61 黎明―火に綻ぶ
「覚悟を決めろ。今は人喰いの異形とはいえ、元は人間だったバケモンを殺す事が、俺ら退獄師の義務だ」
光線がさらに勢いを衰えさせていく。釈神にトドメをさす絶好の機会が近い。しかし、秀作の戦意は靄に覆われて曇っている。
子供達への同情心により、釈神への最後の攻撃を躊躇しているのだ。
釈神を殺せば、子供達も道連れになる。干戈による死とは、魂の破壊。輪廻転生の機会も権利も斬り捨てられ、たとえそれが利用された命であったとしても刃には忖度できない。
今は死の光を放ち、幾度となく血肉を穿つ眼球と化している。
秀作がの身に受け続けた所業に怒りを抱いていないことを、孝里は悟っていた。それは、彼の粗暴な立ち居振る舞い甲殻に包まれた真正の優しさ。罪過を理不尽に背負わされた無垢の者への――慈悲の心。
奏士郎は、秀作を生半可な野郎だと詰るような一瞥を向けた。
「……時として、死が救済になることだってあるんだ。本当に哀れに思ってんなら、楽にしてやれ」
理不尽な生殺の選択肢は、すでに選ばなければならない方が決まっているにもかかわらずも、選択を迫る。まるで嫌がらせのようだ。
眼球は人間の意識の明滅を証明スイッチの如く繰り返している。禍身は食欲という生存本能に忠実で、現世での最もたる糧である生魂を多く捕食することで徐々に知能を取り戻していくのだ。だが信者の眼球達は、おそらく釈神という後天性の半擬神に取り込まれている事で知性や知能が同化している事で、自我を人間と禍身の間で左右させている。
力尽きた命が弾けていく。
いくつも。
いくつも。
片隅の天井が崩落した。砂煙が吹き付け、瓦礫が足元に転がって来る。
硬く目を閉じ、歯を食いしばって唇を震わせ、
「……わかった」
——秀作は決起した。
「オレはオレなりに助ける。——絶対に見捨てねえ」
諦め悪く四の五の考えた結果の決意の確固たる灯火が、煌々と目の紅玉の中で光っている。孝里はその眼が眩しくて――それでも見入った。
「……甘ちゃんな餓鬼だね、ホント。禍狩の素質があるぜ」
「素質があってよかったぜ」
奏士郎は舌打ちした。
「んで、無茶をやるからには何か妙案でもあるんだろうな?」
孝里は二人の会話に集中する。自分も、何か助力できる事があるかもしれない。
「釈神とギョロ目の後光を切り離す。そうすりゃあ、一心同体じゃなくなって釈神をぶっ殺しても一緒に死ぬことは無いはずだ」
秀作は大雑把に言い放って屈伸運動を始めた。
「……あ、え? それだけか?」
「そうだ」
「確証は?」
「ない」
「作戦は?」
「あのギョロ目の後光は岩みてぇにクソ頑強。干戈でも一発じゃあ切断できねえ」
孝里は手応えを思い出しながら内心で同意した。切断のつもりで刃を揮っても表面には傷しか入らない。同部分に連撃できたら切断が可能だろうが、そんな暇はない。釈神こそが連撃してくるのだ。どうにか無力化したいところだが、手立てが見つからない。
「だから柔い場所を狙う――肩だ」
白骨後光は釈神の両肩から伸びている――肩を切断するつもりだ。
「岩よりも人骨の方が柔いだろ」
「基準で言えば、そうだな。なら、どうやって入り込む? 後光の眼は三百六十度の監視カメラみたいなもんだ。視覚はねえぞ」
孝里が勝ち取った一秒間の死角に紛れることができたのは、瑞里の完全復活と背の手腕の破壊の動揺に乗じたからだ。今はもう、釈神の意識を削ぐような偶然的な状況を作り出すことはできない。
ならば、作り出すまでだ。
「瑞里」
――なぁに? 孝里。
「少しだけ、無理をさせてもいい?」
――いいよ。
「ありがとう」
孝里は秀作の隣に並んだ。
「僕に作戦があります。秀作君、協力させて。僕も、助けたい」
「贖罪のつもりか?」
「そうだよ」
間髪入れずに孝里は肯定した。そうだ。己が大罪は滅ぼせないが、償う事はできるかもしれない。例えそれが自己満足だと唾棄されても、死ぬまで償いの戦いに身を投じる覚悟を決めた。
「方法は思いついてるんだ」
奏士郎は何か言いたげだったが飲み込んだ。
