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月ヶ瀬美佐子の軌跡  作者: しんた☆
10/11

10 事件

美佐子はすぐに碧の部屋に行って、声を掛ける。

「碧さん、またお仕事がお休みの時に遊びに来ますね」

「そうね。楽しみに待っているわ」

 美佐子が部屋を出るのを待って、今度は佐伯が顔を出した。

「おふくろ、なにか必要な物があったら連絡してくれよ」

「気を付けて帰ってくださいね。息子たちの事、お願いします」

「…、ああ、分かったよ」

 帰りの車の中で、佐伯は力なくつぶやいた。

「せっかく元気に暮らしていたのに、どうしてこんなことに…」

「海斗さん…。でも、碧さんは生きている。お店が休みの日には、また会いに行きましょう」

「そうだな」

 助手席の手にそっと触れて、佐伯は肩の力を抜いた。


 冬の海風が治まって、ほっこりするような日差しが差し始めた。碧は入所先に友人もでき、それなりに楽し気に生活している。佐伯と美佐子が一緒に面会すると、相変わらずの反応だが、それぞれが会いに行く分には問題なかった。

 佐伯は、碧の入所以来、時折物思いに耽ることがあったが、美佐子は気づかない振りで笑顔を振りまいていた。微かな違和感を覚えたのは、そんなある日だ。

「美佐、今日の面会なんだけど、一人で頼めるかな」

 遠慮がちに言う佐伯に、首を傾げつつも頷いた美佐子だったが、佐伯はさっさと出かける準備をしていた。

「どこかに出かけるの?」

「ん? ああ、ちょっとね」

 歯切れの悪い返事だったが、美佐子は碧の着替えを準備して出かけて行った。碧は、美佐子が一人で来ると、親友が来たと大喜びする。施設内の友人を紹介したり、自分で作ったというぬいぐるみを見せたりと、昔の明るい人柄を取り戻しているようだ。

 ひとしきり話してアパートに戻ると、佐伯はまだ帰宅していなかった。夕食の支度をしていると、三好がやってきた。

「あれ? 海斗はまだ帰ってないの?」

「はい。今朝、出かけるとは聞いていたんですが。私は碧さんのところに行ってたので、どこに行かれたかまでは聞いてなくて」

 玄関先で話していると、山田もやってきて、同じように佐伯はまだかと尋ねた。

「今日は定休日だったし、こっちに来てみたんだけど、まだ帰ってないのか?」

「あの、何かあったのですか?」

 不安そうな姿に、やってきた二人は思わず顔を見合わせた。

「実は、また麗子の悪い病気が出て、この辺りの土地は自分が引き継ぐと言って聞かなくてね。バータイムにも何度か押しかけてきて、騒ぎになってたんだ」

「そんな…。海斗さんから何も聞いていなかったわ」

驚く美佐子に、山田が焦った様に訴えた。

「まぁ、これ以上美佐ちゃんに心配かけたくなかったんだよ。色仕掛けで来られても、海斗は頑として聞き入れないから、逆上した麗子が三枝さんに強請ったんだろ。なんだかんだ言って、三枝さんも娘には甘いからな。そんなに執着するなら海斗を落としてこいと言ったらしいんだ。海斗がなびかないのを知った上での話だろうけどな。結局、三枝さんの言葉で余計に麗子の態度は強硬になって、堪忍袋の緒が切れた海斗が三枝さんと話をしにでかけたんだよ」

「落とす…」

 美佐子が不安に駆られていると、山田と三好が慌てて大丈夫だと言い募ったが、そんなことで気持ちが晴れるはずもない。それでも気丈にふるまって、大丈夫ですと二人を帰した美佐子は再び台所に立ったが、何も手に着かなかった。

 夕ご飯の時間をとっくに過ぎたころ、インターフォンがなった。やっと返ってきた! 美佐子は飛び出す様にして玄関のドアを開けたのだが、そこには思いもよらない人が立っていた。

「あなたが美佐子って人? ねえ、もういい加減海斗さんに付きまとうのはやめてくれない? あの人、人が良すぎるからすぐに付け込まれるのよ。ホントに迷惑」

 鼻を衝くような甘い匂いと共に高飛車な罵声が飛び込んで来た。美佐子を押し戻すように玄関に入ってきたのは麗子だ。そして、言いたい放題言うと、アパートの部屋を見まわして顔をしかめた。

「なに? このみっともない部屋は。まさかこんな所に海斗さんを閉じ込めておこうとしていたの?」

「…帰ってください。ここは、海斗さんのお母様のお部屋です」

 こぶしを握り締めて勇気を振り絞り、美佐子は言い放った。そんな姿に一瞬たじろぎながらも、麗子は軽くため息をついて続ける。

「はぁ、知ってるわ。海斗さんの母親って、ボケて施設に入ったんでしょ? あそこに行ったらもう帰って来られないから、ここもさっさと引き払うそうよ。やっと母親から解放されたから、貴方にも出て行ってもらうって…」

「海斗さんがそんなことを言うはずありません!」

 麗子は美佐子の顔を覗き込むようにしてにやりと笑った。

「あなた、何も聞かされていないのね。この辺りは私が引き継ぐことになったから、ここを取り壊して海斗さんと住む新居を建てるの。だから、いつまでも居座ってないで、引っ越し先、決めておきなさいよ」

