三日間そばにいてくれた人。——甘くて酸っぱい、林檎飴と一時の休息
熱を使い果たして倒れたノア。三日間、ご飯も食べずに看病してくれたのは——。
三日目の朝、ようやく指先の感覚が戻ってきた。
布団の中で、右手をゆっくり握って、開く。握って、開く。
ちゃんと五本とも動く。爪の先まで、じんわりと温かい。
「……よかった」
小さく呟いた。
アブソリュートゼロの代償は、想像以上に重かった。
あの日、シオンに支えられて森を出た僕は、最寄りの町にたどり着いた直後にそのまま倒れたらしい。
「らしい」というのは、自分では覚えていないからだ。シオンが宿を取って、僕をベッドに運んで、三日間ずっと看ていてくれたのだと、宿のおかみさんが教えてくれた。
「あの綺麗なお嬢さん、ずっとあんたの傍にいたよ。ご飯も碌に食べないで。——いい人じゃないか、大事にしなよ」
おかみさんにそう言われて、僕はちょっとだけ泣きそうになった。
宿の窓を開けると、パン屋の匂いがした。
焼きたての小麦の匂い。バターが溶ける甘い匂い。それから、道端で誰かが焼いている芋の、ほくほくした湯気の匂い。
「シオン、いい匂いがしますねぇ」
「……起きたの。まだ寝てなさい」
シオンの声が、部屋の隅から聞こえた。窓際の椅子に座って、たぶん何かを縫っている。ちくちくという小さな針の音が、かすかに聞こえた。
「僕のローブ、直してくれてるんですか?」
「ボロボロだったから。水竜に裂かれた分と、私が包帯にした分と。……もう原型がないわよ」
「あはは。すみません」
「謝るくらいなら、最初からもっと丁寧に扱いなさい。自分の身体も、服も」
シオンの声は怒っているようで、でも針を動かす音はとても穏やかで。
この音を聞いていると、世界が少し狭くなる。
宿の小さな部屋。窓からの風。針の音。パンの匂い。
それだけで満たされてしまう、贅沢な狭さだった。
四日目。
シオンがようやく外出を許可してくれた。
「いいわよ。でも走らない。転ばない。糸にも触らない。約束できる?」
「約束します!」
「……この前も同じこと言って、次の日には特異点に突っ込んでいったわよね」
「あ、あれは、その、偶然が重なって……」
「偶然ね。じゃあ今日は偶然が起きないように、私が隣にいるから」
シオンが僕の腕を掴んだ。いつもの場所。いつもの強さ。
外に出ると、秋の空気が頬を撫でた。
この町は中央部の街道沿いにある小さな宿場町で、市場の喧騒と子供の笑い声と、鍛冶屋の槌の音が混ざり合っている。
足裏に石畳の感触。一つ一つ違う形の石が、靴底を通して足の裏をくすぐる。
「あ、シオン。右の方から甘い匂いがします」
「……林檎飴の屋台ね。行きたいの?」
「行きたいです!」
「はいはい」
呆れた声。でも、腕を引く方向はちゃんと右だった。
林檎飴を買って、二人で食べた。
シオンのは小さいやつ。僕のは大きいやつ。シオンが「あんたは怪我人なんだから小さい方にしなさい」と言ったけど、屋台のおじさんが「お嬢さんの分もサービスだよ」と笑って大きいのをくれた。
かり、と齧ると、飴の殻がぱりんと割れて、中から酸っぱい林檎の果汁があふれた。
「おいしい」
「……ええ。まぁ、悪くないわね」
シオンの声が、ほんの少しだけ柔らかかった。
五日目の夜。
宿の屋上で、風に当たっていた。
見えないけれど、空には星がたくさん出ていると思う。空気がきらきらしている——というのは、たぶん気のせいだけれど、肌で感じる空気の澄み方が、晴れた夜のそれだった。
「シオン」
「何」
「明日には出発できそうです」
「…………」
「もう指先もちゃんと動くし、膝の傷もかさぶたになりましたし。ほら」
右手を五回握って開いてみせた。
「……もう一日くらい、休んでもいいんじゃない?」
「え?」
「別に。この町のパン屋、朝は焼きたてのクロワッサンが出るらしいから。それを食べてからでも遅くないでしょう」
「……シオン」
「何よ」
「優しいですね」
「うるさい。寝なさい」
シオンがぷいっとそっぽを向く気配がした。
星空の風が、僕の——まだ少しだけ冷たい指先を、ゆっくりと温めてくれていた。
かり、と林檎飴を齧る日常。次回、視点が一転。勇者たちは「四人分」の料理を作ってしまいます。




