43_【祭】十五日目・『骨休み、身体休み』2
平八郎さんは一瞬動きを止め、それから苦笑いを浮かべた。
「……トーノさんは好奇心が旺盛だねぇ。あんな古臭い昔話、若い娘っ子が聞いても面白かねぇでしょうに」
「それでも聞きたいんです。平八郎さんのことを、もっと知りたいから」
わたしは真剣な眼差しで平八郎さんを見た。
この村の人たちは狂っている。異常だ。――最初はそう思っていた。
でも、遺影を持って腹話術をしていたおばさんや、指を失ってもこの村に居続けるおじいさんたちを見て、考えが少しずつ変わってきた。
彼らはきっと、何かを背負っている。
常人には理解できないほどの重荷を背負って、それでも生きたいと願っている。
平八郎さんが背負っているモノは何なのか。
それを知れば、この村をもっと理解できるような気がした。
平八郎さんは観念したように、どかりと地面に座り込んだ。
そして小銃を膝の上に置き、愛おしそうに撫で始めた。
「……前にも言った通り、おりゃあは第一次世界大戦に参加していたんだ。そして、作戦で南洋諸島の深いジャングルに向かってな……」
平八郎さんの声が、低く沈んでいく。
「ジャングルを進んでいった先で出遭ったのは……上官を捕まえていた敵兵だった」
その時を鮮明に思い出したのか、平八郎さんは深く、深くため息を吐いた。
「敵兵はおりゃあたちを見るなり、上官を盾にして、必死に何かを叫んだ。敵国語なんて分かりゃしなかったが、上官を助けたければ銃を捨てろ、と言っているということだけは理解出来てな」
平八郎さんは遠い目をしながら続ける。
「その上官は……おりゃあたちにとって、ただの上官じゃなかった。部下思いで、いつも最前線に立ち、配給が遅れりゃおりゃあに分けてくれるような……仏とあだ名されるぐらい良い上官だったんだ」
バイトぐらいしか経験がないわたしには、上の人の有り難みを本当の意味では理解出来ないだろう。
でも過酷な戦場において、どれほど心の支えになったのかは想像に難くなかった。
「だからこそ、見捨てるわけにはいかなかった。おりゃあを含む小隊は、迷うことなく銃を捨てようとしてな」
平八郎さんは、小銃を強く握りしめる。
「だが……上官は叫んだんだよ。『私ごと撃て!』……ってな」
「えっ……!?」
「『敵兵の言葉に惑わされるな! 銃を捨てれば、撃たれるのはお前らの方だ! 迷うな! お国のために命を捨てる覚悟はとうの昔に出来ている! だから……私ごと撃て!』――そう言ったんだ」
わたしは息を呑んだ。
自分ごと撃て。そんな命令、あまりにも残酷すぎる。
「それでも……小隊は動くことが出来なかった。恩師に向かって、引き金を引けるわけがなかった」
当然だ。慕っていた人を、自分たちの手で殺すなんて出来るわけがない。
「敵兵は怯えながらも、上官の頭に銃口を向けた。もう……時間はなかった」
平八郎さんは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、100年前の炎が宿っているようだった。
「だから……おりゃあは撃った」
衝撃の事実に、わたしは言葉を失った。
「おりゃあが――いや、おりゃあだけが引き金を引いたんだ。弾丸は……上官の胸を貫き、そして背後の敵兵にも命中した」
平八郎さんの言葉は、乾いた事実を述べるように淡々としていた。
それが逆に、心の奥底にある深い傷を感じさせた。
「それが上官の命令であり、そして――これまでの恩に報いる唯一の方法だと思ったんだ」
恩に報いるために殺す。
矛盾しているようで、それは極限状態における究極の忠義だったのかもしれない。
「上官は……最後に笑ってくれてなぁ。『よくやった』と、そう言っているようだったよ」
平八郎さんは、ほんの少しだけ笑みを浮かべていた。
その時の誇らしさを思い出したのだろう。
「おりゃあたちはそのまま前進して、敵地の制圧に成功したんだ。素晴らしい判断だったと褒める上官たちは多かった。けどなぁ、一方で『上官殺し』の汚名をつけられることにもなってな」
平八郎さんは疲れたようにため息を吐き、
「アレは……さすがに堪えたなぁ……」
作戦通りに動き、そして命令通りに上官を殺した。恩が故に。
でもその後に待っていたのは、冷ややかな視線と陰口。
心が疲れ果ててしまうのは当然だ。
130年という長い年月。
平八郎さんはその間ずっと、自分の手で恩師を殺した感触を、その引き金の重さを、背負い続けてきたんだ。
「……だから、不老を求めるようになったんですか?」
わたしは恐る恐る聞いた。
「殺してしまった上官の分も生きるために……?」
罪滅ぼしのために生きる。よく聞く話であり、よくある話だ。
心のどこかでは、そんな『普通』が欲しかったのかもしれない。
「違うんです、トーノさん」
だけど平八郎さんは、真っ向から否定するように首を横に振った。
「これがおりゃあに与えられた役割だから」
「役割……?」
「上官ごと撃った瞬間は、今も夢に見る。あの時の銃声で目が覚めることもある。だけど……後悔はしてねぇ」
平八郎さんは、まっすぐに私を見て言った。
