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60 黎明ー無責任な憐憫


 干戈は冷たいのだと思っていた。死者だからだ。しかし、握り締める柄の温度は生きた人肌の——魂の温かさをしていた。


「おかえり、瑞里」


 ただいま、孝里。


 ――白刃を翻す。


◆◇◆◇


 宙に散乱する血飛沫に白銀の閃光が迸る。背の手腕の拳に赤い筋が浮かんだかと思いきや、乱切りになって崩落した。


 卓越した斬れ味は、釈神に欠損の把握を遅らせた。孝里は丸太のような背の手腕の腕の下に入り込み疾った。その場所は一秒間の死角。その間に一気に距離を詰める。


 釈神の両腕は再生しかけている。攻撃のみならず、物を掴む事さえ儘ならない。そもそも、釈神は攻撃を背の手腕と後光の眼球に頼り切っている。自分自身の戦闘能力は決して高くない。


 影の中で茫と光を放つ朱殷色の目は釈神の微動さえも見逃さないとばかりに見開かれ、その眼光には激甚とした殺意に漲っていた。


 右足で強く踏み込み、白刃を揮った。


 狙うは首。女の禍身のご要望に応えてやろうじゃないか。ポォンと刎ね飛ぶ瞬間を見せてやる。


 物打(ものうち)が首の真横に奔る。刀身の中で一番斬れ味に秀でた部分だ。勢いに乗って繰り出された横一線は、釈神の首を容易く天高く刎ね飛ばすことだろう。


「 ―― 」


 釈神の視線が遅れて死の気配を帯びた白刃に追いつく。だが、身体の反応はまったくの無だった――釈神本人は。


 右側に迫る光の球。後光の眼球が咄嗟に攻撃を放ったのだ。


 直撃した右肩に衝撃が重く響き渡る。貫通ではなく打撃。眼球にとっても予想だにしていなかった反撃だったせいで、全力を出し切る事ができなかったのだ。


 孝里は体勢を崩され白刃は強制的に後退させられたものの、渾身の力を振り絞って斜め上へと振り切られた白刃の鋩は下袈裟斬りに肉を斬った。


「 ぎゃぁああぁあぁあぁッ!! 」

「残念です。――首を狙ったのに」


 ね、瑞里。


 釈神の絶叫に冷淡に返し、孝里は片割れを掲げた。紅い空を裂く鈍色の輝きが呼応するように光を放つ。


「 あぁああぁぁ足りない足りない力がぁああっぁああぁッ!! 」


 血走った巨大な右目がついにこぼれ落ちた。伽藍堂の眼窩(がんか)の真っ暗な奥底に新たな眼球がぎょろぎょろと迫ってくる。複眼の虹彩は祈瀬双子と同様の朱殷色——擬神の目の色だ。


「 返せ返せ返せ祈瀬瑞里はわたくしの力だァアアァアァアァッ!! 」

「違うって言ってるだろ!」


 釈神の異形化は進行していく。頭部が肥大し、白骨後光がさらに拡大していく。後光から眼球が抜け落ち、それらは人体を構築して襲いかかってきた。


「クソ……ッ、秀作君! 手分けしてコイツらを」


 斬り捨てつつ秀作へ振り向きざま、鮮烈な蒼白い炎の鳥が横切り、大きく翼を広げて眼球信徒達に体当たりした。肉と脂の焼けるニオイが充満する。


「この目玉化け物共は、俺と苛燐で片付ける」


 隣に苛燐ノ太刀の峰を肩に乗せた奏士郎が並んだ。


「釈神は、お前と鈴ヶ谷で倒せ。……瑞里が帰って来たんだ。もう、戦えるだろ?」

「言われなくても、あのキチガイ教祖はオレがぶっ殺す」


 秀作は孝里を睥睨した。


「その後はテメェだ、祈瀬孝里」

「……うん」


 愛称ではなく罵倒の「ジジイ」呼びだったが、いざ呼ばれなくなってしまうと深い軋轢(あつれき)を感じて鼻の奥がつんと傷んだ。


「ハッ、お前にゃ殺せねえよ馬鹿餓鬼」


 奏士郎の嘲笑に強烈な舌打ちが返される。


「——行こう」


 三人は散開し、各々の敵へと突進した。


 翼のように二手に分かれた白骨後光は、先端を槍のように鋭く尖らせて立ち向かってくる。太刀で斬り払うと火花が散った。紛れるように光球が実る。釈神との戦闘において最も警戒すべきは、この後光の眼球達だ。


 虱潰しに刺し潰す事は不可能だ。それに、望まずして利用されている信徒達の輪廻転生の権利を奪いたくはない。しかし釈神と同化している今、本体の祓除(ばつじょ)の道連れに信徒達も消滅してしまうかもしれない。


 ……救えない命なのか?


