7 やっかいな女
クリスマスがまじかに迫ったある日、いつものようにご近所の常連さんが帰っていった後、ふらりと若い女性が店を訪れた。愛らしく結い上げた髪には、ビロードのリボンが飾られ、耳元には星形の飾りが揺れていて、特別なお出かけの帰りの様だ。
「すみません。水割り、もらえますか?」
「ごめんなさい。昼間はアルコールの提供がないんです。今日は冷え込んでいるから、あったかいココアなんていかがですか?」
若い女性は視線を落としたが、こっくりと頷いた。美佐子がココアを作る間、女性はぼんやりとカウンターの木目を見つめているだけだった。
「今日は特別寒かったですね。さっきまで外にいらしたんですか? 頬が真っ赤ですよ」
「え? あ、はい。人と待ち合わせを…」
「そう。じゃあ、まずはあったかいおしぼりで暖まって」
湯気の立つおしぼりを手渡すと、女性の体からほうっと力が抜けていくのが分かる。そこに出来立てのココアを差し出すと、甘い香りに微かに女性の表情が緩んだ。
「今日はもうお客さんも来ないでしょうから、ゆっくりしていてくださいね。私も一緒にココアをいただいてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
冬になると、この辺りは風が一層強く吹く。白波が立って、店の前の看板もカラカラ音を立てて揺れていた。あつあつのココアに息を吹きかけて一口飲んだ女性は、ふうっと大きく息を吐いて、遠慮がちに声を掛けた。
「あの、ありがとうござます。私、…ここに来てよかった」
「何かあったのですか?」
美佐子の言葉に、不意に顔を上げた女性は、すでに泣きそうな顔になっていた。
「さっきまで、心の中がぐちゃぐちゃで。もう、どうしていいか分からなくなって…」
最近、なかなか会ってくれない恋人と待ち合わせをして、今日は一緒にディナーを楽しむ予定だったという。それが、待ち合わせの時間を過ぎても恋人は現れず、それどころか、きれいな女性と楽し気に話しているところを見てしまったというのだ。
「そう。それは不安になりますねぇ」
「もう、ダメなのかな」
女性がぼそりと呟いた時、窓の外に慌ただしく走り去る人影が見えた。美佐子はそっと席を立つと、店の外に顔を出した。すると、先ほどの人物が戻ってくるところだった。
「あ、あの。…この辺りで女の子、見ませんでしたか? 多分、星形のイヤリングをしてくれているはずなんです」
「お知り合いですか?」
「で、デートの約束をしていたんですが、目の前で妊婦さんが倒れられたので、ご家族が来られるまでつきあっていたら遅くなってしまって…。うかつにもスマートフォンを忘れてきてしまって、連絡もできずで…」
「お名前、伺っても?」
「木下です。もしかして、みのりをご存知なんですか?」
取りすがるように言い募る男性を落ち着かせ、美佐子は店内に声を掛けた。
「木下さんという方をご存知ですか?」
「ええ? どうしてそれを?」
女性が驚いて席を立つと、美佐子が木下を招き入れた。
「みのり!! ああ、無事でよかった。遅れてしまってごめん」
泣きそうな顔の木下が懸命に説明するのを、みのりはぽろぽろと涙を流しながら聞いた。
「おばさま、ありがとうございました」
木下の腕に包まれながら、みのりは恥ずかしそうにそう言ってほほ笑んだ。店内の温度がふわっと上がったような感覚を覚え、美佐子はそのまま二人を見送った。その時、不意に先ほどの言葉が頭に浮かんだ。
―遅れてごめんー
どうしてこんなに胸を締め付けるんだろう。これも自分の過去に関係があるのだろうか。店の外に「CLOSE」の看板を掛け、ある決心を胸に美佐子は2階へと上がった。
「海斗さん、少しいいですか?」
相変わらずパソコンにかじりついていた佐伯は、いつになく真剣な声に、慌てて向き直った。