「アレは、あの上官から与えられた最後の命令だった。軍人として、部下として、命令を全うした。ただ……それだけなんだ」
平八郎さんは、どこか寂しそうにそう語った。
後悔していない。……そんなのウソだ。
後悔していないなら、そんな顔をするハズがない。
もしかしたら……それが平八郎さんなりの長生きのコツなのかもしれない。
感情を殺し、ただ『役割』に徹する。それが、彼が130年生きてこられた理由なのかもしれない。
「でも、だとしたらどうしてこの村に? 平八郎さん自身の願いで、不老を得たいようには思えないんですが……」
「ははっ、トーノさんは鋭くて敵わねぇな」
平八郎さんは自分のヒザをペチンと叩いて笑った。
「トーノさんたちがこの村に来るきっかけともなった、『桂太郎事件』を覚えてるかい?」 「はい、もちろんです」
渋谷で老衰したホームレスが、実は明治時代の陸軍大臣・桂太郎だったという事件だ。
「おりゃあは桂太郎閣下に頼まれたんだ。『生涯に渡ってこの村の大番をしてくれ』……てな」
まさかこんな形で繋がってくるとは思わず、わたしは驚いた。
「桂太郎閣下は前々から、命令に愚直で、忠義に厚い人材を探していたらしい。そこでおりゃあの評判――というか、ありゃ事件か。まあそいつを聞いて頼み込んできたってワケだ」
「じゃあ平八郎さんが不老を得る理由は、この村の大番のため……?」
「まあそういうこった」
「自分のためでもなく、殺してしまった上官のためでもなく、『役割』のためだけに不老になるなんて……。平八郎さんはすごいですね……」
わたしがそう言うと、平八郎さんは照れくさそうに頬をかく。
「よせよせ。おりゃあなんて大したこっちゃねぇよ。桂太郎閣下なんて、日本の行く末を見守るために不老を得ていたからな。近代化が進み、戦争が終わり、平和になったこの国。だが、その先にある未来がどうなるのか。それを見届ける者が居なきゃならん、とな」
「日本を見守るために不老に……?」
想像もつかないような愛国心に、わたしは感心のため息しか出なかった。
「桂太郎閣下はよく口にしていたよ。『天が私を試しているのだ』ってな。だが桂太郎閣下は……三回連続で【祭】に失敗し、そして……老衰で亡くなっちまった」
平八郎さんはひどく落ち込んだ様子で言った。
170歳になってもなお、国を見守り続けようとしていた本物の愛国者。
だけど最後はホームレスとして――いや、普通の老人として世間の並に消えていった。
いったいどれだけ無念だっただろうか……。
「桂太郎閣下の遺志を継いだわけじゃねぇが、『村を守る』という命令が、『役割』がまだ生きてるんでな。おりゃあは長生きしたいわけじゃねぇ。不老になりたいわけでもねぇ。ただ、死ぬまで大番をするためだけに【祭】に参加してるんだ」
平八郎さんのことが、やっと分かってきた気がする。
130年経った今でも、ジャングルの中にいたあの頃のままのように、愚直な兵隊さんであり続けているんだ。
「……さて、そろそろ昼飯の時間だな」
平八郎さんは立ち上がり、パンパンとズボンの土を払った。
「トーノさんはゆっくり休んでくだせぇ。明日は明日でどんな【守り事】が来るか分からねぇからな」
「うん、もちろん。平八郎さんも休んでね」
「しっかし、【どろどろ様】もトーノさんには甘いのかねぇ? こんな中休みは何十年ぶりだか。ともかく、しっかり英気を養っとくんですぜ」
そう言って、平八郎さんは去っていった。
その背中は小さく、けれど鋼鉄のように強固に見えた。
古びた小銃が、カチャリと音を立てる。
まるで、彼の唯一の理解者であるかのように。
一人残されたわたしは、ぼんやりと空を見上げた。
不老を得る為には、恐ろしくておぞましい【祭】を三十日間も耐え続けなければならない。
しかも、失敗すれば指を失う。
わたしはまだ二十歳だからかもしれないが、まるで見合っていないと思った。
たかが寿命のために、どうしてそこまでするのか理解できなかった。
それでも不老を得ようとするのは、自分の権力や財産を失わない為――だけではないことを知った。
中には平八郎さんのように、誰かに役立ちたい為だけに、あるいは日本を見守るという果てしない目標を持って不老を得ようとしている人も居るのだと知った。
遺影を持っていたおばさんもそうだ。
亡くなった娘の分まで生きたい、あるいは娘を忘れないために生きたいと願っているのかもしれない。
この一ニ三五村に暮らす村人は、全員欲深くて、自分勝手な権力者たち。――最初はそう思っていた。
でも彼らは、誰よりも人間臭くて、誰よりも切実な願いを持っているのだと知った。
「……頑張って成功して欲しいな」
いつしかわたしは、村人たちを応援するようになっていた。
この狂った【祭】が彼らにとっての救いになるのなら、それはそれでいいのではないか。そう思うようになってきた。
「……うん、今日はいい話が聞けて良かった」
【祭】十五日目。
それは何もしない一日だったけれど、何よりも大切なことを知った一日だった。
残り十五日。わたしとこの村の【祭】は、もう半分のところにまで来ていた――。




