63 黎明―眠る指輪
「殺し合い!? 鳳越さんがですか!?」
孝里の吃驚はどちらを奏士郎を指しどちらを響を指しているのか紛らわしかった。しかし、どちらも鳳越なので意味は伝わる。本人白呂は笑みを笑みを向けた。
「ああ、そんなに驚かなくても大丈夫だよ。割と普通のことなんだ」
「殺し合いがですか!?」
「うん。そしていつも奏士郎が優勢になる」
奏士郎の人懐っこい面としかまだ交流のない孝里は、殺し合いが日常茶飯事な兄弟関係って何!? と現在勃発している事件や情報の集約を反芻した。自分と瑞里も幾度となく喧嘩をしてきたが、本気で殺そうとしたり、ましてや相手が死ね良いなんて残忍なことなど考えたこともなかった。「今だけがとっても嫌!」という一時的な隔絶を抱こうとも、幼いゆえに本気の殺意を知らなったのもあるだろうが、だからといって簡単に殺意を物理に具現化してぶつけ合うなんて――と特殊な兄弟関係に慄いていて気付いた。
「……え、あれ? 兄弟、なんですか?」
奏士郎は鳳越響とは血族であると話していたが、兄弟であるとは明言しなかった。今まさに殺し合い兄弟関係にあることを厭うほどの何かがあったことは確実だ。そういえば、鳳越家とはクソ仲が悪いということも本人の口から聞いた。それも、本家を襲撃して死刑囚に身を堕とすほどに。
「奏士郎と響は、まあ……異母兄弟なんだよ」
少し間を空けて言った白呂が気になったが、これ以上の詮索は奏士郎も望まないだろうし、二人の関係に自分は関係ないのだからと興味を押し止める。
「そうだ、今のうちに紹介しておこう」
白呂は掌を上に向けて揃えた指先を純白の青年に向けて、指差しならぬ手差しをした。青年はすでに泣きべそから立ち直っており、孝里と目が合うと周囲に花弁の丸い花を飛ばすような柔和な笑みで孝里の興味を迎え入れる。
「彼は烏丸天翔。君達の副担任を務める」
「副担任……」
自分が黎明社運営の退獄師養成学校に入学することに同意したのを思い出した。
「はじめましてぇ! ぼくもきみ達と同じ先生一年生なんですよぉ。これからよろしくお願いしますねぇ」
「よ、よろしくお願いします……」
「孝里くん、って呼んでもいいですかぁ?」
「はい……烏丸先生……?」
先生と呼べば天翔は「うふふ」と笑った。おっとりと間延びした言葉遣いとふわふわした羽毛のような雰囲気が話しかけやすそうだな、と孝里は安堵する。
「よっこらせ」と年寄り臭く白呂が立ち上がる。改めて見上げると、ずいぶんと身長が高いことがわかった。百七十センチは超えているのは確実だろう。
白呂は瑞里に通されたチェーンを千切ると、孝里の目の前にぶら下げた。両掌を皿にして受け取る。手首に残る紐の痕跡も気にならなかった。
「瑞里!」
呼びかけるが無反応だ。白呂の体温か、それとも瑞里自身の体温か指輪は人肌の温かさを放っているものの、沈黙を続けられると、確かに瑞里の気配を感じているのにただの指輪のように思えてしまう。
「彼女は今、疲れて眠っているんだ。君が眠っている間に、少々禍狩と我々合同の聴取を受けていてね」
「聴取?」
「そうだよ。今回の忌蔵蹴撃から続く釈神の事件の一連の記憶を見せてもらったんだ」
「見せてもらった……?」
聴取のはずなのに、見る、とは?
孝里が更なる疑問を口頭する前に、白呂が説明する。
「【浄玻璃の鏡】、という道具を使うんだ。この鏡は、鏡面に映った者の罪を嘘偽りなく暴く審判の鏡でね。本来は地獄の閻魔王庁にあって、死者の罪状を閻魔大王が確認して、天国地獄のどちらに向かわせるかを判断するためのものなんだ」
「……地獄から持って来たんですか?」
人は罪を犯せば容易く地獄に堕ちることができる。しかし、何かを持ち帰ってこれるほどの自我を持って現世に戻って来れるはずがない。誰かが生きながら地獄に逝き、そして浄玻璃の鏡を持って戻って来たのだろうか。そんな歴史も偉業も、孝里は今まで聞いたことはない。そもそも、退獄師としての歴史を学んできたが、浄玻璃の鏡という代物の存在は初めて聞いた。
「……というより、送られてきたと言った方が正しいかもですねぇ」
天翔が答える。そしてそのまま続けた。
「地獄が現世に顕現するようになったのは丸安時代(七九四~一一八五年)の中頃と言われています。それまでは、閻魔王庁もしっかり機能していたので、現代まで続く禍身の被害はまったくありませんでしたぁ。でもある日、閻魔王庁が壊滅。閻魔大王、十王や獄卒を含めた役人が殺害されました。浄玻璃の鏡は、死の間際に誰かが現世に送ったものなんですよぉ」
「まあ、詳しいことはわかっていない。私が生まれる前の出来事だしね。誰が壊滅させたのかも不明さ。この事件で地獄の治安は極悪化。なんせ、裁く者も罰を与える者もいなくなったからね。私の考え方としては、退獄機関は現世における閻魔王庁の役割を受け継いだ存在。浄玻璃の鏡は閻魔大王。そして退獄師・干戈・忍備役は、裁きの代理人というわけさ」
白呂が言う「裁き」とは干戈による魂の完全破壊だ。対生者であれば地獄に堕ちて第二の災いを犯す前に魂ごと殺し、対禍身や擬神であれば祓除する。
「この道具は、退獄関係者の事故や事件を扱う際にだけ用いられるものだ。民間人は普通に裁判で罪を裁かれることになっている」
「どうして分けられているんですか?」
