35_【祭】十四日目・のっぺらぼう
何も無い。何も触れられない。
目も、鼻も、口も、耳も、顔のパーツが全部きれいに消えていた。
傷跡もない。縫い目もない。
最初から『無かった』みたいに、なめらかな皮膚で覆われている。
まるで作りかけの粘土細工みたいだ。
「た、助けて!」
わたしは『声を出して』助けを求めた。
「スネコスリ! 火車さん!」
わたしは何度も『叫んだ』。
「助けて……! 誰か……!!」
息が苦しい。口や鼻がないから、どこから息をしているのか分からない。
酸素が足りない気がして、パニックになる。
深く吸い込もうとしても、ただ胸が上下するだけだ。
どこからともなく肺に空気が入ってくる違和感。
このまま窒息してしまうんじゃないかという恐怖が、冷たい手となってノドを締め上げてくる。
おぼれそうな恐怖に襲われながらも、私は顔中をまさぐった。
自分で自分を触っているという感覚はある。試しに頬をつねってみる。
痛い! ああ……やっぱり夢じゃないようだ……。
見ることも、喋ることも、聞くことも、匂いを嗅ぐことも出来ない。
情報の入り口が全部塞がれている。
わたしは、外とのつながりを全て失ってしまった。
今のわたしは、まさしく『のっぺらぼう』だ。
妖怪に詳しくないわたしでも、それぐらいは知っている。
まさか、自分がそれになるなんて……。
鏡を見なくても分かる。指先の感触が残酷な現実を教えてくれている。
今の私は人間じゃない。妖怪ですらない。
顔のない『化け物』だ。
「スネコスリ!? どこに居るの、スネコスリ!?」
わたしは必死に『叫んだ』。
怖い、怖いよ……! お願い、助けて……!
だけど、どれだけ叫んでも、どれだけ願っても……スネコスリはやって来なかった。
もしかして、スネコスリも消されて……?
ううん、あの子は火車さんに似てカンが鋭い。
きっとこの異常事態を察知して、どこかに隠れちゃったのだろう。
おそらくは……【どろどろ様】の気配に怯えて。
今になって、あの夢が夢じゃない気がしてきた。
きっと【どろどろ様】に何かされたのだろう。
まだ見ぬ【守り事】のために。
わたし一人で頑張らないと……。
その事実に気づいた瞬間、背筋が凍った。
私はこの『のっぺらぼう』の状態で、たった一人でなんとかしなきゃいけないんだ。
暗闇の海に浮き輪もなしで放り出されたような絶望感。
世界から切り離された孤独感が、私を押し潰そうとしてくる。
と、とにかく行動しないと……!
だけど、行動するっていっても何を……?
未だに【守り事】すら分からない状態なのに。
唯一の当ては、固定された視界だけ。
相変わらず、わたしのスニーカーをずっと映したままだ。
山のように疑問は湧いてくるけど、玄関にあるスニーカーの近くに寄ってみようと思った。
わたしはうつ伏せになり、玄関を目指して這ったまま移動する。
視界の映像を頼りに、自分の身体を動かす。意外にも暗闇で移動するよりも難しいと感じた。
見えている景色の中に、自分の身体は無い。
まるでテレビゲームの画面を見ながら、コントローラーで自分を操作しているみたいだ。しかも、そのカメラアングルは固定されたまま。
苦戦しながら這ったまま移動していると、やっと視界の中に『わたし』が現れた。
スニーカーの向こう側――薄暗い廊下の奥から、何かが這ってくるのが見える。
パジャマ姿の、髪の長い女。手探りで進んでいるからか、まるで大きなクモみたいだ。
手足を不気味に曲げて、床を這っている。
映画で見た、貞子よりも恐ろしい姿だった。
そしてその顔には――やはり何もなかった。
髪の隙間から見えるのは、肌色のつるんとした曲面だけ。
ゆらゆらと揺れる頭部。顔の無い化け物が、こっちに向かってくる。
その異様な光景に、私は『悲鳴を上げた』。
これほど客観的に自分を見たことなんてなかった。
まるで防犯カメラの映像みたいだ。
あれが……わたしなの?
あんな化け物が、今の私なの?
あれが『わたし』だなんて信じたくない……。
涙が出そうだった。
でも今は、涙を流すことすら出来ない。
胸の奥が詰まって苦しい。
何度も『叫んで』いるのに、音がないから叫んだ感じがまるでしない。
今わたしは、自分自身を恐怖の対象として見ている。
恐怖から逃れたいのに、この『のっぺらぼう』から逃げたいのに、それすらも許されないなんて。
それでもわたしは……前に進んだ。
泣いても、叫んでも、今の状況が良くなるわけじゃない。
とにかく、この固定された視界が何なのか、ハッキリさせないと。
わたしが『前』に進むと、視界の中では『わたし』が向こうから近づいてくる。
『右』に行こうとすると、視界の中のわたしは『左』に行く。
そっか、左右が逆になるんだ。まるで鏡の世界を歩いているみたいだ。
壁にドンとぶつかる。うう……肩が痛い。
でも、痛みよりも恐怖と焦りのほうがはるかに大きい。
わたしは、ようやく玄関まで辿り着くことが出来た。
固定された視界には、巨大な『わたし』の手が映っていた。
カメラのレンズに触れるように、そーっと、そーっと『それ』に向かって手を伸ばす。
――ぐにょり。
ひっ……!? な、なにこれ!? 柔らかい『何か』がある……!!
指先に伝わる、生温かくてブヨブヨした弾力。
スーパーボールみたいだけど、もっと柔らかくて湿っている。
なんていうか、ゼリーを固くしたような感触だ。
触れたことで、ようやく『分かった』。
これは……眼球だ。
そう、これは――わたしの右目だ。




