第八話 ソウラ
カーテンの隙間から光が漏れる、病院の白い一室。
赤髪の少女が、ベッドの上でゲーム機の画面をにらんでいた。
その日に予定されていた面会は少女にとって、忌まわしいものであり、待ち遠しいものでもあった。
「ソウラさん、お母さんがいらっしゃったわよ」
「……入れていいけど」
ソウラは画面から目を外さずに、看護師の言葉に答える。看護師は苦笑いして、赤髪の女性——ライナを部屋に案内して立ち去った。
「……」
「……」
小さい頃は月に一度ほどだった面会の頻度は、ライナが負魔力病の研究に忙殺されていくにつれて、次第に減っていった。今回の面会は、ソウラが十歳のとき以来であり、実に四年ぶりだった。
「……」
「なんで黙ってんの?」
「……ずっと会えなくてごめんなさい。でも研究が一段落したから、これからは——」
「なあ、全部お前が悪いって分かってる?」
「……」
ソウラはゲームの手を止めて、ライナのやつれた顔に視線を向けた。
「四年経っても、この病院の負魔力病患者は私だけだよ。当たり前だよな。普通、生む前の検査で負魔力病って分かった時点で中絶するから。お前も生まなきゃ良かったんだよ。父さんは生むのに反対したらしいじゃん」
「……」
「まずさ、子どもを作るっていう行為が悪いんだよ。勝手じゃん。同意してないじゃん。生んでくださいなんて、私言ってないよな? 子どもを幸せにできる算段がついてるならまだましだよ。不幸になる可能性を完全に排除することなんてできるわけないから、悪いことに変わりはないけどな。でもお前は、胎児のうちに殺しとかないと苦しみ抜いて魔物になるのが分かりきってるのに、あるかも分からない治療法に頼ろうとしてさ……ふざけてるだろ。なんで生んだんだよ」
恨みが、憎しみが、ソウラの胸中で溢れる。
発作時の苦しみは負魔力病が進行するにつれて大きくなり、それを感じるたびに、ソウラは世界の理不尽さについて考えた。どうして自分がこんな思いをしなければならないのかという疑問が、頭の中で回り続けた。
そしていつしか、そんな理不尽な世界に自分を産み落とした母を恨むようになった。幸福が保証されていない人生を子どもに歩ませることが許せなかった。
そのうちソウラは、出生を肯定する人々すべてに憎しみを募らせはじめた。滅んでしまえと願った。その中でも母は、とりわけ憎かった。
だから、会う機会は忌まわしく、傷つける機会は待ち遠しかった。
「……」
「なんで生んだかって聞いてんだよ!」
ライナの弱った姿と落ち着いた様子は、むしろソウラの怒りを激しくさせるものだった。
「……世界は理不尽じゃないって、信じてたからよ」
「はあ?」
ライナは弱々しく微笑む。
「そうね……お父さんは、最初は生むのに反対していた。お父さんだけじゃない、会う人みんなに、生まないほうがいいって言われたわ。でもお母さんは、信じてた……世界は、本当は残酷じゃないって。ソウラが幸せに生きていけないって決めつけるほうが、間違ってるって思ったの……」
「ああそうかよ! だから治療法が見つかるのに賭けましたってか!? あのさあ、それが外れたときの代償を払うのは私なんだぞ! 不確かな希望なんかに縋り付くんじゃねえよ! そしたら私もお前も苦しまずに済んでたんだよ……っ!」
「……」
「っ……はあっ、はあっ……」
乱れた息を整えるソウラ。罵倒を再開しようとしたとき、ライナが口を開いた。
「……ソウラ、何か好きなことはある?」
「は……いきなり何言って……いや……」
突然の問いかけに一瞬あっけにとられるが、ソウラはライナを傷つけるために回答を考えだした。
「……そうだな、最近はこのシミュレーションゲーム。プレイヤーキャラが勇者と魔王、二つのモードがあるんだけど、魔王のほうで世界を滅ぼすのが面白くてさ。現実の世界もこんな感じで滅んでくれないかなって。後はまあ、他人の不幸話だな。聞けば聞くほど、この世界がクソってことが良く分かるからな」
「そうなの……お母さんの不幸話なら、聞かせてあげられるわ」
「は? いや、お前が今不幸なのは自業自得だろ。聞いても意味ないじゃん」
「ソウラを生むより前、子どもの頃の話よ」
「あっそ。じゃあ聞いてやるよ」
