3 動きだす想い
カフェで働き始めてすっかり慣れて来た頃、交番で相手をしてくれた警官が、調査結果を持って訪ねて来た。確かに月ヶ瀬美佐子という人物は存在したが、生きていたら72歳だという。しかもその人物は、海外旅行にでかけて行方不明になったままなんだとか。真相は分からないままとなった。
美佐子の話と今、手元にある情報を合わせると、美佐子がタイムスリップしたとしか考えられないのだ。
「それにしても、随分古いアパートだね。生活に困ってないかい?」
「いいえ。普通ですよ。お給料も少し頂いたので、なんとかやりくり出来ています。今は、このテレビの調子が悪いのが悩みです」
そう言われて警官がテレビを見ると、分厚いブラウン管テレビだと気が付いた。
「これはまた、年代ものだなぁ。まぁ、本当に壊れてしまったら、佐伯さんに頼んでみたらいい。じゃあ、僕はこれで」
美佐子の生活が安定していることを見定めて、警官は安心して帰っていった。一人になった美佐子は、夕食と入浴を済ませると、一人テレビを見ていた。時々ザザッと砂嵐が入るが、大方は見られる。そのとき、緊急ニュースが入った。
「先ほど入ったニュースです。オーストラリアの北東のあたりで、大規模な地震があったもよう。津波が来ることも予想されますので、今後のニュースにご注意ください。」
画面には穏やかそうな南の島が映し出されているが、小さな家々は崩れたり、傾いたりしていた。そんな中、ポツンと鋭い円錐型のモニュメントだけが空に向けて突き立っていた。
「あ、あれは…」
あのモニュメントには見覚えがある。では、自分はあんな遠い島に行ったことがあるのだろうか。その時突然、美佐子を激しい頭痛が襲った。歯を食いしばり痛みが去るのをじっと待っていると、ゆっくりと痛みの波が去っていく。あの神社で目覚めるもっと前の事を思い出そうとすると、頭痛がするのだ。家族の顔は思い出せるのに、その他のことがどうにもおぼろげだ。そんなことを考えると、孤独感に襲われ胸が苦しくなる。自分はこれからどうしたらいいのか。佐伯の厚意に甘えていていいのか。思考は悪い方へとどんどん落ちていく。
暗い考えを遮断したのは、一本の電話だった。黒光りしたそれは、思いのほか大きな音で受話器を揺らす。
「もしもし、遅い時間に悪いなぁ。今、バータイムの常連と飲んでるんだが、月ヶ瀬さんの顔が見たいって、うるさくてなぁ。もしよかったら、来てくれないか?」
後ろで、彼女を紹介しろ、マスターだけずるいなどとはやし立てる声がしていて、美佐子は思わず笑みをこぼした。
「こら、お前らうるさいぞ。月ヶ瀬さんだって、仕事を終えて一息ついてんだ。邪魔するんじゃない。ええ、美人だぞ。お前らに見せるのがもったいないくらいだ」
電話口だと言うのに、仲間と大騒ぎだ。美佐子は気を取り直して行ってみようと思った。
「では、準備して向かいます」
「気をつけてな」
周りの騒ぎは続いていたが、そこで電話は切れた。一人で考えていても仕方がない。思い切って、出かけよう。美佐子はすぐに着替えを済ませてカフェへと向かった。
「おおー、来た来た!」
「マスター、こんな若い子が手伝ってくれたら、毎日楽しいだろう」
常連たちはすっかり出来上がっていて、ご機嫌ではやし立ててくる。それを軽く往なしながら、佐伯は美佐子に席を勧めた。
「やぁ、悪いね。こんな時間に。ここに居るのはバータイムの常連客ばかりだから、遠慮がなくてすまない」
「バータイムがあったんですね。皆さん楽しそう」
申し訳なさそうに眉を下げる佐伯だったが、一人で落ち込んでいるよりずっと美佐子には救いだった。
「ねえねえ、お名前は? まだ若いよね。歳、聞いてもいい?」
「ゴホン! 女性に年齢を聞くのはアウトだろう」
口々にしゃべる出す。みんな興味津々なのだ。
「月ヶ瀬 美佐子と申します。歳は、内緒です」
慌てて止める佐伯だったが、美佐子が茶目っ気を出して答えると、常連たちはやんやと盛り上がった。
「よーし、俺たちも自己紹介と行こう! 俺は、三好 健ってんだ。ここの並びのサーフショップをやってるんだ。こいつも若い頃はサーファーだったんだぜ。よかったら、遊びに来なよ」
「健さん、先に言うかなぁ。まぁ、昔の話だけどな」
三好に先に言われてしまって、佐伯はちょっと照れ臭そうだ。
「じゃあ、次は俺な。俺は、山田 長次郎ってだ。駅前の魚屋魚政のオーナーだ」
「嘘つけ!見習いだろ?親父っさんに怒られるぞ」
「がははは」
「そうそう、長次郎とマスターの海斗は同じ年で幼馴染だ。俺は二つ上になるんだが、こいつら、ちっちゃい時から悪ガキでねぇ」
「あれれ、自分だけいい子ぶりっこか? シャカパンの三好って、呼ばれてたくせに。だいたいこの歳になったら、二歳なんて大した差じゃねーだろ」
酔いが回っているからか、みんな朗らかだ。そんな中、一人静かにバーボンを飲んでいた男がつぶやくように言う。
「僕は、駅前の本屋で働いている菅野 涼です。2年前にここに引っ越してきた新参者です」
「何言ってんだよ。ここで飲んでたらもうみんな仲間だよ。自分だけ一回りも若いとか思うなよ。もうすぐ30だろ?」
