20_【祭】四日目・2
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途中、何人かの村人とすれ違った。
でも、誰も挨拶をしなかった。目も合わせなかった。
みんな顔を土色にして、地面だけを見て、逃げるように早足で歩いていた。
五菱重工の元社長も、あの上品な元華族のおばあさんも、みんなガタガタ震えていた。
みんなの注目を集めてきた村人たちも、今はただ『アレを見ない』『アレの存在に触れない』ことしか出来なかった。
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ようやく集会場に辿り着き、わたしはどっと疲れた。
なんだか本当に老け込んでしまった気がする……。
中に入ると、いつものように豪華絢爛な朝食が並んでいた。
トリュフのオムレツ、焼き立てのクロワッサン、新鮮なフルーツの盛り合わせ。
けれど、今日は誰も箸をつけようとしていなかった。
誰もがうつむき、自分の手やテーブルの木目を見つめている。
美味しそうなフォアグラもキャビアも、今日だけはグロテスクな何かにしか見えない。
部屋の中は、お通夜よりも静まり返っていた。食器が触れる音すらしない。
「……生きてるって、素晴らしいね……」
隣に座ったおじいさんが、涙を流しながらボソッと言った。
わたしも無言で頷いて、震える手でコップを持った。
水面が波打って、うまく飲めない。
「……おい」
不意に、平八郎さんが低い声で言った。
全員がビクリと肩を震わせる。
「いいか……窓は見るなよ」
言われて、ハッとなった。
居る。この集会場のすぐ外に。壁一枚隔てた、すぐ側に。
まるで中にいる獲物を品定めするように、ゆっくり、ゆっくりと歩いている。
逃げ場なんてどこにもない。ここは……檻の中も同然だ。
「……さあ、いつも通りに朝ごはんを食べよう」
平八郎さんが言った。
「それに……食わなきゃ持たねぇぞ。まだ昼にもなってねぇんだ。夜は……長いぞ」
その言葉に、みんな機械みたいに動き出した。
パンをちぎり、口に運ぶ。味なんてしない。
砂を噛んでいるみたいだ。喉を通らない。
それでも何かを胃に入れないと、恐怖でどうにかなってしまいそうだった。
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昼が過ぎ、夕方になっても、状況は変わらなかった。
普段通りに過ごそうとしても、どこからか視線を感じて止まってしまう。
天井の隙間から、扉の隙間から、壁の節穴から、誰かが見ている気がする。
言葉はない。這いずるような音もない。圧倒的な気配も感じない。
でも……視線だけを感じる時が多かった。
わたしはずっと下を向いて、自分の足元だけを見つめて過ごした。
時間の感覚がおかしくなる。一分一秒が、永遠のように長い。
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そして――ようやく日が沈んだ。
「いいか、帰りも気を抜くなよ。……アレは、まだどこかに居る」
夕食を終えた村人たちは、一人、また一人と、逃げるように集会場を出て行く。
みんな無言だ。足音さえ立てないように、忍び足で闇の中に消えていく。
その背中は、闇に飲み込まれる生贄のように見えた。
「……トーノさん、送ってやるよ」
平八郎さんが手招きした。
わたしはすがるような思いで、平八郎さんの背中を追いかけた。
なんて……なんて頼もしい背中なんだろう。
夜の村は、昼間の何倍も怖かった。
暗闇が濃い。粘り気があるような闇だ。
平八郎さんの持つ懐中電灯の光が、頼りなく揺れる。
光が届かない場所から、何かが手招きしている気がする。
――ズルリ……ズルリ……。
またあの音が聞こえる。それも……わたしたちの近くで。
さっきまで集会場にいたはずなのに――。
動きが早すぎる。それとも、音もなく移動していたのか。
あるいは、闇そのものが『アレ』の一部なのか。
「気にするな。光の先だけを見てろ」
平八郎さんが力強く行った。
わたしは、地面に映る懐中電灯の光だけを見つめて歩いた。
光の枠の外側には、きっと『アレ』がいる。
闇の中で口を開けて待っているのかもしれない。
不意に、足首に何かが触れた。
冷たくて、ヌルッとした感触。
「……っ!?」
叫びそうになった口を、平八郎さんの手が素早く塞いでくれた。
「しっ……!」
平八郎さんは目で地面を指した。
そこには、ただの濡れた枯れ葉があった。
なんだ、ただの枯れ葉だったのか。はぁ、ビックリした。
……でも、どうしてこんなにヌルヌルしてるの……?