「う、うそよ!」

「とにかく、彼はここには戻らないから、さっさと出て行ってちょうだい」

 それだけ言うと、満足げに帰って行った。美佐子は緊張が解けてフラフラとその場に座り込んでしまった。

「信じない…。あんな人の言う事なんか、信じないわ」

 口元をきゅっと引き締めると、美佐子は濃い目のコーヒーを淹れて不安な気持ちを落ち着かせようと試みた。しかし、海斗がその夜帰ってくることはなかった。

 翌朝、出勤の準備をしていると、山田と三好が揃ってやってきた。佐伯がまだ帰っていないと聞いて、二人は顔を見合わせた。麗子の言動を聞くと、一気に表情が変わった。

「健さん。これ、ヤバいんじゃないか?」

「そうだな。長次郎、奥さんに店番頼んで来い。このままじゃまずいぞ」

 美佐子が不安げに見つめる中、二人はさっさと段取りをして三枝に会いに行くと言う。

「美佐ちゃん、俺たちが三枝さんに会ってくるよ。なにかあったら報告するから、とりあえずいつも通り店を開けておいてくれ」

「分かりました。その…、よろしくお願いします。後でお店に寄ってください。お待ちしています」

 二人を見送った美佐子は、いつも通りカフェを切り盛りしていた。ランチタイムを過ぎ、山田たちの連絡を待っていると、着古したスーツに身を包んだ一人の老人がやってきた。

「いらっしゃいませ」

 声を掛けたが、老人は席に着こうとする様子もなく、じっと美佐子を見つめていた。

「あの、お客様、どうされまし…!」

 不審に思って、老人に目をやると、目に一杯涙をためていた。

「美佐…。美佐なのか?」

 どこか懐かしい声、でも、それは掠れて疲れた声だった。

「カズさん、ですか?」

「そ、そうだ。俺だよ。ああ、生きててくれたんだ」

 とたんに老人は美佐子に駆け寄りカウンターに乗り出す勢いで手を差し伸べた。

「すまなかった。俺が、遺跡に夢中になりすぎて、おまえを危険な目に遭わせてしまった」

 震える声でそう懺悔する老人は、美佐子のかつての恋人、井村一成だった。しかし、そのしわがれた手を美佐子が握ることはなかった。

「お久しぶりですね。柳瀬さんと会われたのですね」

「ああ、学会に出席した際に、偶然会えたんだ。美佐にはどうしてもあやまりたかった。妙な男にこき使われて苦労しているんだろ? 俺が来たから、もう大丈夫だ。こんなところから早く出よう」

 一瞬、何を言われたのか美佐子には理解できなかった。今なら分かる。自分の都合のいい時しか会ってくれなかった人が、デートと称して自分の研究の手伝いばかりさせていた人が、避暑地に遊びに行こうと言って、あんな密林に連れて行き、危険も顧みずに自分の研究だけに邁進していた人が、そんなに簡単に許され、やり直せるはずがない。

「いいえ。結構です」

 井村は美佐子の返事など聞いている様子もなく、頷きながら厨房の中へと進んで来た。

「そうかそうか。やっぱり苦労したんだな。やっぱり俺でなくてはダメなんだろう?」

 その顔はすでに常軌を逸していて、身の危険を感じた美佐子は急いで距離を取る。

「どうして逃げるんだ? あんなに俺にすり寄って来ていたじゃないか。恥ずかしがることはないよ」

「すり寄る? そんなことしていません。あの頃の私たちは、何も分かってなかったんです」

 美佐子がじわりと距離を取ると、その分井村がにじり寄る。

「何も分かってないだと? それは学会の方だ。俺の長年の研究を確証がない戯言だと言いやがった! 一緒に研究していた柳瀬さんまで研究から手を引いてしまった。あの時、おまえが行方不明になってさえいなければ、柳瀬さんと共同研究ができたはずだったんだ。そうか…、そうだよ。おまえのせいだ。俺と付き合うって言ったじゃないか。こんなところにいないで、俺の研究の手伝いをしろよ」

 抵抗する腕を取って、力づくで引き寄せようとする井村を、ありったけの力を込めて蹴り飛ばした。飛ばされた井村が飾り棚にぶつかって、中にあったカップがガシャっと嫌な音を立てた。

「帰ってください!」

 美佐子が叫んだ時、ちょうど店のドアが開いて、山田が駆け込んで来た。

「美佐ちゃん、大変だ! 海斗が病院に運ばれた! 大したことはないらしいが、健さんが車で待ってるから、すぐに病院に行こう」

「ええっ! わ、分かりました。すぐに準備します」

 もう目の前の老人には目もくれず、美佐子は2階に駆け上がると、佐伯の着替えや保険証などを準備して戻ってきた。

「おい! まだ俺の話は終わってないぞ!」

「お客さん。どういうわけで厨房に入り込んでいるのか知らんが、悪いんだけど、緊急事態なんで帰ってくれ」

「おい! そんなこと言っていいのか? 本当にこれっきりになるぞ」

「さあさあ、帰った帰った」

 山田がごねる客をあやす様に井村の背中を押し出した。

「そうしていただけると助かります。では」

 美佐子は追い立てるように井村を店から追い出すと、さっさと鍵を閉めて三好の待つ車に乗り込んだ。車が走り出すと、山田がそっと振り向いて、ぼんやりと見送る男の様子を伺った。

「いいのかい? ありゃ、普通じゃなかっただろ?」

「はい。とても助かりました。でもそれより今は、海斗さんが心配です」

 美佐子は車の行く先をじっとみつめたまま答える。「まぁ、たしかに」と少し肩の力を緩めた山田だった。三好は、運転しながらここに至った話を語りだした。


つづく

読んでくださってありがとうございます。

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