64 黎明―蒼と茈
「それじゃあ、私は奏士郎と響の喧嘩を止めないとだ」
「ぼくもお供しますかぁ?」
天翔は丸めた右手に左の掌を重ねてバキバキと鳴らした。訊ねておきながら、闘気は満タンらしい。穏やかな雰囲気から穏健派なのかと勝手に推察していたが、実はなかなかの武闘派なのかもしれない。人は見かけによらない、の実例を始めて見た。
「いや、大丈夫だよ。それより、天翔は孝里君と一緒に黎明社に帰って休ませておやり。明後日から登校だからね」
「勝手に連れ出しちゃっていいんですかぁ?」
「もう目を覚ましているんだ。こんな所にずっと置いておくのも人権侵害だろう」
人権、という言葉が孝里の胸に染みた。
「それもそうですけどぉ、戦極さんが起こりませんかぁ?」
戦極の名には聞き覚えがある。むしろ、国内でその名と顔を知らない国民がいるとは思えない。
戦極勇義郎。禍狩の総帥であり、白呂と同様に護国五指師に名を連ねる人物だ。犬猿の仲と称される黎明社と禍狩の犬の方の親玉。この二つの組織が揶揄のその通りだということをつい最近体験した。
「孝里君をウチに連れて行く時間が早まっただけさ。黎明社に着いたら、寮に案内してお風呂に入れてあげておくれ。じきに太陽が昇る。夜明けを眺めながら堪能する露天風呂は素晴らしく心地良いのだろうねぇ~」
夜明け。あの戦いから一夜が明けたということか。
孝里はもう一度青空を見上げたくなった。本当に地獄は治まったのだのだと安心したかった。
「立てますかぁ? 孝里くん」
「あ、えっと……」
孝里は立ち上がった。
「あれっ!?」
しかし、思いのほか足に力が入らずに再び岩肌の地面に座り込んでしまいそうになった。「あらら」と天翔が抱え、ほとんど支えられるように力を借りてやっと立つ。
「す、すみません。おかしいな、足に力が入らないなんて……」
「うふふ。孝里くん、一ヶ月くらい眠ってましたからねぇ、寝惚けてるんですよぉ」
「……」
耳に確と入り込んだ言葉を意味として理解するのに時間がかかった。
「いっ……ヶ月、ですか……?」
「はい!」
「僕は、ずっとここに……?」
「いいえ、孝里くんがここに収監されたのは昨晩のことですよぉ。それまでは、ずっと黎明社が契約している病院に入院していましたぁ。きみがもうすぐ目覚めそうだったので、禍狩に向けて対面だけでも警戒措置はとっていますよぉって装うために、ここに収容しましたぁ」
「一応、ここの受刑者服に着替えさせてもらったよ」
孝里は身体を見下ろした。今まで気付かなかったが、確かに服装が変わっている。赭色作務衣だ。以前、明智時代を舞台にしたテレビドラマで観た、冤罪で捕まった主人公が着ていた囚人服に似ている。
「君が事件の日に着ていた服は、血塗れだし破れてたから廃棄したけど……よかったかな? ブランド品ではなかったよね?」
「はい」
「そう。なら、地上に上がろうか」
孝里は牢檻から出た。この牢獄は螺旋状になっていて、投獄されていた地下四五九階よりもさらに下階があるようだ。
この螺旋状の傾斜を歩いて登るのは気が滅入った。上を見上げるが、各階に灯された松明の光と頂上の闇以外に何も見えない。足はまだふらついている。立っていられる程度には回復したが、約一ヶ月の昏倒による筋力の低下は確実に孝里の運動能力に異常をきたしている。
「抱っこしてもいいですかぁ?」
ゴーグルを装備し、そう言う天翔は、すでに孝里の背と太腿の後ろに腕を回している。どんな抱えられ方をするのか察して、羞恥心から断りたい衝動が押し寄せてきたものの、今の容体では徒歩で地上を目指した方が迷惑が掛かってしまうことはわかっている。
「お……お願いします……」
「はぁい、お任せあれぇ」
斟酌を悟って貰える事もなく、ひょい、足が浮いて軽く抱えられてしまう。所謂、お姫様抱っこだ。
「お、重くないですか?」
気まずさから乙女のようなことを口走ってしまった。向けられる黄金色の眼が朗らかに狭まる。
「重くないですよぉ。ぼくは退獄師ですから、皙寧のおかげで身体強化もされてますしねぇ」
「皙寧?」
