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一ニ三五村のどろどろ様~火車女教授の現代妖怪譚~  作者: 綺村 亮介


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20/34

20_【祭】四日目・2


 ※-----------※



 途中、何人かの村人とすれ違った。

 でも、誰も挨拶をしなかった。目も合わせなかった。

 みんな顔を土色にして、地面だけを見て、逃げるように早足で歩いていた。


 五菱重工の元社長も、あの上品な元華族のおばあさんも、みんなガタガタ震えていた。

 みんなの注目を集めてきた村人たちも、今はただ『アレを見ない』『アレの存在に触れない』ことしか出来なかった。



 ※-----------※



 ようやく集会場に辿り着き、わたしはどっと疲れた。

 なんだか本当に老け込んでしまった気がする……。


 中に入ると、いつものように豪華絢爛な朝食が並んでいた。

 トリュフのオムレツ、焼き立てのクロワッサン、新鮮なフルーツの盛り合わせ。


 けれど、今日は誰も箸をつけようとしていなかった。

 誰もがうつむき、自分の手やテーブルの木目を見つめている。


 美味しそうなフォアグラもキャビアも、今日だけはグロテスクな何かにしか見えない。

 部屋の中は、お通夜よりも静まり返っていた。食器が触れる音すらしない。


「……生きてるって、素晴らしいね……」

 隣に座ったおじいさんが、涙を流しながらボソッと言った。

 わたしも無言で頷いて、震える手でコップを持った。

 水面が波打って、うまく飲めない。


「……おい」

 不意に、平八郎さんが低い声で言った。

 全員がビクリと肩を震わせる。


「いいか……窓は見るなよ」

 言われて、ハッとなった。

 居る。この集会場のすぐ外に。壁一枚隔てた、すぐ側に。


 まるで中にいる獲物を品定めするように、ゆっくり、ゆっくりと歩いている。

 逃げ場なんてどこにもない。ここは……檻の中も同然だ。


「……さあ、いつも通りに朝ごはんを食べよう」

 平八郎さんが言った。


「それに……食わなきゃ持たねぇぞ。まだ昼にもなってねぇんだ。夜は……長いぞ」

 その言葉に、みんな機械みたいに動き出した。

 パンをちぎり、口に運ぶ。味なんてしない。


 砂を噛んでいるみたいだ。喉を通らない。

 それでも何かを胃に入れないと、恐怖でどうにかなってしまいそうだった。



 ※-----------※



 昼が過ぎ、夕方になっても、状況は変わらなかった。

 普段通りに過ごそうとしても、どこからか視線を感じて止まってしまう。


 天井の隙間から、扉の隙間から、壁の節穴から、誰かが見ている気がする。

 言葉はない。這いずるような音もない。圧倒的な気配も感じない。

 でも……視線だけを感じる時が多かった。


 わたしはずっと下を向いて、自分の足元だけを見つめて過ごした。

 時間の感覚がおかしくなる。一分一秒が、永遠のように長い。



 ※-----------※

 


 そして――ようやく日が沈んだ。


「いいか、帰りも気を抜くなよ。……アレは、まだどこかに居る」

 夕食を終えた村人たちは、一人、また一人と、逃げるように集会場を出て行く。


 みんな無言だ。足音さえ立てないように、忍び足で闇の中に消えていく。

 その背中は、闇に飲み込まれる生贄のように見えた。


「……トーノさん、送ってやるよ」

 平八郎さんが手招きした。

 わたしはすがるような思いで、平八郎さんの背中を追いかけた。

 なんて……なんて頼もしい背中なんだろう。


 夜の村は、昼間の何倍も怖かった。

 暗闇が濃い。粘り気があるような闇だ。


 平八郎さんの持つ懐中電灯の光が、頼りなく揺れる。

 光が届かない場所から、何かが手招きしている気がする。


――ズルリ……ズルリ……。


 またあの音が聞こえる。それも……わたしたちの近くで。

 さっきまで集会場にいたはずなのに――。


 動きが早すぎる。それとも、音もなく移動していたのか。

 あるいは、闇そのものが『アレ』の一部なのか。


「気にするな。光の先だけを見てろ」

 平八郎さんが力強く行った。

 わたしは、地面に映る懐中電灯の光だけを見つめて歩いた。


 光の枠の外側には、きっと『アレ』がいる。

 闇の中で口を開けて待っているのかもしれない。


 不意に、足首に何かが触れた。

 冷たくて、ヌルッとした感触。


「……っ!?」

 叫びそうになった口を、平八郎さんの手が素早く塞いでくれた。


「しっ……!」

 平八郎さんは目で地面を指した。

 そこには、ただの濡れた枯れ葉があった。


 なんだ、ただの枯れ葉だったのか。はぁ、ビックリした。

 ……でも、どうしてこんなにヌルヌルしてるの……?


