし、急ぐ必要はないですから」
シオンが僕の肩の上で、小さく溜息をついた。
「……また厄介ごとを拾ったわね」
「すみません」
「謝らなくていいわよ。どうせ止めても行くんでしょう」
「はい」
「——はぁ。知ってたわ」
シオンの尻尾が、僕の首筋にぴしゃりと当たった。
でもすぐに、そっと巻きつく。
「お母さんのとこ——」
フクの声が、震えている。
嬉しさと不安が混ざった、小さな声。
「お母さんのとこに……行けるんスか。ほんとに?」
「本当に」
「……ワフッ」
フクが鼻を僕の胸に押しつけて、くぅん、と甘い声を出した。
尻尾がぱたぱた揺れている。
「ありがとう、ノア。おいら——おいら、頑張るっス。強くなるっス。お母さんに会えるまで、ノアと姉さんを絶対守るっス!」
「守ってくれるんだ」
「当然ッス! おいら、シオン姉さんの一番の子分で、ノアの——えっと——ノアの、一番の友達ッス!」
僕は、少し泣きそうになった。
この子は——氷の中で一年も寒い思いをして、お母さんからも引き離されて。
それなのに、僕を「友達」と呼んでくれた。
「……うん。友達だね、フク」
---
「ちょっと。いつまでいちゃいちゃしてるの」
シオンの声に棘が生えた。
「そろそろ降りましょう。村の人たちも、時計が動いたことに気づいてるわ」
「そうですね。——あ、でもその前に」
僕はフクを見下ろした。
「フク。一つお願いがあるんだけど」
「なんスか! なんでも言うっス!」
「……村の中では、喋らないでもらえると助かります。人間に話す仔狼がいたら、大騒ぎになるので」
「えっ……おいら、せっかく喋れるようになったのに?」
「村を出るまでの間だけ。ね?」
「うぅ……分かったっス。おいら、がまんするっス」
フクがしおしおと耳を伏せた。
シオンの尻尾がふわりと揺れて——その先端が、フクの鼻先をちょんと撫でた。
「——! 姉さん! 今の! 尻尾触っていいっスか!?」
「触らないで」
「えー!?」
「触ったら噛むわよ」
「う、うっス……」
僕は立ち上がって、二匹を——左肩に黒猫を、右足にまとわりつく仔狼を引き連れて、塔の階段を降り始めた。
フクのお母さんは、ルークとの旅のさなかに出会ったフェンリル。
次なる明確な旅の目的地が決まり、いよいよ村を出立します!




