5 線香花火の夜
もう少しゆっくりしてもいいのにという佐伯親子だったが、美佐子は翌日から働きだした。何もせずに甘えているのが申し訳なかったのもあるが、何かしていないと、不安になると言う方が大きかった。前日のニュースに出ていた風景は確かに見覚えがあった。
―あんな辺鄙な島に何をしに行くの?-
それは確かに自分が発した言葉だ。既視感のある風景、言った覚えのあるセリフ。そして、佐伯達は聞いていなかったが、テレビのニュースでは、50年近く前にも日本人女性がここで行方不明になっていると伝えていた。
「いらっしゃいませ」
「あれ、月ヶ瀬さん! もうお体は大丈夫なんですか?」
「はい、ご心配をおかけしました。過労だったみたいです。張り切りすぎたんでしょうかね」
困ったように微笑む美佐子に、菅野は安堵の表情を見せた。
「佐伯さんは? 復帰一日目からまかせっきりなんですか?」
「夜の仕込みをしているだけだ。ここにいるぞ」
菅野のやや棘のある言葉に、厨房から声がかかった。なんとなく険悪な空気になり、美佐子が慌てて執成す。
「もう少し休んだ方がいいと言ってくださったんですが、私がじっとしていられない性分なんです。でも、お気遣いありがとうございます」
美佐子にそう言われると、菅野は黙るしかなかった。美佐子がコーヒーを淹れて菅野に差し出すと、厨房から声がかかった。足りない材料を買い足しに行くと言う。佐伯が店を出るのを見送って、美佐子は思い切って菅野に頼みごとをした。
「あの、もしあれば、でいいのですが、先日からニュースになっている土砂崩れのあった島について、載っている文献などあったら教えてもらえないでしょうか」
「え? あのルレ島とかいう島のことですか?」
美佐子からの意外なお願いに、一瞬眉をしかめた菅野だったが、美佐子と関りを深められるならと、すぐに笑顔で答えた。
「分かりました。少し調べてみます」
美佐子がこの店に来たときの事情は菅野もすでに聞いている。もし、そのルレ島の事が関係しているなら、力になりたい。菅野の中に芽生えたほのかな想いは、佐伯が彼女の傍に居ることで大きな刺激を受けている。コーヒーを飲み干すと、早速調べてみますと言って、帰っていった。
バータイムに入ると、美佐子は仕事を終えてアパートに帰る。部屋の中では、碧がせっせと荷物を整えていた。
「美佐ちゃん、おかえりなさい。こっちの部屋、手つかずにしてくれていたのね。そのまま使わせてもらうわね」
「はい、私も一部屋頂いているので、充分です。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそね」
二人でテレビを見ながら夕食を摂る。
「あれから体調はどう?」
碧のさりげない気遣いに、有難味を感じながらも、本当の自分の事を知りたくて、こっそり本を依頼した自分に後ろめたさを感じる。そんな美佐子に、碧はどんな言葉を掛けてやればいいのだろうと気をもんでいた。
数日が過ぎ、菅野が海外の風習をまとめた本を持ってきた。受け取りながら、美佐子の顔が引き締まる。代金はいらないという菅野に、無理やり代金を渡すと、仕事上がりには、大急ぎで部屋に帰った。気が逸って駆け足になったせいか、息が上がってしまった。美佐子は、一旦深呼吸して、いつものように「ただいま」と部屋に入った。
夕食の後片付けを済ませると、美佐子はそそくさと自分の部屋に入って本を開いた。ペラペラとページをめくり、それらしいページに差し掛かると、大きく息をついた。
―赤道近くにあるソロモーニア諸島には、島それぞれに異質の文化がある。火山活動が盛んな時期には、入国が禁止されることもある。特にヴァレ島は活火山を有しており、観光にも人気のスポットだが、注意が必要だ。また、その東にある小さな無人島ルレ島は、ヴァレ島に隣接する西側を訪れる観光客が多いが、東側は密林となっており、手つかずの自然がある。ただし、50年前に大きな祭壇が発見されており、過去には住民がいたとの見解もある。-
「やっぱり…。この島名に聞き覚えがある」
本を持つ手の震えが止まらない。50年の間、私は何をしていたのか。自分の事なのに、何も分からない不安に思わず涙があふれてくる。
「おーい、みんなで花火をするんだが、一緒にどうだ?」
玄関で呑気な佐伯の声がした。美佐子は慌てて涙をぬぐって、部屋を出た。バケツに水を汲んでいた碧が、美佐子も一緒に行こうと誘ってくれたので、そのまま二人の後に続いた。
着いた先は、いつものカフェの前の砂浜だ。暗くて見えにくいが、山田と三好は、奥さんや子どもも連れてきている。菅野も来ていた。簡単な打ち上げ花火を楽しんだ後は、子どもたちに手持ち花火をさせたり、筒から噴出する花火を楽しませ、自分たちは、カフェからもってきたビールを楽しんでいた。ほろ酔いになる頃には、小さな子供は母親に連れられて家路につく。締めくくりは線香花火の長持ち競争だ。体の大きな男たちが小さく丸まって、線香花火を見つめ合っているのはなんだか滑稽で、美佐子は思わず吹き出していた。
「今年もこれからが本番だな」
三好が気合いを入れなおすように呟いた。遠くで子供が三好を呼んでいるのが聞こえ、それを合図にそれぞれが自宅に帰っていった。
「菅野君も帰ろう」
その場を離れがたそうにしていた菅野に、山田が声を掛ける。
「本屋の隣のタバコ屋のばあさん、入院するらしいなぁ。聞いてるか?」