「まだ27です!」
「がはははは、踏ん張るねぇ」
お調子者の山田が、菅野の肩にがっちりと腕を回して陽気に笑う。そこから、3人の子どもの頃の話や、菅野が初めてこの店にやってきたときのことなど思い出話で盛り上がって、日付が変わった頃、ようやくお開きとなった。
「片付け、手伝います」
なんとなく、楽しい雰囲気を残した場所にいたくて、美佐子は自分から片付けをかって出た。
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
佐伯が皆を見送って店に戻ると、洗い物をしながら美佐子が声を掛けた。
「あ、…う、うん。なんか悪いな。呼び出した上に片付けまで」
「いいえ、今日はとても楽しかったです。自分も仲間に入れてもらえたみたいで」
佐伯の微かな戸惑いには気づかないまま、美佐子は嬉しそうに微笑んだ。片付けを終えてアパートまで送ると言う言葉に甘えて、二人で深夜の街を歩く。
「どうだ、生活には慣れて来たか?」
「はい、良くしていただいて、ありがとうございます。ここの皆さんは、とても仲がいいんですね」
歩きながら取り留めのない話をする。佐伯は、父親は亡くなったが、出来の良い兄が大手商社で働いていると話し、美佐子は両親と弟と暮らしていたのだと話した。みんなでお小遣いを出し合って宝くじを買って、当たったら家を建て替える計画だったと話すと、佐伯は「それは名案だな」と笑った。
―家族との仲の良さはそのまま美佐子の人柄に出ているな。それに…。―
さっきの「おかえりなさい」に胸がトクンと音を立てた。無自覚な中年男の心を煽るように、夜風がさらりと通り過ぎて行った。
翌日、ランチタイムを過ぎると、佐伯はいつものように2階に籠った。前夜の宴で、佐伯はこの地域の商店街のオンラインショップも担当していると聞いている。溜まっていた洗い物を片付けて一息入れていると、菅野がやってきた。
「いらっしゃいませ。体調は大丈夫ですか?」
昨夜は山田に随分飲まされて、ふらふらしながら帰っていく後ろ姿を見送った。菅野は平気ですっと答えつつも、今日が非番で良かったと、暑いコーヒーを頼んだ。他に客のいない店内に、無口な菅野がゆっくりとコーヒーを啜っている。そんな姿越しに、窓の向こうでは今日も太陽は燦燦と降り注ぎ、海はいつものように白波を立てていた。この暮らしにもなじんで来たものだと考えていると、ふいに菅野が話しかけて来た。
「月ヶ瀬さん、僕で良かったらなんでも話してみてくださいね。よそから来た者同士ですし、力になりたいです」
「…え?」
慌てて菅野を見ると、心配そうにこちらを見つめていた。そして自分の頬が濡れているのに気づいて、慌てて手の甲でぐいっとぬぐった。
「あれ、どうしたんでしょうね。か、乾燥してるのかな」
慌てて言い繕う美佐子を切なげに見ていた菅野だったが、それ以上何も追及することはなかった。そのまま、じゃあっと言って帰っていく菅野を見送っていると、佐伯が二階から下りて来た。
「あれ、今の、菅野君?」
「ええ、そうです。この時間に来られるのは初めてですよね」
「そう、だな」
佐伯はコーヒーを淹れると、カップを持って行きかけてふと立ち止まった。
「何か、言われたの?」
「え? いいえ。特には」
「そう…」
そういうと、まだ何か言いたげな表情のまま、二階に上がっていった。
「それで? 菅野君はあれから毎日通ってるの?」
焼き魚をつつきながら、佐伯の母、碧が呆れた様に言う。当たり前の様に食事を共にしているが、碧はこうやって時々美佐子の部屋にやってきては、数日を過ごすようになった。佐伯には、美佐子を一人にするには心配だと言っているが、引っ越したはずの佐伯の兄夫婦の家はどうにも居心地がよくないらしい。美佐子も、一人でいると悪い事ばかり考えてしまうので、碧の存在はありがたかった。しかも、好きなタレントのことも話が通じて楽しいのだ。ただし、碧としては『思い出話』で、美佐子にとっては、『今』の話になるが。
「そうなんです。ただコーヒーを飲んで、他愛ない話をするぐらいなんですが」
「そうなんだぁ。これは、海斗もうかうかしていられないわね」
「え?」
ぼそりと呟く碧の言葉は、美佐子には聞こえなかった。
「いいえ、なんでも。この魚、肉厚でおいしいわね。魚政で買ったの?」
「そうなんです。長次郎さんがおまけしてくれました」
「そう、美佐ちゃんかわいいから、どんどんおねだりしちゃいなさい」
碧はそう言って、楽し気に笑った。そのまま一緒に食事をしていると、美佐子は急に激しい頭痛に襲われて意識を失った。
「ちょ、ちょっと。美佐ちゃん? どうしたの? しっかりして!そうだ、救急車を呼ばなくちゃ」
救急隊がやってきて、美佐子を担架に乗せて運び出す頃、テレビの緊急速報が入った。
「今日、16時20分ごろ、ソロモーニア諸島の小島で大規模な土砂崩れがあった模様。先月の地震の影響か」
碧は慌ててテレビを消して、救急車に乗り込んだ。
つづく
読んでくださってありがとうございます。




