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一ニ三五村のどろどろ様~火車女教授の現代妖怪譚~  作者: 綺村 亮介


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55/57

55_【本祭】・平八郎



「こっちよ、トーノ!」



 頼り強い声が――今一番聞きたかった声が耳に届いた。

 見ると、村の入口から真っ赤なバイクがわたしに向かって走ってくる。


「トーノ!!」

 わたしの一番の憧れであり、一番の希望の人が手を差し伸ばす。


「はい、火車さん!!」

 わたしはその手を掴み取り、飛び上がって一気にサイドカーに乗った。


「なっ……!?」「待て! 止まれ!」「逃がすな! 捕まえろ!」

 そうはさせまいと、村人たちがバイクに群がってくる。


「行くわよ! 舌を噛まないようにね!!」

 火車さんはバイクのエンジンを限界まで吹かし、フルスロットルで走らせる。


 あっという間に一ニ三五村は遠くなり、村人たちの姿も、声も聞こえなくなっていた――。



 ※--------------※



 山のうねり道を、ギリギリの速度で下っていく。

 そしてだいぶ距離が空いた所で、火車さんはようやく速度を落した。


「……ごめんなさい」

 火車さんの声は、いつもの自信満々な響きではなく、少しだけ震えていた。


「え……?」

「こんなに遅くなってしまってごめんなさい……。本当にギリギリだったなんて……」

 火車さんが、ハンドルを握る手に力を込めたのが分かった。

 悔しさと情けなさが伝わってくるようだ。


 わたしを助けるために、どれだけ必死になってくれていたのか。

 そう思ったら、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れた。


「……こ、怖かったです……!」

 言葉にした瞬間、涙があふれてきた。

 もう、止められなかった。


「ほ、本当に怖かったんです……! もう死んじゃうんじゃないかって……! みんな、わたしのことを仲間だって言ってたのに、いきなり殺そうとするなんて……!」

 わたしは子どものように、サイドカーの中で泣きじゃくった。

 涙と鼻水で汚してしまうかもしれない。


 でも、火車さんは何も言わなかった。

 ゆっくりとバイクを止め、わたしの頭を優しく撫でてくれた。


「うん、大変だったわね」

「火車さんが来てくれて……本当に、良かったです……!」

「うん、トーノが無事で良かったわ。本当に……本当に良かったわ」

 その温もりに、わたしは心の底から安堵した。



――ガチャリ。



 静かな山道に、冷たく、重々しい金属音が響き渡った。

 それは、聞き覚えのある音だった。


「……感動の再会中、邪魔して悪いがな……」

 その声に背筋が凍りついた。

 わたしは、ゆっくりと顔を上げる。

 そこには――。


「平八郎、さん……?」

 相棒の小銃――三十年式歩兵銃を構えた平八郎さんが立っていた。


 いったいどうやって追いついたの……?

 村から数キロは離れているハズなのに……。


「へっ、ジャングルに比べりゃあこんな山道、大したもんでもねぇさ」

 よく見れば、茶色のツナギは泥まみれになっていた。

 驚いたことに、平八郎さんは崖のような山道を一直線に走ってきたようだ。

 確かにわたしたちは、山のうねり道で時間のロスはあった。

 だけどまさか、バイクに追いつくなんて……。


「や、やめてください、平八郎さん! もう終わったんです! 全部! 一ニ三五村も、不老のことも!」

「なぜ止めなくちゃならねぇんだ?」

 平八郎さんは表情一つ変えずに引き金に指をかけた。


「あんたは奪ったんだ。我々の希望を。生きる意味を。……そして、おりゃあの大事な任務を」

 銃口が、月明かりを反射して鈍く光る。

 純粋な殺意が、肌を刺すように伝わってくる。

 火車さんは私を庇うように身構えた。


 あんなに必死になってわたしを助けてくれたのに。

 仲間だ、家族だと親切にしてくれたのに――。


 優しかった平八郎さんは、もう居なくなっていた。

 そこにいるのは、命令に忠実な『兵隊さん』だった。


「……トーノさん、アンタにゃどうしても聞きてぇことがある」

 引き金に指をかけたまま、平八郎さんは問い詰めてきた。


「【どろどろ様】が一ニ三五村を出たのは、本当に……トーノさんのせいなのかい?」

 平八郎さんの声は、怒りとも悲しみともつかない、複雑な響きを帯びていた。


「……正直に言えば、本当に分からないんです……。いきなり光ったかと思えば、地震が起きて、それから……」

 それから、【どろどろ様】は一ニ三五村を去っていってしまった。


「【どろどろ様】は、これまでの仕打ちにずっと怒っていたのか? 【どろどろ様】は……ずっと村を出たかったのか?」

「それも……分からないです……」

 どうしてああなってしまったのか、むしろわたしが聞きたいぐらいだった。


「……ただ……」

 わたしは、【どろどろ様】のお肉を口にした時を思い出していた。

「ただ、わたしは願ってしまいました。可哀想だなって。ここから出してあげたいなって……」


「……可哀想、か……」

 それを聞いた平八郎さんは、大きなため息を――数十年分溜め込んできたような、深い深いため息を吐いた。


「ああ……そうだな。その通りだ。あの地下に行く度に、おりゃあも何度もそう思ったよ……」

 平八郎さんは――静かに小銃を降ろした。


「それが任務だ、それが役割だ、それが大番だ、って……ずっと自分に言い聞かせてきたんだ。そりゃおりゃあだって長生きしてぇがよ、妖怪さんをあんな暗ぇとこに閉じ込めて、罰当たりなまま生きながらえるのは、なんか違ぇなってずっと思ってたんだよ……」

 平八郎さんは、どこか憑き物が落ちたような顔をしていた。


「ああ……今なら分かるよ。【どろどろ様】がトーノさんを【祭】に招待した理由が」

「本当ですか? その、どんな理由なのか教えて下さい」

 ずっと気になっていたことだった。

 火車さんが選ばれなくて、わたしだけが選ばれた理由とはいったい何なのか。


「そいつはな……トーノさんは『底なしのお人好し』、ってこった」

 そう言って、平八郎さんはカラカラと笑った。

 火車さんも「間違いないわね」と小さく呟いて笑っていた。


「……達者でな、トーノさん」

 平八郎さんがそう言うと、火車さんは無言でアクセルを回し、バイクを走らせた。

 バックミラーに映る平八郎さんの姿が、どんどん小さくなっていく。


 その背中は、どこか寂しげで、でも誇らしげにも見えた――。



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