46_火車の調査録・6
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――24年前。これは、火車が生まれた頃の話――
かつて、火車には別の名前があったはずだった。
だが、今の彼女はそれを覚えていないし、思い出そうとも思わない。
彼女の記憶は、薄暗い部屋と、本の匂いから始まっている。
彼女の生まれは、ここよりもっと山奥の、土着神信仰が色濃く残る田舎だった。
そこで彼女は、前髪の一部が赤い状態で生まれた。
ただの色素異常か、あるいは隔世遺伝か。
現代医学なら何らかの説明がついたかもしれない。
だが、その村では違った。
「燃えるような赤髪……まるで『火車』のようだ」
誰かがそう言った。
『火車』。罪人の死体を奪って地獄へ運ぶという、恐ろしい妖怪。
その忌み名は瞬く間に村中に広がり、彼女は凶兆の象徴とされた。
両親さえも彼女を恐れたのか、あるいは村の圧力に屈したのか。
彼女は村外れにある古びた集会所に隔離された。
窓には鉄格子が嵌められ、扉には外から鍵がかけられた。
座敷牢に改造されたその場所が、幼い彼女の『全て』だった。
唯一幸いだったのは、そこが図書館だったことだ。
友達はいなかったが、本が話し相手だった。
両親の愛は知らなかったが、物語の中の愛は知っていた。
彼らの物語を読む時だけ、彼女は孤独を忘れることができた。
それは6歳になる頃だった。
全身が突然、火傷したように赤くなったのだった。
病気に詳しい者であれば、医者でなくともただの『はしか』だとすぐに分かっただろう。
だが、村人たちは狂乱した。
「赤髪の子供に、赤いアザが出た!」「やはり祟りだ!」「火車の呪いだ!!」
医者を呼ぶどころか、彼らは図書館の扉を更に厳重に封鎖し、彼女を見殺しにしようとした。
高熱にうなされ、意識が遠のいていく中で彼女は思った。
ああ……私はこのまま死ぬんだ。
物語のように劇的な悲劇でもなく、滑稽で面白おかしい喜劇でもなく――。
誰にも見られることなく、誰にも知られることなく、このまま死んでいくんだ。
誰か……助けて。彼女は、声なき声で助けを求め、手を伸ばした。
一冊の本が、彼女の手に触れた。
それは、彼女が一番好きだった絵本――『足長おじさん』だった。
その時だった。鉄格子の向こうに、影が立ったのは。
「ああ……なんて酷いことを。これが人間のすることなのか。この村の人間たちは、犬畜生にも劣るではないか」
嘆くような、怒るような、そんな声だった。
「……おね、がい……。……たす、けて……」
声を振り絞って助けを求めると、影は優しく答えてくれた。
「安心してくれ。今、私が助けてあげるよ」
ひんやりとした手が、彼女の頭に乗せられた。
影は、いつの間にか中に入ってきていた。
ここには厳重に鍵がかかっているにも関わらず。
まるで、壁を通り抜けてきたかのように。
甘い水が、彼女の口にゆっくりと注がれた。
ノドが、身体が、心が潤っていくのを感じた。
「……あなたは、だれ……?」
彼女は、影に向かって問うた。
「誰? ……ああ、そうか。こういう時は名乗らなくちゃいけないのか。しまったな……」
影は、なぜか困っているようだった。
彼女は、頭に思いついた名前をそのまま口にした。
「もしかしてあなたは……わたしの『足長おじさん』なの……?」
「足長? ……もしかして私の正体が『妖怪』だと分かるのかい?」
影は、大層驚いた様子で言った。
その時はまだ、妖怪の中に『足長』というのが居るのを知らなかった。
けれどはからずも、彼女は影が『妖怪』であることを言い当ててしまったのだった。
それから影は――いや、『妖怪・足長おじさん』は懸命に彼女を看病した。
その甲斐あって、彼女は心身ともに回復したのだった。
「どうして助けてくれたの?」
彼女は純粋な目で問うた。
「本当は……関わっちゃいけなかったんだ。それは、私の役目じゃないから。だけど……見捨てるわけにはいかなかった」
『妖怪・足長おじさん』は、真摯にそう答えてくれた。
そこから、彼女と『妖怪・足長おじさん』の奇妙な生活が始まったのだった――。




