第十話 リミニアとユシェル その四
リミニアが異世界に降り立っておよそ半年。彼女の帰還の旅は、ほどなく終わりを迎えようとしていた。
「張ったテントで寝るのも、今日が最後よ。なんだか、少しだけ名残惜しいわね」
「うん……」
「せっかくだから、私が持ってきたお菓子、食べられるだけ食べてしまいましょう。途中で無くなってしまったら悲しいから、ずっと残しておいたの」
リミニアは菓子を取り出し、口にしはじめる。
「ユシェル、食べないの?」
「……お腹すいてない」
「ふふっ。ユシェルは、お腹がすくことはないじゃない。それとも、甘いものは好きじゃないのかしら?」
「……ううん。じゃあ、ちょっと食べるね」
ユシェルも、菓子を手に取った。
「それにしても、本当に長かったわね。その分、ユシェルに色々と教えてあげられたけど」
「……うん」
「最後に一回、授業をしましょうか。ユシェル、教えてほしいことはある?」
「……えっと……」
ユシェルの視線が、少し揺れる。
「……これだと、授業じゃないかもしれないけど……リミニアのしたいことってある?」
「あら、それでいいの? 私のしたいことは、世界を楽園にすることだけど……」
「えっと、その……ほんとに、それだけなの?」
「ええ、そうよ。ふふっ、信じられないかしら?」
「……じゃあ、世界を楽園にできたら、その後にしたいことってないの……?」
「……」
リミニアは、ふと上を向いた。
「そう言われれば……考えたこともなかったわ。うーん、そうね……」
目を閉じ、珍しく難しい顔をするリミニア。
「……そうね、世界中を旅して、色々な景色を目に焼き付けてみたいわ。そういえば、この世界の旅も楽しかった……後は、色々なおいしいものを食べてみたいかしら。私の世界は貧しい人がたくさんいて、その人達を思うと、こうしてお菓子を食べるのも後ろめたく感じてしまうし……ふふっ。ユシェルとこの世界にいたら、元の世界のことを少し忘れてしまって、自分のことを楽しんでしまうみたい」
「……そっか……」
「でもやっぱり、一番の願いは、みんなを幸せにすることね。そうでないと、胸のつかえを感じてしまうわ」
それはリミニアの、どうにも変えようのない性質だった。
「リミニアは、ほんとに優しいんだね……」
「優しいというより、つい気になってしまうのよ。それだけよ。それに私は、力を持って生まれてきたもの」
「……そっか」
ユシェルの様子は、普段より少しだけ大人しく、元気がない。リミニアは、彼の明るい表情を見たくなった。
「ユシェル、私からも聞いていいかしら?」
「えっ……いいけど……」
「ふふっ、ありがとう。ユシェルは私の世界に来たら、何かしたいことはあるの?」
今度はユシェルが目を丸くする。
「……えっと……リミニアの世界に行ってどうなるのか、分からない……」
「そうね、最初は色々な検査を受けることになると思うわ。それが終わったら、負魔力が湧いてくるのをどうにかしないといけないから……結局、定期的に私と会うことになりそうね。ヒュリエさんの“放出”で魔力を受け取ることでも負魔力は打ち消せるけど、魔力量は断然私のほうが大きいもの。そうすると、ファノールドの国籍が欲しいわね」
そもそも、ユシェルがどういう扱いを受けることになるかは、賢者テュオキズの判断にほとんどが委ねられるだろうと、リミニアは確信していた。
それでもリミニアは、ユシェルに希望を持たせようと、明るい未来を語った。
「そうしたら、まだまだ授業ができるわね。ふふっ」
「……そっか……じゃあ、リミニアと一緒に、楽園を作りたいな……」
「……ユシェル? どうしたの?」
ユシェルの目が潤み、声が震える。
「……リミニアと、離れなくていいのが……嬉しくて……」
「……ええ。きっと、一緒にいられるわ」
(賢者様も、この子を苦しませるのは良心を痛めるはず。それに、私の魔力が失われていくことは、賢者様にとって好都合だもの……きっと、上手く説得できるわ)
子どもが親離れするように、いつかユシェルも自分から離れるべきであり、自分はユシェルが離れられるように努力するべきだ。リミニアはそう思っていた。
だが、それはまだ先の話だとも思っていた。少なくとも、負魔力の問題を解決するまでは、そうすることはユシェルを苦しませることになるのだから。
翌日、二人は装置の元へ辿り着くことを目指した。想定より距離は長く、夕方になっても辿り着かなかったが、テントを張らずに進みつづけた。
そして日が沈み、星々が空を満たすとき。ついに二人は、装置の目前に立った。
「やっと、やっとね……」
その装置がある街の跡には、街灯の術印がまだ残っていた。それによって、装置を遠くから見つけることができた。
「ぎりぎり二人で入れそうね。ユシェル、あなたから先に入ってくれないかしら? ユシェルのほうが大きいから、そのほうが入りやすいと思うわ」
「……」
「……ユシェル?」
ユシェルは、動こうとしなかった。
「どうしたの……?」
「……リミニア、ぼくと最初に話したときのこと、覚えてる?」
地面に顔を向けたまま、ユシェルは呟いた。
「……? ええ、覚えているわ……」
「……ぼくがどうして地下にいたか話したとき、ぼくの様子を見て、リミニアは話を止めたよね……」
「……」
「……あの話には続きがあったんだ。あのときは自分でも、どういうことか分かってなかったことだけど、リミニアから色々教わった今なら分かるんだ……」
ユシェルは顔を上げる。その表情は、痛々しいほどに暗かった。
「ごめんね、リミニア……ずっと隠してた。部屋に落とされる直前に、お母さんから話を聞かされたことも。リミニアと会ったときの話の続きも……」
「ユシェル……」
「ぼくはリミニアの世界に行けない……行っちゃいけないんだ」
ユシェルは涙を溜めながら、その真実を明かした。
「ぼくは、楽園を滅ぼした魔王だから……」




