表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第1章 蒼滝の逆樹海

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/58

三日間そばにいてくれた人。——甘くて酸っぱい、林檎飴と一時の休息

熱を使い果たして倒れたノア。三日間、ご飯も食べずに看病してくれたのは——。

  三日目の朝、ようやく指先の感覚が戻ってきた。


 布団の中で、右手をゆっくり握って、開く。握って、開く。


 ちゃんと五本とも動く。爪の先まで、じんわりと温かい。


「……よかった」


 小さく呟いた。


 アブソリュートゼロの代償は、想像以上に重かった。


 あの日、シオンに支えられて森を出た僕は、最寄りの町にたどり着いた直後にそのまま倒れたらしい。


「らしい」というのは、自分では覚えていないからだ。シオンが宿を取って、僕をベッドに運んで、三日間ずっと看ていてくれたのだと、宿のおかみさんが教えてくれた。


「あの綺麗なお嬢さん、ずっとあんたの傍にいたよ。ご飯も碌に食べないで。——いい人じゃないか、大事にしなよ」


 おかみさんにそう言われて、僕はちょっとだけ泣きそうになった。


 宿の窓を開けると、パン屋の匂いがした。


 焼きたての小麦の匂い。バターが溶ける甘い匂い。それから、道端で誰かが焼いている芋の、ほくほくした湯気の匂い。


「シオン、いい匂いがしますねぇ」


「……起きたの。まだ寝てなさい」


 シオンの声が、部屋の隅から聞こえた。窓際の椅子に座って、たぶん何かを縫っている。ちくちくという小さな針の音が、かすかに聞こえた。


「僕のローブ、直してくれてるんですか?」


「ボロボロだったから。水竜に裂かれた分と、私が包帯にした分と。……もう原型がないわよ」


「あはは。すみません」


「謝るくらいなら、最初からもっと丁寧に扱いなさい。自分の身体も、服も」


 シオンの声は怒っているようで、でも針を動かす音はとても穏やかで。


 この音を聞いていると、世界が少し狭くなる。


 宿の小さな部屋。窓からの風。針の音。パンの匂い。


 それだけで満たされてしまう、贅沢な狭さだった。


 四日目。


 シオンがようやく外出を許可してくれた。


「いいわよ。でも走らない。転ばない。糸にも触らない。約束できる?」


「約束します!」


「……この前も同じこと言って、次の日には特異点に突っ込んでいったわよね」


「あ、あれは、その、偶然が重なって……」


「偶然ね。じゃあ今日は偶然が起きないように、私が隣にいるから」


 シオンが僕の腕を掴んだ。いつもの場所。いつもの強さ。


 外に出ると、秋の空気が頬を撫でた。


 この町は中央部の街道沿いにある小さな宿場町で、市場の喧騒と子供の笑い声と、鍛冶屋の槌の音が混ざり合っている。


 足裏に石畳の感触。一つ一つ違う形の石が、靴底を通して足の裏をくすぐる。


「あ、シオン。右の方から甘い匂いがします」


「……林檎飴の屋台ね。行きたいの?」


「行きたいです!」


「はいはい」


 呆れた声。でも、腕を引く方向はちゃんと右だった。


 林檎飴を買って、二人で食べた。


 シオンのは小さいやつ。僕のは大きいやつ。シオンが「あんたは怪我人なんだから小さい方にしなさい」と言ったけど、屋台のおじさんが「お嬢さんの分もサービスだよ」と笑って大きいのをくれた。


 かり、と齧ると、飴の殻がぱりんと割れて、中から酸っぱい林檎の果汁があふれた。


「おいしい」


「……ええ。まぁ、悪くないわね」


 シオンの声が、ほんの少しだけ柔らかかった。


 五日目の夜。


 宿の屋上で、風に当たっていた。


 見えないけれど、空には星がたくさん出ていると思う。空気がきらきらしている——というのは、たぶん気のせいだけれど、肌で感じる空気の澄み方が、晴れた夜のそれだった。


「シオン」


「何」


「明日には出発できそうです」


「…………」


「もう指先もちゃんと動くし、膝の傷もかさぶたになりましたし。ほら」


 右手を五回握って開いてみせた。


「……もう一日くらい、休んでもいいんじゃない?」


「え?」


「別に。この町のパン屋、朝は焼きたてのクロワッサンが出るらしいから。それを食べてからでも遅くないでしょう」


「……シオン」


「何よ」


「優しいですね」


「うるさい。寝なさい」


 シオンがぷいっとそっぽを向く気配がした。


 星空の風が、僕の——まだ少しだけ冷たい指先を、ゆっくりと温めてくれていた。

かり、と林檎飴を齧る日常。次回、視点が一転。勇者たちは「四人分」の料理を作ってしまいます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