第九話 偽りの魔王
『母さん、勇者のときは上達早かったのになあ。性格が出てるのかもな……え? いや、別に、どういう意味でもないけどよ』
遠い記憶を再生するような、短い夢を見ていた。
夕焼けで赤らむ空間の中で、最愛の娘が笑っていた。
『やっぱさ、魔王が勝たないとな』
何にも代えがたいその幸福を、抱き留めようとした。
『——』
それでも、夢は終わる。
ライナを現実に引き戻したのは、全身の痛覚だった。一瞬遅れて、自分の状況を思い出す。
潰れた体は、もう機能しないと気づく。ほとんどの魔力を失い、死がすぐそばで待ち構えていることを悟った。
なぜ、こうなったのか。唯一理解できるのは、自分が失敗したこと。
「……ソウラ……」
約束を果たせなかった。
罪悪感がライナの胸を満たし、呟きがこぼれる。
そして、呟きを耳にして言葉を返したのは、ソウラではなかった。
「……ソウラはどこにもいないさ」
ぼやけた視界に、座り込んだ黒髪の少年が映る。
「……」
「俺がイオリ・コウヅキだ。通信機の問題を解決するように、賢者様に指示されてた。何が起こったのか教えてあげるよ」
神妙な面持ちで、伊織は語りだした。
「まず俺の正体から明かそうか。俺は魔術師じゃないけど、固有魔術、“分散”を持つ異世界人だ。それと、俺は訳があって不死身なんだ。魂に原因不明の大きな損傷があるけど、負魔力病を発症したりはしてない」
「……」
「俺は、あなたの動機が、娘のソウラを失ったことにあるって考えた……というより、そうとしか考えられなかった。だから、娘を囮にしてあなたを引きずり出そうとした。もちろん、娘はとっくの昔に魔物になってる……だけど俺は、あなたに『娘がよみがえったかもしれない』と思わせる方法を思いついた。まず賢者様に、俺の固有魔術のデータを偽装して登録してもらった。だから“逆行”なんて固有魔術は嘘だ。次に、最後の魔物を消滅させた。不死身の俺に食らいつかせることで、莫大な負魔力をすべて受け取れた……めちゃくちゃ苦しかったけどな。最後に、賢者様の命令で、俺の固有魔術によってソウラが復活したという偽のニュースを流させた」
「……」
「後は、あなたをどうやって殺すかだ。あなたを殺せば、“魔術解析”を持つ人がまた生まれて、その人に通信機の設計を変更させることができるからな。まず、罠にはめるには、あなたに何かを娘だと誤認させる必要がある。それと、その罠は“魔術解析”でばれないようにしないといけない。この二つの問題は、俺の魂が深く損傷してることで解決できた。魂だけなら、俺と負魔力病患者の区別はつかない。それに、俺の魂の内部を観察することは、損傷によって不可能になってる。だから、この中に術印を仕込めば……つまり、俺が自分自身に魔術を使えば、その術印は見つからない。その術印によって、俺は自分の体を保護しつつ、できる限りの速度であなたに衝突しつづけた。俺に魔力はないけど、ヒュリエさんの“放出”で魔力を貰うことで、一時的に魔術が使えた……これが事の顛末だ。まあ、あなたが娘への愛を失ってないことにすべてを賭けた策だったって訳だ」
語り終え、伊織は一息つく。だが、彼にはまだ仕事があった。
「今度はあなたから話を聞かせてほしい。聞きたいことが、三つある」
「……」
「といっても、あなたが本当のことを話してくれるとは限らないけどな……あなたの経路を辿って隠れ家を調査するし、ここで話を聞く意味はあんまりない。けど、俺が個人的に聞きたいことがあるんだ」
「……」
「一つ目。ファノールドの魔術師、タノス・ファナクスと関わっていたか?」
しばしの沈黙ののち、ライナは小さく呟いた。
「いいえ……」
「そうか。じゃあ二つ目。タノスから魔王と呼ばれることに、心当たりはあるか?」
「……」
魔王。その言葉を聞いて、不意に思い出が浮かぶ。
ライナは、最後の涙をこぼした。
「……いいえ……私は、魔王にはなれなかった……」
「分かった……これが最後だ。動機は、娘を失ったことで合ってるか?」
「……」
再びの沈黙。伊織が先に口を開いた。
「のちの夫、ヨルンによって発覚するまで、ずっと虐待を受けつづけた。授かった子は負魔力病で、夫は出産に反対し、研究費を出すかわりに、あなたと娘、二人との関係を絶った。研究を続けても治療法は見つからず、娘は魔物と化した……世界に絶望しても不思議じゃないと思う」
「……ええ。でも、それは理由じゃない……ソウラとの、最後の約束だったのよ。生まれてきたことを悔やむような人生をなくせないなら、いっそ、その人たちのために、世界を滅ぼしてほしいって……」
「……」
「世界を滅ぼすまでの間に生まれてきてしまった、生まれてきたことを悔やむような人が、せめて苦しむことなく死ぬことができるように、通信機を設計したわ。そして、通信で使われる魔力を大きな空術印に溜めて、この星を壊そうとした……分かってたわ。結局、世界を否定しない人がほとんどで、その人達にとって、私の行為はただの悪でしかないって。でも私は、ソウラとの約束を果たしたかった……それだけよ。さあ、私を殺してちょうだい……」
すべては終わったと、目を閉じるライナ。
「……ああ、そうするよ。でもその前に、一つだけ言っておこうか」
