8 旅の同行者
「海斗もここが正念場だな」
そんなつぶやきを大きな足音がかき消した。麗子だ。
「どうなっても知らないわよ! こんな店、すぐにでも潰してやるわ!」
三十路をとっくに過ぎた大人の女性とは思えない態度で、癇癪を起こしたまま、麗子は店を飛び出して行った。それっきり、店内は静かになった。三好が振り向くと、店内には会計をしたそうな客が待っていた。
「おーい、お客さんが待ってるよ。俺が売り上げもらっちゃってもいいのか?」
「すみません。すぐ行きます」
軽やかな足音と共に、美佐子が降りて来た。鼻の頭が赤いまま、客に「ごめんなさい」と笑顔を振りまく姿に、三好はほっと胸をなでおろした。三好を残して、他の客が帰っていくと、のっそりと佐伯が顔を出した。
「お疲れ。大変だったな」
「騒がせてすまん。美佐のこと、三枝さんには先に話をしていたんだ。この土地も、手放してくれることになった。これからは、商店街のみんなも買い取りたい者には売ってくれるらしい」
「へえ、どういう風の吹き回しだ?」
「三枝さん、もう引退するそうだ。それで、持っている土地を手放してしまいたいようなんだ。いわゆる終活だな。商店街のみんなには感謝してたよ。だから、格安で譲ってくれるそうだ」
「そんな話が進んでいるとは知らなかったぞ。麗子は知ってたのか?」
佐伯はにやりと笑った。
「なにも知らされていなかったよ。三枝さんから信頼されていないんじゃないかって言ったら、逆上して飛び出して行ったんだ」
三好は大きなため息をつくと、ビールを注文した。
「お前も付き合え。美佐ちゃんも飲んでくれ。今年はもう店じまいだろ?」
「そうだな。じゃあ、乾杯と行くか」
三人はグラスを合わせ、暖かい店内で、良く冷えたビールを飲み干した。
「ちょっとした忘年会だな」
「山田さんに申し訳ないですね」
美佐子が言うと、三好は気にするなと手を振った。
「アイツは今が稼ぎ時だ。呼んでも来れないよ。だけど、美佐ちゃんにそんな風に気遣ってもらったと知ったら喜ぶだろうな」
「そうだな」
三好は二杯目のジョッキを開けると、自宅に帰っていった。佐伯と美佐子はそそくさと店を片付ける。美佐子にとってはここでの初めての年越しだ。碧が張り切ってごちそうを作っているという。カフェの鍵をかけて歩き出すと、佐伯がおもむろに手を差し出した。そして、美佐子がそれに応じると、ぎゅっと力強く握りしめ、夜風の吹く街を歩きだした。
アパートに帰ると、碧がせっせと掃除をしていた。しっかりと磨き上げられたキッチンを何度も拭き上げるが、気が付くと、棚の上には埃が積もっているままだ。
「お任せしていて申し訳ないです。私も手伝います」
美佐子は碧に倣って窓の桟や棚を拭き始めたが、碧からは声がかかることはなかった。微かな違和感を持ちながら、掃除を勧めているとふうっとため息が聞こえて来た。
「少し、休憩しましょうか」
「ああ、そうね」
返事が返ってきたことにほっとして、一口お茶を飲んだとたん、碧がぼそりとつぶやいた。
「お父さんのお酒、あったかしら」
ちょうど風呂から上がってきた佐伯が変な顔をしている。父親は家で日本酒を飲んでいたが、佐伯自身はビール派だ。
「おふくろ、どうした?」
「…あら、やだわ。おかしいわね」
困惑を隠しきれない様子で、碧が苦笑いしていた。
年が明け、日常が戻ってくると、商店街は土地を買い取るかどうかで大騒ぎになった。台所事情はそれぞれだ。すぐに買い取れるところもあれば、予定すらしていなかったところもある。救いなのは、オーナーの息子が銀行の重役をしているので、ローンを組んでもらえることだった。これが娘の麗子に任されてしまっては大変だ。昼間の空いた時間にやって来る奥方たちも、落ち着きを取り戻しつつあった。
「美佐、ちょっといいか?」
客足が途絶えた時間帯に、佐伯が美佐子に声を掛けた。
「例の奥の森神社で聞いていた探検家の石田氏が遺体で見つかったそうだ。それから、柳瀬さんと連絡がつながったよ。会ってくれるそうだ。いくか?」
「えっ! 本当に?」
美佐子の瞳に嬉しさと不安が綯い交ぜになっていた。だけど、行ってみなければ、何も始まらない。こぶしを握り締めると、覚悟を決めて頷いた。
小春日和の休日、二人は山間のローカル線に揺られている。海からは遠く離れ、冬の山村はどこか閉ざされたような雰囲気だ。さびれた駅に降り立ち、しばらく山道を歩く。ザクザクと二人の足音だけが響いた。少し汗ばむほど歩くと、不意に小さく開けた場所に出くわした。
「ここだな」
二人は頷き合って、家の前へと進んだ。すると、すぐそばから老人がぬうっと顔を出した。
「アンタたちかい? ルレ島のことを知りたいっていうのは」
「はい。お招きくださってありがとうございます」
佐伯は、海沿いのカフェをやっていると簡単に自己紹介をして、ぺこりと頭を下げた。二人が顔を上げた時、老人は微かに動揺を見せた。その様子を佐伯は見逃さなかった。
「やはり、この顔に見覚えがあるのですね」
そう言って、美佐子を老人の前に勧めた。
「立ち話もなんだ、中に入りなさい」