まるで巨大なナメクジが這った跡みたいにヌルヌルしてる。
それにさっきの感触は……なんていうか、もっと生々しくて、ヨダレや粘液なんじゃじゃなく――。
「立ち止まるな。行くぞ」
平八郎さんに腕を引かれ、わたしは半ば引きずられるようにして歩いた。
背中に視線を感じる。無数の目玉が、わたしの背中に張り付いてくるようだ。
振り返れ、こちらを見ろ。
こっちに来い、そして……触れるんだ。
そんな声が聞こえてくるようだった――。
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やっとの思いで家にたどり着いたわたしは、平八郎さんの警告通りすぐさま鍵をかけた。
そして、家中の隙間を塞ぐように窓という窓を力いっぱい閉めた。
わたしを送ってくれた平八郎さんは最後に、
「……いいか、トーノさん。もう朝まで外に出なくていい。――いや、絶対に出るな。雨戸も開けるな。何が聞こえても、耳を貸すな。外で何が起きても、絶対に扉を開けるな。……分かったか?」
そう忠告して去っていった。
独りになった途端、恐怖が洪水のように襲いかかってきた。
わたしは逃げ込むように布団に入り、頭まで被った。
その時、コン、と雨戸を叩く音がした。
「……!」
わたしは息を止めた。心臓が早鐘を打つ。
か、風かな? 木の枝が当たったのかな?
――コン、コン、コン。
違う。風の音じゃない。
まるで家の構造を確かめるように、家のあちこちを叩いている。
まさか……入ってこようとしているの……!?
――ドン!!
突然、雨戸に体当たりされたような音が響いた。
――ドン!! ドン!! ドン!!!
入れてくれと言わんばかりの、激しい体当たり。
やめて! もうやめて!!
こちらを見てくるだけで、何もしないと思っていた。
こちらに近づいてくるだけで、わたしに触れることはないと思っていた。
けど、違った。
ずっとずっと、わたしを狙っていたんだ……!
ずっとずっと、わたしが独りになるのを待っていたんだ……!
ふいに、体当りする音が止んだ。
そして――天井から、ぼとりと大きな『ナニカ』が降ってきた。
「――――っ!!?」
わたしは、悲鳴にならない悲鳴をあげた。
ああ、もうダメだ。もう終わった。
きっとわたしは、このまま【どろどろ様】に食べられちゃうんだ。
何もかも諦めかけた、その時――。
「わんにゃー」
大きな『ナニカ』は、なんとも気の抜けた声を出した。
「……へ? ス、スネコスリ……?」
「わんにゃー」
入れてくれ、入れてくれと扉に突撃していたのは――どうやらスネコスリだったようだ。
「あ……あはは……あはははは!」
わたしは笑わずにはいられなかった。
よく考えればすぐに分かったことだ。
これだけ家を閉め切ったら、スネコスリが帰ってこられないことに。
「全くもう、このニャンコは! ビックリさせないでよね!」
お返しと言わんばかりに、スネコスリをわちゃくちゃに撫で回しまくる。
独りじゃない。その事実だけでわたしは心の底から安堵していた。
……そういえば、スネコスリはどこから入ってきたんだろう?
変な所が開いていたらイヤだから、すぐに閉め――。
瞬間、身体が凍りつくほどの寒気が襲いかかってきた。
居る。天井だ。
恐らくスネコスリが入ってきたであろう隙間から、わたしを覗いている。
――ズルリ……ズルリ……。
入ってくる。ああ、入ってくる。
やめて。来ないで。ああ……わたしは、わたしはもう……。
何かがプツリと切れたように、わたしはそのまま気絶してしまった――。
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