「わかった」
「ありがとうございます」
光線が千切れ出し、眩い光力は直視が可能な程に低下した。
釈神の顔は急激に老化したかの如く干からび、けれども肥大した左目だけが生々しい。
「もうすぐだ。構えろ」
「はい」
「ああ」
光が尽きた瞬間、孝里は飛び出した。秀作も反対側を疾駆している。光線が尽き、後光の眼球が次々と破裂を始めても、それだけが釈神の武器ではない。白骨後光が伸長し、先鋭が襲いかかって来る。孝里は跳び、駆け、回転し、蹴って、そして瑞里ノ太刀でいなす。
背後から巨大な影が差し込み、振り返れば迫る背の手腕。釈神が優先的に狙っているのは孝里――否、瑞里だ。囮になるつもりだった孝里にとっては好都合だが、未だに瑞里を求める執着心や執念には怖気が立つ。いっそ清々しいほどに気色悪い。
「釈神!」
「 ア ァ 」
人語さえも話せなくなっている。擬神化が進行しているのだろうか――いや、この男が成ろうとしているものは、果たして神と言える存在なのだろうか。憎悪という不純物が混じったことで、どちらかというと禍身のような存在に変じているように思える。
「世のため人のために力を求めると謳うくせに、一番身近に居続けてくれた信徒達の命を粗末に扱うようなお前に、僕は何も救えるとは思わない!」
孝里は瑞里ノ太刀を天高く投げた。邪魔者の手から離れた力を求めて、背の手腕と白骨後光は追いかけていく。晒された無防備な身体――知能さえも侵食していてくれてよかった。
間合いに入り、抜刀の態勢を構える。右側に秀作が飛び込んで来たあ。背の手腕の指先が、白骨後光の先鋭が、こちらに再び戻って来ようとしても間に合わないほど遠くまで伸びるよう、瑞里には天を駆けてもらった。
そして今まさに、呼び戻す時。
「――瑞里!」
弾丸の速度で瑞里ノ太刀が孝里の足元に突き刺さる。柄を握り締め、左肩目掛けて刃先を上に向けて振り上げる。秀作は上から下へと日華ノ太刀を雄叫び上げて振り下ろした。
肉と骨、二段階の斬り心地を鮮明に感じる。即座に手首を返し、首を目掛けて横一線に振るう――秀作も同様だった。目が合う。干戈の鋩が平行に重なり擦れ合ったのを感じた。
「 ぎゃぁあああぁ 」
両腕を切断された痛みへの絶叫が途切れる――首がポォンと、天高く飛んでいる。
白骨後光が崩壊を始める。涙のように眼球達が外れ落ち、宙に投げ出され――けれどもその眼には光が輝いている。釈神の首を見上げて、爛々と。
孝里は眼球の一つを受け止めた。
「!」
眼球達は続々と火の光に包まれ始めた。しかし、肌を焼く熱さも痛みも感じない。ただ、人肌のように温かな光だ。
釈神から解放され、この眼球達は寄生元を失いあとは死を迎えるだけだったはずだ。しかし、この現象は何だろうか。禍身の死、血膨破裂ではない。
「秀作君が言ってたみたいに、釈神と切り離されたことで個の存在として独立したのか」
その火の光は一気に膨張すると火の粉と化し、雪のように地に降り注ぐ。
「おいおい、マジかよ……地獄に帰っていくのか? 禍身から成仏するなんて」
奏士郎にとっても初めての現象なのだろう。無意識だろうが顔が驚愕に笑っている。
「殺してばかりだったから、こんなになるなんて知らなかったぜ」
波紋が広がるように、赤く染まった空に青が広がる。夕暮れの光を滲ませた太陽の光が眩しくて、孝里は顔ごと逸らした。そちらの方向に、ボン、と地面で跳ねた釈神の血膨破裂に膨らむ首の、恨みがましく見開かれた左目に光る赤色が見えた。
「——ッ!」
引いた血の気が脚に集中した。孝里は瞬発的に秀作を押し飛ばした。油断していた秀作はたたらを踏み、憤懣に染まった表情で振り返って睨み――そして目撃した。赤い光が孝里の左胸を貫き、目から光が失われる瞬間を。背中から植物が茎を伸ばして葉と花を広げるように、鮮血が宙に伸び、孝里の身体からふっと力が抜けた。
孝里は痛みと衝撃を認識する間も無く、意識を失った事にも気付かず——牢檻の中で女に呼び起こされ、今現在、対峙しているのである。