 攻撃を拒絶して弾ける眼球が見えた。


「くっ」


 接触したらすぐさま距離をとる。これを何度も繰り返す。白骨後光は自由自在に伸縮し、床や壁を貫いた。


「鳳越さんみたいに異能が使えたらなぁ……!」


 異能は天授の力だ。代々異能持ちを輩出する退獄師家系であっても、生まれた者全員に異能が発言するわけではない。一般人であればさらに稀有な例だ。


 無い物ねだりをすべきではないとわかっているが、使える力は多い方が有利だ。釈神の論には同感するが、得方を誤っているからには慈悲は無い。


 秀作が釈神の目前に飛び込んだのが見えた。


 ——危ない。


 直感が警告する。孝里は二人の元へと駆け出した。


 二人の戦況を客観視すると、秀作は釈神に剣撃を与える事に集中し過ぎていて、白骨後光の棘が背中に迫っているのに気付いていない。


 追い付いた孝里は、秀作に足払いを掛けて仰向けに体勢を崩したところを胸倉を掴んで支える。秀作の腹の上の平行に足の裏で釈神の胸元を蹴り突いて距離を離し、秀作を投げた。白骨後光の棘は警戒な音を連続させながら床に突き立っていく。秀作は怒りと動揺に顔を歪ませたが、聡く状況を察して宙で体勢を立て直して二、三歩程転にかけるように走り、勢い付いたまま釈神に再度斬り掛かった。


「うおラァッ!」


 孝里が付けていた下袈裟斬りの傷とは対極の剣撃が炸裂する。釈神の胸には真紅の罰印が刻み付けられた。


「 ぎゃあぁああぁあッ!! 」


 釈神はたたらを踏みながら後退した。大袈裟だ、と孝里は内心で毒付き、秀作は舌打ちした。秀作は手応えでわかっている。釈神は悲痛な悲鳴を叫んでいるが、傷自体は致命傷には至っていない。


 けれども、痛みに怯んで今が好機なのは間違いない。


 今だトドメ!

 

 二人の思考は符号し踏み込んだ——その瞬間、釈神の周囲が赤く眩い光で満ち、視界が眩む。赤い光の質量が増していくのが、閉じた越しにでもわかった。


「 喰らえェッ! 」


 発射されたのは光球ではなく光線。赤い光の彩度が増していく。近づいて来る。床板を粉砕し、落ち葉を灰塵(かいじん)へ化しながら。直撃したら無事では済まない。だが、孝里も秀作も動けなかった。


「——孝里、ちょっとだけ、頼ってみよう」


 瑞里の声は孝里を宥めた。


 ——不意に、影が差す。


 瞼をこじ開け、孝里は闇を見た。それは背中だった。自分の前に背を向けて光に立ち塞がる、鳳越奏士郎の背中だ。


 ズドンと轟然とした音が空気を激しく振動させる。


「鳳越さん!?」


 巨大な光球を真正面から受けた奏士郎は、黒い人影のように立ち続けている。だがそれは、黒焦げたしたいではない。前方からの強烈な赤い光を受けた身体の、逆光による人影だ。


 今なお発射され続けている光線は四方八方に潰されたように広がっていた。透明な何かによって弾かれているのだ。


 それが何なのか、孝里は奏士郎の足元の下駄を見下ろした事によって思い至る。


「結界!」

「ご明察。でもワリ、見かねて出て来ちまった。流石にアレを食らっちまうと危ないからよぉ」


 弾かれる光線は壁や床を破壊し、建物を崩落させ始めた。あの光線を止めてホールから脱出しなければ生き埋めだ。


「 このぉおおおぉおおぉおぉッ!! 」


 我武者羅に火力が増強される。一層強い力に、奏士郎が押された。


「鳳越さん!」

「おっさん!」

「大丈夫だ」

「でも、こんな力を受け続けるなんて……!」

「いいんだ。釈神の奴はもう自暴自棄になって後先の事を考えてない。このまま出し切らせる。そうすりゃあ、あの目玉共も全滅だ」


 全滅。


 その言葉は孝里に重くのし掛かった。


「ガキのモンだけでも救う方法はねえのか!?」


 秀作の問いに、奏士郎は気難しそうな顔をし、弾かれる光線の狭間から見える大小様々な眼球を睨んだ。


「無理だ。ガキのモンも大人のモンも見分けがつかない。それに、もしも切り離せたとして、その後はどうする?」

「それは」

「地獄に帰して罪を償わせるのか? どうやって?」


 奏士郎の眼差しは冷たい光を帯びて秀作へと移り変わった。


()()()()()のか?」

「「!!」」


 孝里と秀作は息を呑み、弾かれたように奏士郎を見上げた。


「おいクソガキ。お前も、令架地獄顕現災害を知る被災者だ。開かれた地獄がどんな被害を齎すか、身に沁みて理解してんだろ。孝里の中に封じられてるモンはこれまでの地獄の中で最も巨大で強力だった。でもだからっつって、他の地獄が弱いわけじゃない。状況によっちゃあ、どんな小規模な顕現でも、何十人もの退獄師が死んで、何百人もの干戈が死んで、何千人もの忍備役が死んで、何万人もの国民が死ぬんだ」

「そんなつもりねえよ!」

「なら考えなく()()だとか抜かしてんじゃねえ。哀れみをかけるな。俺らに禍身は救える存在でも、それどころか救う存在でもない。現世(こっち)に出てきたからには、魂を消滅させるしかねぇんだよ」


 光線が弱まってきた。


 間も無く尽きようとしている。


 力と、命が。


 


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