その話からライナ自身の非を見つけ出して罵るのが、ソウラの目的だった。
ライナは、微笑んだまま語りはじめる。
「お母さんの通っていた学校には、毎日少しだけだけど給食があって、アレルギーがなければ必ず食べきらないといけなかったの。お母さんにはアレルギーはなかったけど、食べたくない理由があって、毎回下校中に、人に見つからないように全部吐き出してたわ。けどある日、吐いてるのを同じクラスの子に見られちゃってね。それを知った先生に、クラスのみんなの前でしこたま怒られちゃった。それで、給食の時間から家に帰るまでは、吐かないように先生がついて見張るようになったの」
「それのどこが不幸話なんだよ。何から何までお前が悪いだけじゃねえか」
ソウラは拍子抜けする。だがライナの話は続いた。
「今でも覚えてるわ。下校中に吐けなかった最初の日、家に帰って親の前で吐いたときの、二人の怒り狂った様子」
「……?」
「学校から帰った後は、まず親の前で吐いて、何も食べてないことを証明しないといけなかったわ。それが給食を食べたくない理由だったの」
「は……? なんでそんなこと……」
話が飲み込めず、ソウラは困惑した。
「……お母さんが固有魔術を持ってるのは覚えてるでしょう? 固有魔術を持ってるのに、賢者会に入れるだけの才能がなかったのが、両親にとって許せなかったみたい。それで、色々な罰を受けたの……毎日殴られたわ。傷が残るといけないから、お母さん自身が魔術で治せる程度にね。それと、食事もほとんど与えられなかった。お母さんは魔術師だから、ある程度食事をとらなくても生きていけるの。だから、魔術師じゃない両親が優先だって。それで、給食を食べるようになってからは、体罰も激しくなったわ」
賢者会に入会できなかった新生児の固有魔術が明かされないようになったのは、ヨルンによって、ライナへの虐待が発覚してからのことだった。
「……」
「……どう? ソウラが聞いて来た中だと、どれくらいの不幸だった?」
「ま、まあまあだな……てかさ、そんな経験しといてよく世界は残酷じゃない、理不尽じゃないなんて言えるよな。ほんとは分かってるんじゃねえのかよ」
「でも、お母さんは今ソウラとこうして話せるのが嬉しくて、生きてて良かった、この世界に生まれて良かったって思ってるわ。だから両親にも感謝してるの」
「……お前がなんて言おうと私は、お前も世界も憎みつづけるからな」
ライナは、ソウラの言葉に反論せず、ただ微笑みを保っていた。
「じゃあ、もう少し不幸話をしようかしら」
「もういい、帰れ。ゲームの続きするから」
そう言ってソウラは、ゲーム機を手に持ち、ライナから顔をそむける。
「……ソウラ、お母さんと話してくれてありがとう。また近い日に来るからね」
「……」
扉の閉まる音が聞こえる。ソウラは自分の感情の全容をつかめなかった。
その次の面会は、ソウラの予想よりも早かった。
「ソウラさん、お母さんよ」
「えっ……」
看護師が去り、ライナが姿を見せる。
前より少し、気力を取り戻しているように見えた。
「ソウラ、調子はどう?」
「お前の顔を見て悪くなった。不幸話はもういいから帰ってくれ」
「不幸話はしないわ。その代わり……ほら」
ライナが鞄から取り出したものに、ソウラは驚く。
「それ……」
「ソウラがやってたゲーム、二人で対戦して遊べるって書いてたから」
「そのためにわざわざ買ってきたのかよ……言っとくけど、このゲームかなり難しいから、私とお前じゃ勝負にならないと思うぞ」
「どうかしら? 研究の合間に、少しは練習してきたわよ」
「ははっ……」
ソウラは思わず顔を緩ませた。
「分かった、対戦してやるよ」
「ほ、ほんと? ありがとう……!」
「私が魔王で、お前が勇者な。じゃあ始めるぞ」
その対戦はほどなくして、魔王の圧勝で終わった。
「うーん、やっぱりソウラは強いのね」
「そりゃそうだろ。どれだけこのゲームで暇つぶしてると思ってんだよ。特に魔王は得意だしな」
「じゃあ、今度はハンデで、ソウラが勇者、お母さんが魔王で対戦してくれないかしら?」
「は? 嫌だよ。それだと世界が救われちまうだろ」
「……分かった。でも、いつか勝ってみせるわよ」