「どうした?」
「今まで、ずっと海斗さんの親切に甘えてばかりだったけど、やっぱり自分の過去について、きちんと調べようと思うの」
「…なにか、あったのか?」
心配そうな視線が、美佐子を覗き見た。このまま何も分からないままで、この人の傍で暮らしている方が幸せなのかもしれない。そんな想いがふいに頭をかすめるが、それはあまりにも自分勝手だ。
「そうではないの。でも、誰かの言葉の端々に、過去に聞いたことがあるような、過去に手が届きそうな感じがあって…。私、どうしていいのか分からなくなるの」
黙って聞いていた佐伯は、不意に立ち上がって、本棚にあるファイルを取り出した。
「先に言っておく。なにがあったのかは、まだつかみ切れていないけど、何があっても、俺は美佐を手放すつもりはないから」
そう言ってファイルを差し出すと、コーヒーでも入れてくると言って、厨房に下りて行ったが、その耳が赤くなっているのを、美佐子はしっかりと確認した。
―この中に、もしかしたら自分の過去を取り戻せる情報があるのかもしれないー
そう思うと、すぐには手が付けられない。でも、きっと自分が一人で確かめるために佐伯は席を立ってくれたのだろう。そう思って、美佐子は思い切ってファイルを開いた。
当時の新聞のコピーや、雑誌の切り抜きなどが載っている。顔写真は確かに自分だ。同行していたのは、柳瀬 卓と井村 一成とある。
「柳瀬…、菅野さんの知り合いの方だわ! でも、いむら…いっせい、いむら…」
どうにも、その名前に聞き覚えはなかった。記事を読むと、3人はルレ島にあるという幻の遺跡を探しに行ったが、密林で美佐子だけが逸れ、行方不明になったとされていた。近くには断崖の地形もあり、滝近くで足を滑らせたような痕跡があったと記されていた。ルレ島は、一部の専門家の間で、幻の遺跡があるとまことしやかにささやかれていて、特殊なまじないで人間の寿命を延ばすことができるという文化があるとされていた。
美佐子の心臓の音が妙に大きく感じられ、息が浅くなる。
「おい、大丈夫か?」
ふいに太い腕に引き寄せられ、抱きとめられると、不安で指先まで冷たくなっていた自分を自覚した。それでもなんとか頷いて、無理に笑って見せた。テーブルに置かれたコーヒーが揺れて、トレイにこぼれていた。
「心配かけて、ごめんなさい。まだ、自分の事だとは到底思えないんだけど、柳瀬さんという名前にはなんとなく聞き覚えがあるの。でも、イムラさんは…。それに、私の体、どんどん年老いているでしょ? みんな気を遣って言わないけど、さっき、若いカップルにおばさまって言われて、ああ、やっぱりそうなんだって、自覚したの。このままみんなより早く体が衰えて行くんだろうなって」
「美佐…。大丈夫だ。俺がずっと傍に居るから」
たまらなくなって美佐子を強く抱き締めるが、初めて抱きしめた日とは比べ物にならないほど、張りの抜けた大人の体に気付かずにいることは出来なかった。
「なあ、今度、その柳瀬さんって人に会いに行ってみないか? 菅野君に確かめておくよ」
目の前の誠実な視線に、美佐子は頷くしかなかった。
クリスマスを過ぎると、商店街は一気に賑わいを見せ、店には買い物客が多く立ち寄るようになった。いつもの奥方たちは、忙しいのか店に顔を出す暇もないようだ。美佐子はすっかりなじんだサーバーでコーヒーを淹れ、次々に客をさばいていく。佐伯も年末大売り出しのネット対応でほとんど店に顔を出すことがない。
そんな中、一人の女性が店内に入ってきた。やってくるなり、美佐子をいぶかし気に見ると、慣れた様子でカウンターの端に腰を下ろした。
「いらっしゃいませ」
いつものように笑顔で水の入ったグラスを置くと、じっとその様子を品定めしていた女性が、おもむろに声を上げた。
