283 分不相応な恋
「店長さんに聞いてみよう」
明日美がチラッと店長の方を見ると、穏やかな笑顔でゆっくりと近付いてきた。
「すみません。この店はSサイズを置いていないんですか?」
「申し訳ございません。店舗にはMサイズからしか置いていないんです。取り寄せすることもできますが、ウエストを詰めることもできますよ」
藤城皐月はこのパンツが気に入ったので、何とかこれに決めたいと思った。Sサイズを買っても、どうせすぐに穿けなくなりそうな気がしたので、オーバーサイズを買って直した方がいいんじゃないかと思った。
「試着してみたいな……。お姉ちゃん、いけそうだったらこれに決めちゃってもいい?」
皐月はあえて明日美のことをお姉ちゃんと呼んでみた。店長に姉弟だと思わせたいからだ。明日美は一瞬驚いたが、すぐに元の表情に戻った。
「いいけど、他に見なくてもいいの?」
「いい。俺、このパンツ気に入っちゃったから」
皐月は店長に案内されて試着室に入り、パンツを穿き替えた。予想通り、ウエストのサイズがメンズのMサイズでは太過ぎた。試着室のカーテンを開け、店長に見てもらうと、彼はお尻のベルトループの辺りを摘んで、チャコペンで印をつけた。
「これくらいならウエストを詰めても形が崩れないので、きれいに直せますよ」
ウエストをピン止めして、テーパードパンツを穿いた姿を鏡で見てみると、確かにデザインのバランスは崩れていない。ウエストが絞られたことで、むしろ皐月の好みになっている感じがした。
「体が大きくなったら元のサイズに戻せます。当店にお持ちしていただけましたら、無料でお直しします。その時に裾の丈出しもしますよ」
「本当ですか? 嬉しいな。でも元に戻すのは自分でやってみたいから、やり方を教えてもらえますか?」
「わかりました。お直しする時にご説明しますね。では裾上げの寸法を測らせてもらいます」
「あの……これからも身長が伸びると思うのですが、裾の長さって自分でも変えられますか?」
「はい。ご自身で裾直しをされる方もいらっしゃいますよ。縫製しないで『すそ上げテープ』というものを手芸センターで買って、アイロンで接着して寸法を直す方法もあります。このテーパードパンツはアイロンを使えるので、すそ上げテープはお薦めです」
「へ〜。じゃあ自分でなんとかなりそうだな……。お姉ちゃん、これ似合ってる?」
「うん。格好いいよ。よく似合ってる。女の子にモテモテになっちゃうね」
皐月には明日美の考えていることがよくわからなかった。明日美は本気で他の女にモテていいと言っているのか、あるいは姉の振りをして弟に彼女ができることを望んでいるのか。
「すみません。これ、買います」
「ありがとうございます」
皐月はモヤモヤを振り払うように購入を決めた。試着室のカーテンを閉め、ボトムスを穿き替えた。
脱いだテーパードパンツを店長に渡すと、縫製をする作業場までついて来るように言われ、直しの手順を教えてもらった。作業手順の写真を撮らせてもらえたので、元に戻すだけなら迷いなく自分でもできそうだ。直しは10分もかからないらしい。
この間、明日美は皐月のトップスを選んでいた。皐月が明日美のもとへ行くと、すでに選び終わっていたようだ。
「皐月、私のことお姉ちゃんって呼んだね。店員さんに姉弟と思わせてくれたんだね」
「だってしょうがないじゃん。俺が恋人じゃ、幼過ぎるだろ? 明日美に恥をかかせちゃうじゃん」
「皐月は気が利くんだね。でも、そんなことしたら辛くなっちゃうでしょ? いいのよ、恋人として振る舞ってくれても」
「ダメだよ。大人が小学生と付き合ったら犯罪だろ? やっぱりバレないように気をつけなきゃ……」
「大丈夫よ。誰も私たちが付き合っているなんて思わないから」
それはそれで屈辱的だな、と皐月は悔しかった。早く背を伸ばして、体つきも大きくしたい。見た目の雰囲気や立ち振る舞いなら、背伸びをすれば大人っぽくなれるかもしれない。今はその方向で頑張るしかない。
「ちょっとこの服、合わせてみて」
明日美に手渡されたのは白のクルーネックニットだった。白いルーズフィットのトップスと黒のテーパードパンツの組み合わせはコントラストが強い。
小学生にしては華やかに見え、色気がありすぎるような気がした。ユニセックスな感じが明日美の好みなのか。ストリートっぽいのは皐月の好みでもある。
「これならテーパードパンツとよく合うね。俺、この服気に入ったよ。でも両方買うと高すぎない?」
「思ったよりも安いね」
「高いよっ!」
母が考えていた予算は1万円だが、ここで買うものは上下合わせると4万円を超えている。皐月は明日美にこんな金額を出させることへの罪悪感と、母から預かったお金を自分のものにする背徳感で落ち着かなくなってきた。
「でもいいじゃない。皐月に似合っているんだし。それに皐月が格好良くなると、私が嬉しいから」
「さっき俺が女の子にモテモテになっちゃうねって言ったよな。俺が他の女からモテてもいいのかよ?」
「私はナンバーワンの芸妓なのよ。皐月はそんな私のことが好きなんでしょ?」
「……うん」
「私も皐月が学校で一番人気になったら嬉しいな」
明日美が芸妓の顔になっていた。のみならずナンバーワンの威厳さえ漂わせていた。
確かに皐月は時々見せる明日美の芸妓としての妖艶な美しさに惹かれていたが、今の明日美は皐月には近寄りがたい格の違いを感じる。今更ながら、皐月は明日美との恋を分不相応だと思い知らされた。
「でも、あんまり皐月が他の女の子からチヤホヤされると、嫉妬しちゃうかも……」
「大丈夫だよ。俺、モテねえから」
明日美の顔が芸妓から普通の女の子の顔に戻っていた。これでは自分のことを大好きな筒井美耶や、自分のことを好きかもしれない江嶋華鈴となんら変わらないと思った。
「じゃあ、そういうことにしておいてね」
明日美は微笑んでいるが、皐月には明日美の顔が今にも壊れてしまいそうなガラスの仮面に見えなくもなかった。