その宣言が現実になるまでに、さほど月日は経たなかった。
「うー……」
「ふふっ、これで五連勝ね」
夕日に照らされながら、対照的な表情を浮かべる二人。
「認める。母さんは強くなったよ。だから今度からは、母さんが魔王で私が勇者な。やっぱ世界が滅びないと気が済まねえよ」
「分かったわ。でも、だからといって手を抜くのは駄目よ? お母さんも全力で戦うから」
「はいはい」
キャラクターを交代してからは、再びソウラが勝つようになった。
ライナは勇者としての技量はあったが、魔王としての技量はなかなか育たなかった。
そして面会の頻度は再び減っていき、ライナが魔王として勝つことはないまま、その日は訪れた。
「……万一、魔物化が始まったら、すぐにボタンを押してくださいね……どうか悔いのないように……」
窓の無い隔離部屋の外からわずかに、看護師の声がソウラの元へ届く。
そして、鍵の外れる音と共に、ライナは姿を現した。透明なカプセルに覆われた、ソウラの前に。
「……」
「……」
ソウラを蝕む病は最後の段階に移行し、常に激痛が全身を覆っていた。
少しでも苦痛を和らげるために、薬によってまどろむ日々が続いた。だが、この日は最後に特別に許された面会のために覚醒していた。
「ソウラ……」
「……何? 母さん……」
「……っ」
「研究は、どうだよ……治療法、見つかりそうか……?」
ライナは涙を浮かべながら、首を横に振る。
「ごめんなさい……っ」
「……だろうと思ったよ……だから言ったろ……? この世界は、クソだって……残酷で、理不尽なんだよ……」
「……全部、ソウラが正しかった……お母さんが、ソウラを苦しめた……本当にソウラのためを思うなら、こんな世界に生むのが間違いだった……!」
「母さん……」
ソウラは痛みの中で、懸命に笑顔を作った。
「……私を生んでくれて、ありがとな」
「……」
「ごめんを言うのは、こっちだよ……やっと気づいたんだ……母さんが、どれだけ優しかったか……私をどれだけ愛してくれてたか……私のために、どれだけ頑張ってくれてたか……」
「……」
「……こんな世界に生まれたのにさ……私、ほんとに幸せだったな……母さんの子どもだったからだよ……」
「……っ……ソウラぁ……!」
カプセル越しに、二人の手が合わさる。
ソウラの手は震えながらも、母のぬくもりを少しでも感じようと、必死でカプセルに触れていた。
「ありがとう……お母さんも、ソウラのお母さんで幸せだったわ……なのに、ソウラにこんなに苦しい思いをさせて……ソウラの望むことを何一つ、叶えてあげられなかった……!」
「……別に、私に望みなんて……ああ……そういえば、ゲーム……結局、母さんは世界を、滅ぼせなかったよな……ははっ……それくらいが、心残りかな……」
「……ソウラ、お願い……何でも言って……せめて、お母さんに罪を、償わせて……」
「……」
ソウラは目を細め、鈍い思考の中で逡巡し、決心した。
「じゃあさ……この、残酷で、理不尽な世界を、滅ぼしてくれよ……」
「……」
「私は、運が良かったんだ……不幸なまま死んでいく人は、この世界に絶対いるし、これからもきっと、生まれてくるんだよ……私には、母さんがいたけどさ……母さんが、みんなの母さんには、なれないだろ……だからせめてさ、こんな世界、終わらせてやってくれよ……」
「……ソウラ、ごめんなさい……お母さんに、そんな力は……」
「あるって……だって、母さんだしさ……私が勇者だったから、滅ぼせなかっただけだよ……ははっ……っ」
母と遊んだ記憶が、混沌としていた脳内に、鮮明に映し出される。
もう、あの日々には戻れない。
ソウラの目から、涙が溢れた。
「……なあ、頼むよ、母さん……それだけが、私の望みだから……」
嘘だった。
負魔力病を治してほしかった。勇者として、魔王になった母に負けたかった。
母のそばにもう少しだけ、いつづけたかった。
「……分かった……約束するわ……」
「……ありがと、母さん……」
それでも、その望みは言えなかった。
自分は幸せだったと、証明したかったから。
他人の不幸に思いを馳せられるほど、ソウラは満ち足りていたと、母に思ってほしかったから。




