25_【祭】六日目・『腹話術、大事で一番の口』3
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朝食が終わると、村はまた静かな時間を取り戻した。
『腹話術』の【守り事】は、当然だが一日中続く。
意外だったのは、わたしや平八郎さんと同じように、大事なモノになりきる人が多かったことだ。
そして、農作業をする時も、散歩をする時も、大事なモノと会話する人も多かった。
「良い土加減だ。これなら良いニンジンやトマトが育つぞ」「うむ、お主の腕の見せ所じゃな」
クワを持ったおじいさんは、気持ちのいい汗をかきながらクワと会話していた。
「今日は洗濯日和ねえ」「お日様が気持ちいいわね、お母様」
小さなお人形を抱えたおばあさんは、お人形と一緒に日向ぼっこをしていた。
一見すると、のどかな田舎の風景。
でも、耳を澄ませばそこかしこから聞こえる一人二役の会話。
ここには、平穏と狂気が同居している。
恐ろしい感じはなかった。
怖いとも思わなかった。
むしろ――。
「トーノさん、どうかされましたか!?」
いきなり声をかけられ、わたしは飛び上がるほど驚いた。
音もなく近寄ってくるなんて、心臓に悪いよ平八郎さん……。
「そういえば、その小銃――『三十』さんは、ずっと平八郎さんと一緒だったんですか? その……戦争の時も」
わたしは恐る恐る聞いてみた。
ずっと気になっていた。
不老となった130歳が、いったいどんな景色を見てきたのかを。
平八郎さんの表情が、ふっと変わった。
ハツラツとした笑顔の中に、少しだけ遠い目をした色が混じる。
「その通りであります! 灼熱の太陽、スコール、そしてどこまでも続くヤシの木……自分はずっと平八郎の背中に張り付いておりました!」
平八郎さんは語る。『三十』の口を借りて、自分自身の記憶を。
「あれは第一次世界大戦……我々が向かったのは、ドイツ領南洋諸島でした!」
「南洋諸島……? 南の島ですか?」
「そうであります! 今のパラオやサイパンのあたりです! ドイツの艦隊を追って南へ南へと進軍しました! 我々もその一部隊として、あの島々に上陸したのです!」
平八郎さんは、懐かしそうに目を細めた。
「相棒は……弱虫でした! 最初は海を渡る船の上で、船酔いに苦しみ、故郷の母親を思って泣いておりました! ですが、島に上陸した時、自分は変わりました!」
平八郎さんは小銃を空に向けた。
青い空。白い雲。でも彼が見ているのは、もっと強烈な日差しが照りつける南国の空なのかもしれない。
「暑かった……本当に暑かったであります。鉄の塊である自分が、触れれば火傷するほど熱くなりました。湿気を含んだ重い風、まとわりつく虫たち、そして……得体の知れない熱病の恐怖」
平八郎さんの声のトーンが、少しだけ落ちた。
ハキハキとした喋り方は崩さないけれど、その言葉には重みがある。
「敵はドイツ兵だけではありませんでした。ジャングルそのものが、我々に牙を剥いてきたのです。水筒の水はすぐに温まり、食料は腐り、仲間たちは次々と倒れていきました」
平八郎さんは、銃身を強く握りしめた。
口は閉じたままだけど、その喉の奥から絞り出すような声が漏れる。
「ある夜、スコールが降り注ぐ中、我々はドイツ軍の通信施設を目指してジャングルを進んでおりました。真っ暗闇の中、頼りになるのはコンパスと、隣にいる仲間の息遣いだけ……」
わたしは、ごくりと唾を飲み込んだ。
平八郎さんの周りの空気が変わった気がした。
のどかな日本の農村の風景が、うっそうとした熱帯雨林に見えてくる。
「隣を歩いていた戦友の一人が、突然足を止めました。『何か聞こえんか?』と……。耳を澄ませると、雨音に混じってカサリ、カサリと何かが近づいてくる音が……」
平八郎さんの目が、鋭く一点を見つめている。
そこには誰もいない。ただの草むらだ。
でも、平八郎さんには何かが見えているのだろう。
100年前の闇の中に潜む、何かが。




