47_火車の調査録・7
『妖怪・足長おじさん』は夜な夜な格子越しに現れては、彼女の様子を見に来てくれた。
時には食料やお菓子の差し入れも。
病気をした時には薬も持ってきてくれた。
そして、たくさんの話をしてくれた。
外の世界のこと。
遠い国のことを。
『妖怪・足長おじさん』が現れてから、彼女は妖怪の本を読むようになった。
恐ろしくて、強くて、面白くて、おかしな存在たちが居ることを知った。
そして、決して空想の存在ではないことを、彼女は『妖怪・足長おじさん』を通じて知った。
「ねえ、あなたの本当の名前を教えて」
彼女はそう問うた。少しでも『妖怪・足長おじさん』のことを知りたかったから。
「すまない。それだけは出来ないんだ。他のことならどんなことでもしてあげるから、な?」
そう言って『妖怪・足長おじさん』は、自分の名前を教えてくれなかった。
「君の名前は?」
『妖怪・足長おじさん』は、逆にそう尋ねてきた。
彼女は……答えられなかった。
自分の名前がなんだったのか、もう忘れてしまっていた。
だが、違う名前で呼ばれていたことをふと思い出した。
彼女は妖怪の本を取り出し、そのページを見せた。
「火車、か……」
『妖怪・足長おじさん』は、苦笑いを――顔は見えないけど、なんとなくそう思った――浮かべながら言った。
彼女は思わず身構えた。
また罵倒されるのではないか。
また凶兆の証だと指をさされるのではないか。
だけど『妖怪・足長おじさん』は――。
「そうか。なら、今日から君は火車と名乗るんだ。強くて、誰もが恐れる立派な名前なのだから」
忌み嫌われていたその名を、肯定してくれた。
初めて自分の存在を許された気がした。
その日、彼女は――初めて泣いた。
そして、人生で一番楽しかった日々は……唐突に終わりを告げた。
8歳になったある日、図書館の扉が乱暴に開け放たれた。
入ってきたのは村人ではなく、スーツを着た見知らぬ大人たちだった。
それは、児童相談所の職員と警察だった。
後になって、『妖怪・足長おじさん』は行政に通報し続けていたことを知った。
出会った当初から、二年間も根気強く。
村の権力者が隠蔽していたため、ずいぶんと時間がかかったが、粘り強く証拠写真や手紙を送り続けたことで、ついに強制介入が行われたのだった。
保護されたその夜、保護シェルターに『妖怪・足長おじさん』は現れてくれた。
彼女もなんとなく分かっていた。きっとこれが最後の会話になるだろうと。
「キミは人間だ。そして、私は妖怪だ。だから……このまま一緒には暮らせない」
「どうして? 人間と妖怪は相容れないの?」
「違う。妖怪は、必ず人間の近くに居る。だけど、人間から恐れられなければならない存在なんだ。君はもう……妖怪のことが好きになっているだろう?」
「ううん、違うよ。好きじゃない」
「そうなのかい? てっきり私は――」
「好きじゃなくて、愛してるの」
「おっと、これは予想外な答えだったな……」
「ダメなの?」
「ダメじゃない。私も嬉しいよ。だけど……だからこそ、一緒に暮らせないんだ」
「どうしてなの?」
「これは、『そういうもの』なんだ。きっと、君の前に妖怪が現れることはないだろう。君が妖怪を愛している限り、もう……私が君の前に現れる事は出来ないだろう」
「分からない、私にはどういう意味なのか分からないよ」
「すまない。本当にすまないと思っている。だけど、どうか分かって欲しい。このままでは不幸になると」
「私は……私はずっと不幸だったよ。でも、あなたが来てから幸せになったんだよ」
「そう言ってくれて、本当に嬉しいよ。でもこれは、君のためなんだ。君には人間社会で幸せを掴んで欲しいんだ」
「イヤ! そんなのイヤ! お願い、行かないで……!」
それ以来、『妖怪・足長おじさん』は彼女の前に現れることはなかった。
それから彼女は、孤児院に入れられた。
彼女には元々の名前があったが、新しい名前を名乗ることを頑として譲らなかった。
『私の名前は火車だ』、と。
それは初めて愛をくれた、『妖怪・足長おじさん』がくれた名前だから――。
その後、彼女はフリースクールで大人顔負けの知能を発揮し、飛び級を重ねた。
皮肉にも、図書館に閉じ込められた日々が役に立った。
そして、14歳で大学に入学した。
専攻はもちろん、民俗学だった。
全ては、妖怪を知るために。
そしていつか、『妖怪・足長おじさん』にもう一度会うために。
『もう二度と会えない』と言った運命を、知識と論理で覆すために――。
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過去の記憶を振り払い、火車は大きく息を吐いた。
あの一ニ三五村の話を聞いた時、そしてトーノが『選ばれた』と知った時、大きく期待していた自分がいた。
やっと『本物の妖怪』に会えると。
そして、『妖怪・足長おじさん』に繋がる何かがあるかもしれないと。
だが『現実』は、妖怪にも会えず、正体も分からず、情報を求めてあてもなくさまよっているだけだ。
『妖怪・足長おじさん』が言ったように、自分が妖怪を追い求めるほど遠ざかっていく気がした。
それでも、それでも火車は――諦める気なんてさらさら無い。
「……トーノには悪いけど、本物の妖怪に会えるなんて羨ましい限りね……」
恐らくトーノは、このまま【祭】を成功させるだろう。
そして、本物の妖怪――【どろどろ様】と会うだろう。
自分と代わってほしいぐらいだ、と火車は強く思った。
だが問題は、その先だ。
【どろどろ様】は、何らかの方法でトーノに不老を与えるだろう。
もしトーノがそれを拒否したら?
もし口にも出せないような、おぞましい方法――人間性を捨てるようなものだとしたら?
果たしてトーノは、こちらに戻ってきてくれるだろうか?
もう二度と、元の関係には戻れないかもしれない。
愛しき者が、火車の前から去っていってしまったように……。
あるいは一ニ三五村に取り込まれ、あちら側の住人になってしまうのではないだろうか?
不老のためならばなんでもする、生に固執したおぞましき人間に……。
問題はまだある。
そもそも火車が一ニ三五村を訪れた目的は、本当に妖怪が居るかどうかの確認と、妖怪を悪用しているかどうかの確認だ。
もし村ぐるみで悪用しているのだとしたら、火車は村ごと全力で叩き潰す覚悟があった。
火車は妖怪を愛している。故に、悪用する者は全員敵だ。
例えそれが、一ニ三五村に取り込まれてしまったトーノであったとしても――。