「浄玻璃の鏡には地獄の力が宿っている。退獄師ならば干戈契約の特典で、地獄の力を浴びても倦怠感や疲労感で済むけど、只人だと禍身化することがある」
「禍身化!?」
白呂は首肯した。
「世間一般的に知られている禍身化の知識は、堕獄した魂が地獄に充満した負の力を浴び続けることにより理性と知性の喪失、狂暴性と食欲の増幅を伴った変異、といものだよね? しかしそれは実際、堕獄した魂に限られた現象ではない。例えばこの現世に地獄の力が満ちれば、善悪関係なく魂は歪められて禍身化してしまうのだよ。それも、迎神門に近いほどに進行が加速する」
「なので、顕現した地獄は一秒でも早く終息させなければないけないんですよぉ」
天翔が付言する。
「……!」
ピンと閃いた最悪な憶測に、孝里の瞼が跳ね上がった。
「令架地獄顕現災害で発生した禍身って……もしかして、現世で生きながら魂を歪められた人達のことも含まれているんですか?」
過去最悪最大規模の被害を齎した令架地獄顕現災害。顕現期間はたったの一日だったにも関わらず、死者行方不明者数は延べ八万人、現世に放流された禍身の推定総数は六万体と言われている。この死者行方不明者数の中と推定禍身数に、禍身化したことによって統計されてしまった被害者がいるのではないだろうかと考えたのだ。
「……あの日は、あまりにも地獄の力が強すぎた」
断言ではなかったが、肯定だった。孝里の全身にゾッと鳥肌が立つ。
「だが、たった一日で済んで良かったと考えなければならない。あと三日、いや……翌日にこの国がどうなっていたのかは、想定してみると行く末は絶望的なものにしかならない」
なるほど、と孝里は納得した。しかし、一連の事件の真実を浄玻璃の鏡を媒介に確認するだけなのに、瑞里が深い眠りにつくほどの疲労を起こさせるものなのだろうか。
「瑞里ちゃんが追及されたのは、今回の事件のことだけではなくて、十年前の顕現のこともだった。瑞里ちゃんって幼い頃に死んで干戈になったから、精神年齢は当時のままなんだよ。それなのに、こわぁいワンコ達に囲まれて一気呵成に記憶の真偽を問われ続けて……一生懸命立ち向かっていたよ」
偉かった、と称賛を付け足して、白呂は微笑んだ。だが孝里に目を移した時、笑みを決して真剣な眼差しで見据える。
「残念なことに、君達双子の意見は禍狩の大多数には信用されない。はっきり言ってしまうと、それは君達が半擬神で、自分達にも完全に制御できない強大な死と破滅の力を抱えているからだ。私がこれから出席する会議というのもね、君達の処遇を決定するためのものなのだよ。君の内側にあるソレの危険性を思うと、死刑にはできないだろう」
「僕は、死ねないってことですか……」
「そこは死なないんですねって安心するところだよ」
白呂は苦笑した。
「君のその希死念慮は、罪の意識かな?」
答えられず、沈黙したまま孝里は逡巡する。罪の意識、本当にそうなのだろうか。死を逃げ道にしているのではないだろうか。だとしたら自分は最低だし、贖罪のつもりで死を願っているのだとしても、それは結局の所自己満足に過ぎないのではないだろうか。
白呂は凝った首を解すように左右に曲げた。
「禍狩やそちら側に位置する派閥が提示しているのは、君達双子の封印だ。ま、誰しも死ぬよりかはマシだと思うかもしれないけどね」
「万が一にも封印になった場合、君達は引き離されます。別々の場所で、一人きり。こっちの声は届かないし、あっちの声も聞こえない」
「永遠の孤独に囚われることが、果たして本当に死よりも恵まれた状況というなのかな?」
白呂も天翔も、孝里を脅しているのではないし、孝里自身もわかっている。
永遠の闇の中で孤独を過ごすことが、死よりも恵まれているのかを問われると、孝里にとってその答えは否だ。
また、瑞里と引き離される。今度は、永遠に会えなくなる。だがそれは、死も同じ事だ。
どちらがいいのだろう。秀作のために、令架地獄顕現災害の被害者、被災者、遺族のためにはこの命で償うしか道は無いのに。
「きみ達にとって、それは何よりも避けたい事態でしょう? 黎明社が提示したうちの学生になるというのも、その最悪の事態を逃れるための布石の一つなんです。でも社長、処刑の可能性はゼロじゃありませんよねぇ? もしも孝里くんから地獄が完全に顕現、分断されたら、封印の器としての価値は失われたとみなされて執行されちゃうかも?」
「だが問題は、完全に離脱して顕現した地獄をどうやって消し去るかだろう。その方法が見つかっていない以上、一時期の平穏を取り戻す可能性を持ったこの子を潰すようなことはしないだろうさ。……それよりも、孝里君」
白呂は手を差し出した。
「君は今、過去の責任感や今回の事件での罪悪感でとてつもなく死にたいだろうが、死はたった一度の贖罪にしかならない。だから、おすすめの方法を教えてあげよう」
白呂の妙案を思いついたとばかりの自信満々な抑揚と爛漫な声に、孝里は聞き逃さないように首を寄せた。おそらく孝里の手を迎え入れようと差し出されていた手は、そのまま孝里の顎の下に添えられて僅かに上へと傾けられる。
「それは、生きることだ。しかし、ただ生きるだけではない。禍身や擬神、そしてクソ迷惑な斎場衆やその他犯罪集団を倒し続けることを罪滅ぼしにしなさい。生き続ければ、その分苦しみも悲しみも続くからね」
顎の下の手は孝里の頭頂部へ移動し、二度弾んだ。