ささやかな小屋のような家に老人が入っていく。その後を二人が続いた。小屋の中は、意外にも電気が通じていた。こんな山奥に?と二人が驚いていると、老人は楽し気に答えた。
「ああ、太陽光発電だ。別に珍しくもないだろ? 人里を離れて、自由に暮らすとしても、原始人のような暮らしは出来ないからね」
笑いながらお茶を出す老人は、それでも美佐子の顔を遠慮がちに見つめる。佐伯は、戸惑って老人と目を合わせない美佐子に気づいてぼそっと後押しをした。
「せっかく会えたんだから、なんでも聞いてみるといい。聞きたいことは今しか聞けないだろ」
美佐子はその言葉に頷くと、思い切って老人に尋ねた。
「あの、はやりこの顔に見覚えはありますか?」
「…ああ、そうだね。だが、あの人は私よりほんの二、三年年下だっただけだ。娘さんなのかい?」
「いいえ。本人です。どういうわけか、若い姿のままとある神社で目を覚ましました。桐の箱に入れられ、不思議な衣装を着ていましたが、どうしてそんなことになっていたのか、私には分からなくて。何かご存知なら、教えてください!」
「な、なんと…」
老人は目玉が落ちそうなほど目を見開いて硬直した。そして、ゆっくりと、視線を外すと、大きく息をして気持ちを落ち着かせた。
「まさかとは思っていたが、あの噂は本当だったのか。あの時、君はいったいどこで我々と逸れたんだ? ああ、だからカズに誘拐かもしれないからすぐに現地の警察に報告しろと言ったんだ!」
混乱する老人に佐伯が声を掛ける。
「柳瀬さん、落ち着いてい下さい。まず、貴方が見たそのルレ島での出来事を教えてもらえませんか?」
「ああ、そうだな」
老人柳瀬は、おもむろに立ち上がって、本棚の中から一冊のファイルを取り出した。
「これがその時の写真だ」
そう言って、冷めかけたお茶をぐいっと飲み干すと、当時の事を語りだした。
***
あれは、私がまだ大学院生だったころだ。後輩に秘境文化に興味を持っている奴がいて、一緒に現地に行ってみようと言う話になった。それがルレ島だ。後輩の名前は井村一成、いっせいって名前なんだが、周りからはカズと呼ばれていた。気難しい奴で、興味のある事になると、他の事が見えなくなってしまうところがあった。あの日も、ルレ島の東側にあると噂の村を取材しようと出かけていた。同行していたのは、カズの彼女、つまり、君だね、月ヶ瀬さん。可哀そうに、南の島にバカンスに行こうって誘われたのにって、困惑していたな。だけど、卒論に使うと言われて、がんばってついて歩いていた。健気な人だなぁって、思っていたよ。密林の中を歩いているとき、あいつが急に谷になにか見えたって言って走り出したんだ。険しい道だったから、そこにいた方がいいと言ったのは私だ。だけど、戻ってきたら、君の姿はなかった。焦ったよ。私は、しばらくその辺りを探そうとしたんだが、アイツは谷底で見つけた遺跡の欠片に興奮していて、もっと先に進みたいと言い出した。彼女とは後で仲直りできるが、この場所には二度と来ることは出来ないだろうからって言ってね。それで、月ヶ瀬さんの名前を呼びながら進んでいくことにしたんだ。残念ながら、再び君に会うことはできなかったがね。ホテルまで戻っても、現地の警察に連絡したのは私だ。奴はささやかな欠片にすっかり心を奪われて、まるで上の空だった。翌日になって、もう一度同じ場所に行こうとしたんだが、なぜか同じ場所には行きつくことが出来なくてね。仕方なく、帰国することになったんだ。
それまでは、秘境文化には詳しい方だと言われていたからね。この旅の成果を聞きたがる人もいたんだが、君を残してきたことが申し訳なくてね。別の分野に移ることにしたんだ。
***
話を聞きながら、美佐子の脳裏に痛いほどの日差しや首筋に滴る汗、生い茂る木々のざわめき、見たことの無い虫に噛まれて腫れあがった腕や足の不快感が思い出された。
ああ、そうだった。友達がみんな彼氏と海外旅行に行くっていうので、自分もどこかに行きたいと彼におねだりしていたんだ。そして、その結果がこれだったのか。周りの友達が次々彼氏を作って、一人になるのが怖かった。だから、飲み会で隣に座った彼が、付き合うかって聞いてきたとき、考えもなく頷いたのだ。その場の空気に流されて付き合い始めた二人に、相手を思いやるほどの気持ちはなかったのだ。美佐子は、悲しげな顔でふっと笑った。
「ところで、その秘境文化のことなんですが、命を長らえる術を持っていたとどこかに記述があったのですが、その辺りはご存知ですか?」
佐伯が美佐子の肩を抱き寄せて励ます様に言った。
「ああ、そうだったね。懐かしいなぁ。どうやら今までに何度か地震や土砂崩れにあっていて、もう人は住んでいないかもしれないんだがね。昔の仲間がルレ島に訪れた時、凝った造りの祭壇が崖の壁面に作られていたのを目撃したそうだよ。なんでも草をすりつぶしたような妙な匂いが立ち込めていたと言っていたな。カズはミイラを作っていたのではないかと推測していたようだけど、今では調べようもないね。すでに崩れかけていたようだけど、我々が目指していたのは、そこの事だったのかもしれないね」
つづく
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