 まるで巨大なナメクジが這った跡みたいにヌルヌルしてる。

 それにさっきの感触は……なんていうか、もっと生々しくて、ヨダレや粘液なんじゃじゃなく――。


「立ち止まるな。行くぞ」

 平八郎さんに腕を引かれ、わたしは半ば引きずられるようにして歩いた。

 背中に視線を感じる。無数の目玉が、わたしの背中に張り付いてくるようだ。


 振り返れ、こちらを見ろ。

 こっちに来い、そして……触れるんだ。


 そんな声が聞こえてくるようだった――。



 ※-----------※



 やっとの思いで家にたどり着いたわたしは、平八郎さんの警告通りすぐさま鍵をかけた。

 そして、家中の隙間を塞ぐように窓という窓を力いっぱい閉めた。


 わたしを送ってくれた平八郎さんは最後に、

「……いいか、トーノさん。もう朝まで外に出なくていい。――いや、絶対に出るな。雨戸も開けるな。何が聞こえても、耳を貸すな。外で何が起きても、絶対に扉を開けるな。……分かったか?」

 そう忠告して去っていった。


 独りになった途端、恐怖が洪水のように襲いかかってきた。

 わたしは逃げ込むように布団に入り、頭まで被った。


 その時、コン、と雨戸を叩く音がした。

「……!」

 わたしは息を止めた。心臓が早鐘を打つ。

 か、風かな? 木の枝が当たったのかな?


――コン、コン、コン。


 違う。風の音じゃない。

 まるで家の構造を確かめるように、家のあちこちを叩いている。

 まさか……入ってこようとしているの……!?


――ドン!!


 突然、雨戸に体当たりされたような音が響いた。


――ドン!! ドン!! ドン!!!


 入れてくれと言わんばかりの、激しい体当たり。

 やめて! もうやめて!!


 こちらを見てくるだけで、何もしないと思っていた。

 こちらに近づいてくるだけで、わたしに触れることはないと思っていた。


 けど、違った。

 ずっとずっと、わたしを狙っていたんだ……!

 ずっとずっと、わたしが独りになるのを待っていたんだ……!


 ふいに、体当りする音が止んだ。

 そして――天井から、ぼとりと大きな『ナニカ』が降ってきた。


「――――っ!!?」


 わたしは、悲鳴にならない悲鳴をあげた。

 ああ、もうダメだ。もう終わった。

 きっとわたしは、このまま【どろどろ様】に食べられちゃうんだ。


 何もかも諦めかけた、その時――。

「わんにゃー」

 大きな『ナニカ』は、なんとも気の抜けた声を出した。


「……へ? ス、スネコスリ……?」

「わんにゃー」

 入れてくれ、入れてくれと扉に突撃していたのは――どうやらスネコスリだったようだ。


「あ……あはは……あはははは!」

 わたしは笑わずにはいられなかった。

 よく考えればすぐに分かったことだ。

 これだけ家を閉め切ったら、スネコスリが帰ってこられないことに。


「全くもう、このニャンコは! ビックリさせないでよね!」

 お返しと言わんばかりに、スネコスリをわちゃくちゃに撫で回しまくる。

 独りじゃない。その事実だけでわたしは心の底から安堵していた。


 ……そういえば、スネコスリはどこから入ってきたんだろう?

 変な所が開いていたらイヤだから、すぐに閉め――。


 瞬間、身体が凍りつくほどの寒気が襲いかかってきた。


 居る。天井だ。

 恐らくスネコスリが入ってきたであろう隙間から、わたしを覗いている。


――ズルリ……ズルリ……。


 入ってくる。ああ、入ってくる。

 やめて。来ないで。ああ……わたしは、わたしはもう……。


 何かがプツリと切れたように、わたしはそのまま気絶してしまった――。



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