55_【本祭】・平八郎
「こっちよ、トーノ!」
頼り強い声が――今一番聞きたかった声が耳に届いた。
見ると、村の入口から真っ赤なバイクがわたしに向かって走ってくる。
「トーノ!!」
わたしの一番の憧れであり、一番の希望の人が手を差し伸ばす。
「はい、火車さん!!」
わたしはその手を掴み取り、飛び上がって一気にサイドカーに乗った。
「なっ……!?」「待て! 止まれ!」「逃がすな! 捕まえろ!」
そうはさせまいと、村人たちがバイクに群がってくる。
「行くわよ! 舌を噛まないようにね!!」
火車さんはバイクのエンジンを限界まで吹かし、フルスロットルで走らせる。
あっという間に一ニ三五村は遠くなり、村人たちの姿も、声も聞こえなくなっていた――。
※--------------※
山のうねり道を、ギリギリの速度で下っていく。
そしてだいぶ距離が空いた所で、火車さんはようやく速度を落した。
「……ごめんなさい」
火車さんの声は、いつもの自信満々な響きではなく、少しだけ震えていた。
「え……?」
「こんなに遅くなってしまってごめんなさい……。本当にギリギリだったなんて……」
火車さんが、ハンドルを握る手に力を込めたのが分かった。
悔しさと情けなさが伝わってくるようだ。
わたしを助けるために、どれだけ必死になってくれていたのか。
そう思ったら、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れた。
「……こ、怖かったです……!」
言葉にした瞬間、涙があふれてきた。
もう、止められなかった。
「ほ、本当に怖かったんです……! もう死んじゃうんじゃないかって……! みんな、わたしのことを仲間だって言ってたのに、いきなり殺そうとするなんて……!」
わたしは子どものように、サイドカーの中で泣きじゃくった。
涙と鼻水で汚してしまうかもしれない。
でも、火車さんは何も言わなかった。
ゆっくりとバイクを止め、わたしの頭を優しく撫でてくれた。
「うん、大変だったわね」
「火車さんが来てくれて……本当に、良かったです……!」
「うん、トーノが無事で良かったわ。本当に……本当に良かったわ」
その温もりに、わたしは心の底から安堵した。
――ガチャリ。
静かな山道に、冷たく、重々しい金属音が響き渡った。
それは、聞き覚えのある音だった。
「……感動の再会中、邪魔して悪いがな……」
その声に背筋が凍りついた。
わたしは、ゆっくりと顔を上げる。
そこには――。
「平八郎、さん……?」
相棒の小銃――三十年式歩兵銃を構えた平八郎さんが立っていた。
いったいどうやって追いついたの……?
村から数キロは離れているハズなのに……。
「へっ、ジャングルに比べりゃあこんな山道、大したもんでもねぇさ」
よく見れば、茶色のツナギは泥まみれになっていた。
驚いたことに、平八郎さんは崖のような山道を一直線に走ってきたようだ。
確かにわたしたちは、山のうねり道で時間のロスはあった。
だけどまさか、バイクに追いつくなんて……。
「や、やめてください、平八郎さん! もう終わったんです! 全部! 一ニ三五村も、不老のことも!」
「なぜ止めなくちゃならねぇんだ?」
平八郎さんは表情一つ変えずに引き金に指をかけた。
「あんたは奪ったんだ。我々の希望を。生きる意味を。……そして、おりゃあの大事な任務を」
銃口が、月明かりを反射して鈍く光る。
純粋な殺意が、肌を刺すように伝わってくる。
火車さんは私を庇うように身構えた。
あんなに必死になってわたしを助けてくれたのに。
仲間だ、家族だと親切にしてくれたのに――。
優しかった平八郎さんは、もう居なくなっていた。
そこにいるのは、命令に忠実な『兵隊さん』だった。
「……トーノさん、アンタにゃどうしても聞きてぇことがある」
引き金に指をかけたまま、平八郎さんは問い詰めてきた。
「【どろどろ様】が一ニ三五村を出たのは、本当に……トーノさんのせいなのかい?」
平八郎さんの声は、怒りとも悲しみともつかない、複雑な響きを帯びていた。
「……正直に言えば、本当に分からないんです……。いきなり光ったかと思えば、地震が起きて、それから……」
それから、【どろどろ様】は一ニ三五村を去っていってしまった。
「【どろどろ様】は、これまでの仕打ちにずっと怒っていたのか? 【どろどろ様】は……ずっと村を出たかったのか?」
「それも……分からないです……」
どうしてああなってしまったのか、むしろわたしが聞きたいぐらいだった。
「……ただ……」
わたしは、【どろどろ様】のお肉を口にした時を思い出していた。
「ただ、わたしは願ってしまいました。可哀想だなって。ここから出してあげたいなって……」
「……可哀想、か……」
それを聞いた平八郎さんは、大きなため息を――数十年分溜め込んできたような、深い深いため息を吐いた。
「ああ……そうだな。その通りだ。あの地下に行く度に、おりゃあも何度もそう思ったよ……」
平八郎さんは――静かに小銃を降ろした。
「それが任務だ、それが役割だ、それが大番だ、って……ずっと自分に言い聞かせてきたんだ。そりゃおりゃあだって長生きしてぇがよ、妖怪さんをあんな暗ぇとこに閉じ込めて、罰当たりなまま生きながらえるのは、なんか違ぇなってずっと思ってたんだよ……」
平八郎さんは、どこか憑き物が落ちたような顔をしていた。
「ああ……今なら分かるよ。【どろどろ様】がトーノさんを【祭】に招待した理由が」
「本当ですか? その、どんな理由なのか教えて下さい」
ずっと気になっていたことだった。
火車さんが選ばれなくて、わたしだけが選ばれた理由とはいったい何なのか。
「そいつはな……トーノさんは『底なしのお人好し』、ってこった」
そう言って、平八郎さんはカラカラと笑った。
火車さんも「間違いないわね」と小さく呟いて笑っていた。
「……達者でな、トーノさん」
平八郎さんがそう言うと、火車さんは無言でアクセルを回し、バイクを走らせた。
バックミラーに映る平八郎さんの姿が、どんどん小さくなっていく。
その背中は、どこか寂しげで、でも誇らしげにも見えた――。