「海斗はいないの? あなた、ここの新人?」
「はい、今年の夏前から働いています。店長のお知り合いですか?」
戸惑いながらも対応すると、従業員に用はないとばかりに、佐伯を呼べと命令してきた。
「あの、お名前をお伺いしても?」
「はぁ、いいから呼んできなさい。そうね、婚約者が来たと言えばいいわ」
その言葉にぴくっと反応した美佐子を面白そうに眺めながら、早く行けと顎で美佐子を促した。しゃれた服装にきれいなネイル。年頃は佐伯と同じぐらいだろうか。戸惑いを隠せないまま、美佐子は二階へと駆けあがった。
「海斗さん、あの。婚約者だとおっしゃる方が来ているんだけど」
「はぁ? あっ! あ~アイツか。分かった。こっちに来てもらってくれ」
邪魔くさそうな態度だが、否定しない佐伯に心が揺れる。聞きたいことはたくさんあるが、今は勤務中だ。美佐子は頷いてすぐに婚約者だと言う女性を2階へ案内した。
「ああ、気にしないで。ここの事は良く分かっているから」
訳知り顔で、さっさと二階に上がっていく姿を目で追っていると、「こんちわー!」と元気な声が飛び込んで来た。サーフショップの三好だった。
「あ、いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
「そうだね。年末の大売り出しも終わって、今年はこれで仕事納めなんだ。コーヒー頼む」
「はい、承知しました」
気を取り直してコーヒーを淹れていると、二階から女性の笑い声が聞こえて来た。
「あ~、今年もアイツ、来てるんだね。あ、美佐ちゃんは初めてか。びっくりしただろう?」
「ええ。あの…」
「心配しなくても大丈夫だよ。アイツはこの辺りの土地の所有者の娘でね。三枝 麗子って言うんだ。海斗がこの土地と建物を買い取りたいって言うのに、なかなか首を縦に振らないんだ。それどころか時々勝手にやってきて俺らの経営にまで口出しするんで、うんざりしてたんだよ」
三好はいつものことだと、呆れた様に話すが、その笑顔に違和感を覚えた美佐子はふと思いついてお茶を淹れてきますと言って、コーヒーを淹れ始めた。
「あ、いや。そんなに気を遣わなくていいよ。この辺の連中はみんな幼馴染なんだから」
慌てて止めるのも聞かず、美佐子が二階に上がると、すぐさまガシャンっと食器の割れる音が響いた。
「あー、やっぱりこうなるか」
三好は頭を抱えたが、客が少ないタイミングだったことだけが救いだと思う。
すぐに階段を降りる音がして、美佐子が雑巾を持って駆け上がっていった。その強張った表情で、何を見たのかは一目瞭然だった。
「はぁ、アイツは本当に疫病神だな」
三好は、窓の外に見える荒れた海を見ながら、昔の事を思い出していた。まだ三十路にかかろうかという頃、結婚を考えていた女性がいたのだ。サーフショップを初めて、少しずつ軌道に乗り始めた時だった。これなら、家族を養っていける。ずっとはっきりしない態度で待たせていた彼女にプロポーズする計画を立てていたのだ。指輪も準備して、ド定番だがバラの花束をカウンターの下に隠しておいて、彼女が来るのを待っていた。
落ち着かない気分で店先に出た三好が、こちらに向かって歩いてくる彼女を見つけて手を振ると、突然、彼女の後ろから来ていた麗子が彼女を追いこして三好に飛びついたのだ。その反動で隠し持っていた花束が麗子の前に差し出される形になって、麗子はすっかりご機嫌で三好の手からそれを奪い取ったのだ。それからは、三好に執拗に付きまとって、とうとう彼女とは別れることになってしまった。今の妻と結婚できたのは奇跡だと思う。
三好はこれから起こる修羅場を想像し、美佐子をどうやって慰めようかと考えあぐねていた。
つづく
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