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一ニ三五村のどろどろ様~火車女教授の現代妖怪譚~  作者: 綺村 亮介


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17/24

17_【祭】三日目・1

******************

【祭】三日目

******************



――小鳥のさえずりが聞こえる。なんて爽やかな朝なんだろう。

 都会の喧騒とは無縁の、透き通った空気が障子の隙間から忍び込み、頬を優しく撫でていく。


 わたしは高級羽毛布団の極上の感触に包まれながら、ゆっくりと起き上がる。

 まるで雲の上で眠っていたかのような浮遊感。

 身体の節々の痛みも、精神的な疲れも、この布団がすべて吸い取ってくれたかのようだ。


「んん〜……よく寝たぁ……」

 大きく伸びをすると、全身の骨がポキポキと小気味よい音を立てた。

 隣を見ると、大きな毛玉――スネコスリがわたしのお腹を枕にして安らかな寝息をたてていた。


「わんにゃ~……わんにゃ~……」

 相変わらずネコなのか犬なのか分からない鳴き声だ。

 わたしが【祭】に参加しているという事実さえなければ、ほがらかで平凡な、とても気持ちの良い朝なのになぁ……。


 けれど、現実は甘くない。わたしは、恐る恐る神棚を見上げた。

 昨日までの『歩く時、けんけんぱ』という文字はキレイに消え、代わりに新たな文字が浮かび上がる。



――『無機物万歳、石は殿様』。



「……はい?」

 思わず目をこすり、再確認する。



――『無機物万歳、石は殿様』。



 夢でもないし、見間違えでもないようだ。

「……なにこれ? どういう意味なのかな……?」


 無機物万歳? 石は殿様?

 日本語なのに、日本語として認識できない文章なんて初めてかも……。


「……とりあえず、顔を洗っちゃおうっと」

 布団から抜け出し、着替えを済ませる。


 ちなみに用意してもらったパジャマも、流行りを押さえたセンスの良い服も、新しく用意してもらったものだ。

 高級ブランドのタグがついているが、なんだか怖くて確認できなかった。

 きっとこれも、わたしが普段使いしている何十倍の値段なんだろうなぁ……。


 それはそうと、今日の朝ごはんは何かな?

 昨日の夕食に出た松阪牛のすき焼きは本当に絶品だった。

 締めのうどんを朝ごはんに食べたいけど、出るわけがないよね。


 冷たい水で顔を洗うと、気が引き締まるのを感じた。

 よし、大丈夫。今日も一日、なんとか頑張ってやり過ごそう。


「行ってくるね」

 まだ寝ているスネコスリにそう告げ、わたしは玄関に向かった。

 けん、けん――。

「ああ、違う。これはもういいんだった」

 昨日のがもう習慣になってしまったのか、わたしはまた「けんけんぱ」を一日やろうとしていた。


 そう、【守り事】は毎日リセットされる。それもちゃんと覚えておかないと。

 わたしはただ普通に歩く。それだけでなんだか感動した。

 玄関を開け、一歩踏み出そうとした時――。


「……あっ……!」

 右足が空中で凍りついた。

 踏み降ろそうとした先には、小さな小さな小石が。


 今日の【守り事】は、『無機物万歳、石は殿様』。なら――。

「つまり、石は踏んでダメってこと……?」


 無数の『殿様』たちを見て、冷や汗が伝うのを感じた。

 大小様々な形をした、灰色や茶色の『殿様』たち。

 彼らは玄関先から道路、村の至る所まで点在している。


 わたしはふと、子どもの頃に遊んだ『白線歩き』を思い出した。

 やっと分かってきた。今回の【守り事】は――。


「おや、トーノさん。おはようございます」

 この声は平八郎さんだ。わたしは顔を上げると……なぜか平八郎さんは地面に座り込んでいた。


 正確に言うと、正座をし、両手を前につき、額が地面につきそうなほど深々と頭を下げている。

 そしてその前に、大きな漬物石が一つ置かれていた。


「ははーっ! 殿! 本日も見目麗しいお姿でありますな!」

 わたしは、あんぐりと口を開けたまま声を失う。


 ふざけているわけでも、演じているわけでもない。

 心からの敬意を、その漬物石に捧げている。

 その背中は、まるで忠義を尽くす武士のようだ。


 平八郎さんはゆっくりと顔を上げると、わたしの方を見てニコリと笑った。

 その笑顔は、なんというか……底知れなく不気味だった。


「無機物万歳! ……ほれ、今日は無機物様が主役の日だ。あいさつを欠かすとバチが当たるぞ」

「え? あ、は、はい……」

 バチが当たる。この村でその言葉を聞くと、単なる迷信に聞こえない。


 漬物石様にあいさつしようとすると、玄関のすぐ脇に、拳大の石ころが落ちているのに気づいた。

 少し泥を被った、どこにでもある変哲もない石ころだ。


 昨日までなら、足で蹴飛ばしても何も思わなかっただろう。――でも、今日は違う。

 今日、この村において、この『石たち』は世界中の誰よりも偉いのだ。


 わたしはその場に正座をし、両手を地面につける。

「お、おはようございます……殿」


 石にあいさつをする。二十歳の女子大生が、真顔で。

 わたしの中の『何か』が、欠け落ちていく気がした。


 だけど、石は何も答えない。当然だ。

 でも今のわたしには、「うむ」という偉そうな返事すら聞こえてくるようだ。


 今日の【守り事】は『石踏まず』かと思ったけど、平八郎さんを見るに、それ以上のことをしなければならないのかな……?


 ……分かった! 石を殿様に見立てた、『ごっこ遊び』なんだ!

 それも、凄く偉い大人たちが、村人全員で行う本気の『ごっこ遊び』。

 なんというか……深く考えたら負けな気がしてきた。


 わたしは気を取り直して立ち上がり、どうやって集会所まで移動しようか悩んだ。

 『殿様』を踏むわけにはいかない。絶対に。


 幸い、漬物石のような大きな『大殿様』は簡単に避けて通れる。

 問題は、あちこちに点在する『小殿様』たち――つまり小石たちだ。


 わたしは目を凝らして歩く。

 一歩一歩、足元に石がないことを確認しながら。

 『殿様』たちの間を、慎重に慎重にくぐり抜けていく。


「殿、失礼いたします……。殿、頭上を通過することをお許しください……」

 わたしは、そんな言葉を自然と口にしていた。

 いつの間にか、本気の『ごっこ遊び』に呑まれていた――。



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