65 黎明―扉を抜けて
白呂と影倚は戦場へと俊足を発揮しながら向かって行った。引き続き天翔は障害物をひらひらと躱す。爆発音や怒声に罵声、悲鳴に絶叫などが徐々に遠のいていき、やがて暗闇の中に人工的な光がぼんやりと灯っているのが見えた。
「あそこが扉ですよぉ」
言われた通りに扉はポツンとそこに立っていた。古びているだけの、何の変哲もない形だ。周囲は開けた場所ではなく、木々の間に適当に廃棄されたかのような出立ちをしている。孝里が見たは光とは、開け放たれた扉の奥のもので、街灯や照明のように上から降り注ぐ光だった。奥の景色はどこかの室内で、レトロチックな雰囲気をしている。
「これは、扉自体が特別な力を持っているんじゃなくて、黎明社の改装の際に不要になった扉をここに立ててるんです。うちとこの場所を時短で繋ぐためですね。禍狩の扉は対極の所にあるんですよぉ」
やはり、ただの扉だ。
扉の内側には、見覚えのある札が貼り付けてある。二枚一組で効果を発揮する連結札だ。二枚の札をそれぞれ別の扉に貼り付けると、その扉の先がもう片方を貼った扉の先に繋がるという便利な代物で、黎明社の職員たちが柳谷町に来るための手段として用いられた。
「この扉の先は黎明社の学生寮の玄関に繋がってるんですよぉ」
孝里を下ろした天翔は、腰に腕を回して誘導するように優しく押しながら歩き始める。
「入ったら、ご飯の前にお風呂に行きましょう。お風呂は各個室にもありますけど、おすすめは大浴場ですねぇ。すっごく広い露天風呂があるんですよぉ。社長が言ってたみたいに、朝焼けを眺めながらゆっくりお湯に浸かってくださいねぇ。その間に、胃に優しくて美味しいご飯を作ってもらって……」
ドゴォン!! と内臓にまで震動が響き渡る爆発音と、白む空。真っ白な煙が急成長する気のように天高く突き上げ、夜闇に消えていく。爆弾が投下されたかのような大爆発に、孝里は言葉を失った。
鳳越家の戦いに爆撃機まで出動されているのか?
退獄界の貴族なので、財力は財閥並みにあると思っていたが、まさかこれほどまでとは……
「社長の爆発の異能ですねぇ」
違った。異能だった。
白呂が発動させている爆発の異能は、誰かがこの扉に近寄らないよう追い払うようにドドドドドォン、と連発された。その度に空が明るく染まって、雲の形が浮き彫りになる。
「激戦ですね……」
「異能持ちの退獄師同士の戦いってこんなもんですよぉ。さあ、入っちゃいましょお」
天翔は突然振り返った。
「あなたも、監視はここまでで結構ですからねぇ」
「えっ?」
孝里も振り返ったが、広がるのは夜闇と影絵のように木々を浮き上がらせる三色の炎と爆煙だ。天翔が指摘した何者かは闇に紛れ、その上気配を巧妙に隠しているため、どこにいるのかまったくわからない。
天翔はしばしの間、闇に向けて微笑みを向けていた。だが、徐に唇を開き、息を吸って、
「あなたにはこう言った方がいいですかねぇ? ——失せろ」
「……チッ」
忌々しげな舌打ちが聞こえてきた。怒りによって発生した陽炎のような気配の揺らぎによって、孝里にも何者かの居場所を特定することができた。思ったよりも上の位置。梢にその人物はいた。また爆発が起こって、爆炎に姿が晒される。赤狗の面とフードを被っているので、顔立ちはわからない。だが禍狩の所属する身分だということだけが、孝里が得た情報だ。
睨み合いが続く。両者ともに、微笑みと赤狗の仮面を貼り付けている。しかし、不意に禍狩が左耳に手を当てた。何か連絡が入ったらしく、二言ほど何か交わすと姿を消した。
「禍狩の忍備役ですよぉ。孝里くんはまだ気配の探り方とか教わってないので、わからなくても仕方ありませんよぉ。これから訓練して覚えていけばいいんですからねぇ」
「は、はい」
「お風呂から上がってご飯を食べ終わったら、学生寮のお部屋に行きましょう。奏士郎さんが一生懸命きみと瑞里ちゃんのために巣作りをしてたんですよぉ」
「……巣?」
不思議なインテリアコーディネートの表現に首を傾げる。
「はい。巣、です。ぼくたち憑器の家系に憑く干戈は、死者の魂を干戈に変えたモノではなくて、そもそもが獣や昆虫などの特徴を持った人外なんです。ぼくは烏、鳳越家は孔雀の鳥系憑器なんですけど、習性が出ちゃうことがあるんですよねぇ」
「習性」
「巣作りも習性の一つですねぇ。お気に入りや恋人のために、高級高層マンションの最上階の部屋を買ってあげたり、家を建ててあげたりしちゃうんですよぉ」
「えっ?!」
「流石に寮があるので、家もマンションも購ってませんでしたけど。もしも独立したいと考えた時には、奏士郎さんにお家をねだると無料で立派なお屋敷が建ちますよぉ」
「そんなことお願いできませんよ……」
「うふふ。他にも、ご飯を奢ってあげたり、アクセサリーをプレゼントしたり。際限のない貢ぎ癖があるんですよぉ。……ちょっと求愛に似てますよねぇ」
天翔は照れ臭そうに笑った。金目当ての性悪な女に捕まらなければいいのだがと心配が沸く。
さあ、と促されて、孝里が先に扉を潜った。白檀のような香りが優しく身を包み、少しだけホッと心が落ち着いた。天翔は扉を閉めて札を剥がす。
「剥がしても大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよぉ。向こうの喧嘩が収まって撤収ーってなったら連絡が来るようになっているんです。連結札の片割れは影倚さんが持っているので、こっちからも貼り付ければ向こうとまた繋がります」
暖色の光が暖かく振り注いでいる。白い壁と焦茶色の木の床の廊下は長く続いており、等間隔に設置された窓硝子の外の景色は黒一色の絵画を飾っているかのようだ。レトロチックという第一印象を受けていたが、実際に内装は古かった。明智時代や大清時代を想起させる、和洋折衷の情緒をしている。
「お風呂に案内しますねぇ」
「お願いします」
孝里は天翔の後ろに続いた。山の輪郭が、わずかに青白く染まり始めた。