伊織はゆっくりと立ち上がり、ライナの目前に立った。
「この事件は隠さずに、全世界に真相を発信してもらうように、賢者様に頼んでおく。もしそれが無理だったら、俺が自分で伝えていく。生まれてきたことを悔やんで、世界を否定しているような人達に、そんな人達のためを思って本当に世界を滅ぼそうとした、あなたのような人がいたって知らせるためだ。それは、その人達にとっての、せめてもの救いになると思う。そういう人達を救いたいって理由のソウラの願いを、違う形でだけど、少しだけ叶えられるんじゃないかな……」
「……」
ライナが最期に作った表情は、微笑みだった。
「ありがとう……あなたは、優しいのね……」
「……じゃあ、さよならだ。覚悟はいいか?」
「ええ……」
伊織はライナに術印を刻む。免疫の働きにより、魔力が完全に失われる。
ライナは、静かに息絶えた。
「……俺は優しくなんかない……普通の人間だよ……」
ライナの死を確かめ終えた伊織は、もう誰にも届かない、その言葉を吐き出した。
◆
その山頂から見えるのは、田舎とも都会とも言い難い、微妙な地方都市の風景だった。それでも、離島で生まれ離島で育った伊織の目には、新鮮に映った。
「天気もいいし結構遠くまで見えるな。おっ、あれ伊織の島じゃね?」
「ああ、そうだよ」
夏休みに入って間もないその日、二人で遊ぼうと誘ったのは剛弘だったが、山に登ることを提案したのは伊織のほうだった。
高所からの景色が好きだった。故郷の島にある山に、よく登っていたことを思い出す。
「伊織が島にいた頃のエピソードとか、聞かせてくれよ」
「……えっと、そうだな……」
何気ない剛弘の一言を受けて、伊織は思案した。
少し躊躇ったが、せっかくの機会だと考え、剛弘に秘めてきたことを少しだけ話すことにした。
「……ちょっと変わった友達がいてさ。よく遊んでたんだよ」
「そいつはどう変わってたんだ?」
「なんというか、まあ空気読めないやつだったんだ。人があえて触れないようなところに、ずけずけと物言いしてくるもんだからさ、まあ他人からの印象はわりと悪かったな。だから遊ぶときは大体いつも、そいつと俺の二人だけだった」
「へえ……まあ、確かに変わってると言えば変わってるな」
「いや、それだけじゃないんだ」
伊織は故郷を見つめたまま、淡々と話を進める。
「それにそいつは結構だらしないやつで、しょっちゅう忘れ物して俺に借りてきたり、待ち合わせに平気で遅刻したりしてさ。そのくせこだわりが強くて、俺がやんわり注意しても、自分のスタイルを変えようとはしなかったんだよ。そんなのでも、勉強はすごくできるやつだったんだけどな……」
「うーん……伊織って懐が深いんだな」
「……」
その言葉を聞いて、伊織は目線を足元に落とす。
「いや……結局、苛立ちがつもり重なって、俺はそいつにキレちゃったんだよな。それもかなりの剣幕で。そしたらそいつ、遠くに行っちゃってさ、連絡も取れなくなって。だから、俺はそのことを謝れてない……」
「……」
剛弘は、伊織に笑顔を向けた。
「伊織は、ちょっと優しすぎるな」
「……どこがだよ」
「そんなやつのこと忘れりゃいいのに、そうやって自分を責めてるじゃねえか」
「悪いのは俺じゃなくて、そいつだって言いたいのか?」
「そりゃそうだろ。普通の人間なら、いちいちそんなことで自分が悪いって思わねえよ」
剛弘は自分への善意で話しているのだろう。伊織はそう思いつつも、彼の言葉を素直に肯定することができなかった。
「……じゃあ、俺は普通の人間だよ……少なくとも、そいつにとっては。だって、最後にそいつが見た俺はキレてて、一度も謝らなかったんだからさ……」
◆
その日、伊織とシェミカはテュオキズに呼ばれ、庁舎に赴いた。
「トートスとゼイネには今、ライナの隠れ家の調査をさせている。どうやらライナは、世界の残酷さを見つめるためとして、全世界の死亡者の死ぬ直前の様子を、通信機を利用して記録し、しばらくの間保存していたようでな。タノスの死の様子が保存されていないか、探らせているところでもある」
ライナとタノスの関係を示す証拠は今のところ見つかっておらず、タノスのメモの情報源は、未だ不明だった。
「そして今日は、イオリの持っていた手帳の内容を知るために来てもらった。世界滅亡が防がれたとはいえ、“魔術解析”を持つ者が生まれ、設計を変更できるまでは、“自殺術印”の問題は解決しない。だがタノスのメモが説得力を持つ今となっては、私にとっても手帳の内容が重要なことになるかもしれないのでな、こちらで開錠させてもらった……君達より先に読むのは躊躇われたので、まだ内容を確認してはいないがな。“開錠”を持っていたのは私の孫であるミュシエだ。魔術師ではなかったが、ヒュリエが魔力を渡すことで開錠に成功した。では確認していこう」
テュオキズは預かっていた手帳を開き、手をかざす。二人の目前に、最初のページの内容が映った。
『愛するお母さんへ
これは、私の人生を記した手記だよ。
私が追放された先の世界で何をしたかを、お母さんに知ってほしいんだ。
これを知ってお母さんが何をしても、私は受け入れるよ。お母さんがこれを読むころには、私は死んでいるだろうけど。
死ぬまでお母さんを愛しているよ。
レキより』