「ぼくの干戈ですよお。烏丸家は烏の憑器家系で、皙寧はとぉっても珍しい白烏の干戈なんです」
「さっきの翼は皙寧さんですか?」
「そうですよぉ、あれは皙寧の翼です。うふふ、初めて見せる人には妖怪だって思われちゃうんですけどぉ、ぼくは出生時に色々あって、干戈と融合してるんですぅ」
「干戈と融合!?」
天翔は首肯した。
「だからぼく、皙寧の顔を一度も見たことないんです。いつか見てみたいなぁ」
純白の羽根がひらりと落ちてくる。天翔の背から生えた皙寧の翼が大きく羽根ばたくと、視界が上昇した。天翔がつけている香水が香る風が髪を荒らし、ゴウゴウと耳の中で空気の声が唸る。
白呂も結界術を応用して後からついてきている。目が合って「大丈夫かい?」と訊ねられ、孝里は「はい」と返した。
身体が少しずつ軽くなってくる。封印の出口が近づいているからだろうか。
「もうすぐ地上ですよぉ」
「はい! ……?」
風の唸りに混じって、ドンドンと震動のような音が聞こえてくる。打ち上げ花火のように不規則な旋律は、鼓膜だけではなく身体中に触れるようになった。
「すっごく激しいですねぇ」
「執拗な審問で瑞里ちゃんを甚振ったからねぇ」
「扉まで突っ切った方がいいですよねぇ?」
「そうだね。流れ弾は私が打ち消すよ」
「お願いしまぁす」
訳知りに交わされる二人の会話が天翔で終わり、その瞬間に速度が上がった。風に身体が押しつぶされ、眼球が渇く痛みに孝里は硬く目を瞑る。そして轟音と衝撃波が全身を叩いた。
「うわっ!?」
吃驚した孝里は目を見開いた。二色の羽根が周囲に飛び散っている。青と赤紫の火の羽根。その奥に朱色の炎が大きく燃え盛り、濛々とした黒煙が大木のように生立している。
「えっ、戦場!!」
「うふふ、ほら言ったじゃないですかぁ。奏士郎さんと響さんが殺し合いしてるって」
火の羽根と煙を羽根ばたきで消し去りながら、炎と黒煙の森の中を駆ける。遠くから「ストーップ!!」「止め止め止めぇッ!!」「心穏やかに! 心穏やかにッ!!」「ギャーッ!?」「ヌアァーッ!!」「奏士郎さぁんっ!!」「お止めなはれヤッ!!」「社長ーッ! 社長ーーーッ!!!」「赤紫ファイアーマン躱せえっ!!」「無理無理無理……」「止められると思うのか!? このオレに!?」と複数の悲壮な喚声が聞こえてくる。「うるせぇぞ糞猿共!」と吠えたのは、猿と罵倒しているので恐らく禍狩の者だろうか。
「禍狩の人もここに来てるんですか!?」
「喧嘩の収束と響の回収さ。ここが破壊されてしまったら大変だからね」
息も切らさず疾駆する白呂が答えた。
気配が並走したことに気付き、孝里はそちらに顔を向けた。暗くて良く見えないが、枝を足場して忍者のように移動する人物がいる。その人物は地面に降り、炎上する樹木に全身を照らして全貌を露わにする。
「支塚さん」
「おはよう、孝里クン。お寝坊さんだったね」
支塚影倚は並走を続けながらひらりと手を振る。
「すっごいですよ、もう。奏士郎クン超大暴れ。激おこファッキン丸。骨が折れます、物理的に。遠距離戦特化の自分に近接戦闘させるべきじゃないですよ」
「宛がう人員は一人でも多い方がいいじゃない」
「その分、被害者の人数も増えてます」
「二人を見送ったら、私も向かう予定だったんだけど……」
夜空に噴き上がり雑じり合う蒼炎と茈炎。こちらまで熱波が吹き荒び、「「「ぐわぁーーーッッッ!!」」」と悲鳴が木霊する。
「すぐに行った方が良いみたいだね。……いや」
白呂は木々の間から合間に見える三色の炎の動向をじっと見つめた。孝里も倣うと、蒼炎と茈炎は火花と羽根を散らしながら少しずつこちらに距離を詰めて来る。
「こっちに来てる……?」
「君に気付いたみたいだね。でも、今は近付けさせちゃいけないな。二人いとも冷静じゃないから」
白呂は接近する炎の方へと移動した。影倚も従って追走する。
「天翔はこのまま扉まで向かっておくれ。寮に着いたらお風呂に入れて、その後朝食……お粥が良いかも。狸美子に伝えてあげて」
「わかりましたぁ」
「頼んだよ」
白呂は孝里に微笑みかけた。
「それじゃあ、孝里君。また後で」