駅前商店街では、タバコ屋がどうなるのかと、話題に上っている様だ。それに答えながら、二人は歩き出した。碧もいつの間にかいなくなっていた。水を捨てたバケツに花火のゴミを集めていると、佐伯が美佐子に声を掛けた。
「最後にもう一回、やらないか? 月ヶ瀬さんは、線香花火やってなかっただろ?」
手には小さな線香花火の袋を持っていた。じゃあ、お言葉に甘えてと、二人でしゃがみ込む。2本の線香花火がきれいな牡丹の柄を浮かび上がらせている時、佐伯がぼそりと呟いた。
「いろいろ思うところはあるだろうけど、ずっとここに居ていいんだからな」
「え?…」
驚いて顔を上げた拍子に、美佐子の線香花火の火種がポトンと落ちた。佐伯はすかさず袋から新しい線香花火を取り出して、美佐子に手渡した。
「失敗したっていいんだよ。昔の事が気になるなら、気が済むまで調べたっていい。そんなことで遠慮しなくていいんだ。自分の居場所がないと嘆くぐらいなら、ずっと俺んとこにいればいい。まぁ、アンタからすりゃ、中年のおっさんにそんなこと言われても、うれしくもないだろうけどな」
最後の方はちょっと自嘲気味だったなと、微かに後悔しながら自分も新しい花火に火をつける佐伯だったが、隣でぽとりと何かが落ちる音がして美佐子を伺うと、大きな瞳にいっぱいの涙をためて、耐え切れない雫がぽとぽとと流れ落ちていた。その雫が、花火の光を反射して、妙にきれいだと目を奪われる。
「私…、私、自分が何者か分からなくて、不安で…」
「ああ、…すまん」
そういうと、佐伯は自分でも気づかないうちに、美佐子を自分の腕の中に抱きしめた。その拍子に二つの火種が転げ落ちる。
「俺の事が嫌なら、突き飛ばしてくれ。そうしたら、アパートには行かないし、二度とこんなことはしない。仕事も今まで通りだ。だけど、なんとかアンタの力になりたい。笑っていてほしい。いい歳をしたおっさんなのに、なんというか…その…」
「私、佐伯さんに助けてもらってばかりなのに。迷惑ばっかりかけてるのに…」
「何言ってんだ。俺がどれだけアンタの存在に救われていることか」
しばらく佐伯の腕の中で号泣した美佐子が、落ち着いたところでつぶやくようにこぼした。
「私が調べ物をしていたこと、知ってたんですね」
こっそり調べていた後ろめたさと、ぎゅっと抱きしめられる安心感で、美佐子の心は大きく揺れていた。
「ああ。菅野の奴、俺に牽制してきたんだ。美佐子さんは本当の自分を見つけたいのに、おざなりにして囲い込むような真似は良くないとかってな。フフっ。だけど、その時思い知ったんだ。それまでの俺だったら、いやいや誤解だよって、二人の仲を取り持ってやれたんだが、アンタの事だけは、取られたくないと思っちまった。…嫌だったか?」
美佐子は大きく首を横に振った。その姿に、ほっと安堵した佐伯は、照れ臭さを隠す様にもう一度美佐子を抱き寄せると、その額に唇を落とした。そして、袋に残ったあと2本の線香花火を1本ずつ手にして、一緒に火をつける。きれいな散り菊の模様まで輝きを放ち、二つの火種は一緒に湿った砂浜に落ちた。
「さぁ、送っていくよ」
佐伯がごみの入ったバケツを手に持つと、そっと空いた手を差し出した。美佐子もそれに答えてその手を握ると、一緒に歩き出した。アパートの部屋に入ると、小さな書置きがあった。
―今日は息子の家に荷物を取りに行くついでに泊ってくるから心配しないでねー
「おふくろの奴、変な気を回しやがって」
佐伯が書置きを見ている間に、美佐子は自分の部屋から例の本を持ってきた。
「あの、これなんです。菅野さんに頼んで探していただいた本」
そっと差し出された本を手に取ると、後半に付箋が付いていた。そのページを開いた佐伯は、見覚えのある地名に思わず美佐子を見た。
「前に私がひどい頭痛でご迷惑をかけた時、テレビの速報でこのルレ島の風景が映っていたんです。そこに見覚えがあって…。自分でも、どうしてそんなところの景色に見覚えがあるのかと考えていたら、先日のテレビで50年近く前にも日本人が現地で行方不明になっていたって報道されていて…」
「すまん、月ヶ瀬さんは何年生まれだった?」
「1954年です…」
佐伯とは、想いが通じ合ったばかりだというのに、これでは、無かったことになるだろうと、美佐子は俯いた。迂闊だった。自分の年齢のことをすっかり忘れて、あまりにも孤独で、不安で、安心できる居場所が欲しかった。しかし、それは自分の都合だ。そっと佐伯の様子を伺うと、何やら考えを巡らせている様だ。佐伯から、次の言葉が発せられるまでの時間が永遠にさえ感じられて、不安を吐き出す様に大きく息を吐いた。
そんな不安をかき消したのは、碧からの電話だった。佐伯の兄嫁がしばらく出張で留守になるので、その間だけでも家事を助けてほしいと言われたという。居心地が悪いと言いつつも、息子に頼られるのは、悪い気がしないらしい。
「ホントに、身勝手よねぇ」
碧の声は、意外にも明るかった。兄のご都合主義に呆れていた佐伯だったが、不意に思いついて、美佐子を誘う。
「そう言えば、初めて会った時、神社で気が付いたって言ってたな。場所的に考えて、奥の森神社じゃないか? 今度、一緒に行ってみないか? 何か分かるかもしれない」
「え?」
驚いたように顔を上げる美佐子の肩を抱き寄せて、佐伯は一緒に調べようと励ました。
つづく
読んでくださってありがとうございます。
感想、評価をいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。




