58 黎明―白骨後光の眼球
釈神の右目はテニスボール程に肥大化し、剥き出しにして噛み締めた口から涎が流れ落ちていた。
三年前の禍身と混じっている。そんな風に思った。
自分の腕を噛み砕き三年間という時間を奪ったあの禍身のことは、秀作はもちろん、孝里の中でもトラウマとして根付いている。今でも時々夢に魘されていた。
秀作を傷付けられ、満足に反攻も叶わず、腕に喰らい付いて咀嚼し、苦しむ自分を巨大な目玉で観察する――屈辱だった。
僕は、こんな奴に殺されるのか?
秀作を案ずる陰に、禍身を見下げた思考に染まっていた。おそらくあれは、自覚のない擬神としてのプライドだったのだろう。
何度夢想したことか。あの禍身を殺したのが安西ではなく自分であったならばと。
そしてもしもあの事件が無ければ、自分は瑞里との再会を果たしていただろう。そうなっていれば、こんな風に瑞里が忌蔵から強奪されることも、日華が望まずして干戈に転生する事だってなかったはずだ。
だが今、あの禍身ではないが、要素を取り込んだ憎き相手が目の前に立っている。過去と現在の憎悪が入り混じった敵が。
激甚たる殺気を宿らせた眼光で釈神を貫く。奴は吠えた。
「 祈瀬瑞里は渡さない 」
釈神は宣い、瑞里を振りかざして突進してきた。
刃が孝里の首元を三度横切り、背の手腕が秀作を殴り潰そうと振るわれる。秀作は躱し、拳は床を砕いた。
「瑞里を返せ!」
釈神の懐に飛び込み、拳を鳩尾にめり込ませる。釈神は息を詰まらせ、喉をぎゅるぎゅると鳴らし、頬を膨らませると胃の中身を吐き出した。
血の混じった胃液と咀嚼された肉片が床に撒き散らされる。
「僕の肉を返せなんて言ってないだろ!」
怒鳴り付けると、背後で奏士郎が盛大に吹き出した。
「 ぎぃいッ! 」
血走った目を剥いた釈神は背の手腕で孝里を掴むと壁に向かって投げ飛ばした。壁に叩き付けられた孝里は呻き声を上げて滑り落ちる。
「テメェ釈神俺が殺すぞ!」
奏士郎の怒号に秀作が「足手纏いは黙ってろ!」と横から怒鳴り付け、日華で斬りかかる。しかし背の手腕に防御され、横っ腹を蹴り付けられて「く」の字になって吹っ飛んだ。
孝里は再び飛びかかる。三年間で右手と同様の使い勝手にまで成長させた左手に持つのは鋭く尖った木片だ。短刀のように構え釈神を翻弄する。
「 蠅のようにちょこまかと! 」
三本の手腕をジタバタと振るう。釈神には自身が身を投じるような実戦経験はないようだ。後方や高い所から信徒達に命じて戦わせていたのだろう。
だが、一撃が重い。秀作は干戈による身体能力向上の恩恵、孝里は擬神の血のおかげで一撃を受けても生きているが、只人であれば全身の粉砕骨折や内臓破裂で即死していてもおかしくはない。
それに、釈神は瑞里を揮っている。
「 ゔあぁッ!! 」
孝里を胴体泣き別れにしようと横一線された太刀筋は、脇腹に刃が食い込む二センチ前で秀作が振るった日華によって弾き飛ばされた。
孝里は秀作の腹部に片腕を伸ばし、自分を軸にしてぶん回す。秀作の身体は孝里の背面に回り、その瞬間先程まで秀作が立っていた場所には巨大な拳が降り注いだ。
秀作は太刀を逆手に持ち替え釈神の肋骨の隙間から心臓を狙う。しかし、空中で鋩が弾かれた。
「クソ、結界が!」
秀作は吐き捨てた。
二人は釈神から跳び退る。
「 ふふふ。その程度ですか? 」
釈神の挑発に、孝里は目を嗤った。
「そっちこそ、その程度? 神の力には程遠いみたいだけど……やっぱり、自称しているだけか?」
「アハハッ!」
孝里の口から出た面罵に苛燐が愉快そうに笑い声を上げた。
「 無礼な! ならばわたくしの神の力で貴様を殺してやる!! 」
叫喚した釈神の肩から白いモノが飛び出し、円を描いて菱形の突起を突き出した――後光を模した白骨のようだ。いくつもの菱形の部分に筋が刻まれて開く。現れたのは剥き出しの目玉だ。大小様々な目玉がぎょろぎょろと周囲を見回し――一斉に孝里と秀作、奏士郎と苛燐を注視した。
漆黒の虹彩が真紅に光り始め、瞳孔の前に光の球が構築されて――それは放たれた。
弾丸の速度で光球は孝里と秀作の身体を掠り、そして貫通した。奏士郎と苛燐は光球を身軽に躱す。結界を展開する速度よりも光球の速度の方が幾分か早い。
「がッ!」
「ぐぅッ!」
二人は呻き膝をつく。
「ッ」
奏士郎が美貌を歪ませて駆け寄ろうと踏み出した一歩を、孝里は「止まってください!」と喝破した。
「これは、僕達の戦いです」
口角から血の筋を零す孝里。肩口からも血が滲んでいた。
「引っ込め足手纏い!」
血を唾棄し、秀作は立ち上がる。
傷口がビリビリとしている。静電気が滞留しているかのようだ。
勝ち誇った顔をした釈神を睨み付ける。後光の眼球は命令を待つかのように釈神を見ていた。
「 これがわたくしの力だ ! 」
技の反動か後光の眼球が充血していく。
「 さぁ! 続々と放て! 」
光球は釈神の命令通りに続々と放たれる。孝里は床を飛び上がり壁を駆け、持っていた木片で弾く――木片は木っ端微塵と化した。
不意に奏士郎の近くまで躱し続けた。息を切らす孝里の上から奏士郎は問いかける。
「大丈夫か?」
「はい!」
威勢よく応える。
胸から噴出を続ける悪穢と文言が邪魔だ。視界を遮って、光球が何とか躱せる距離ギリギリに押し寄せるまでわからない。
一刻も早く、瑞里を――。
浮上している唯一の方法をどうにかして叶えなければ。
そう考えていると、秀作の脇腹を光球が貫通した。
「秀作君!!」
孝里は駆け寄る。脇腹を押さえる秀作の前に立ち塞がり、三日月のように口角を上げている釈神を前に拳を構えた。
肉弾戦で敵うはずがない。そんなことはわかっている。
後光の眼球はやはり釈神を見つめて充血を進めている。いくつかの眼球は力を使い果たして破裂していた。だが新たな眼球と入れ替わる。替えが効くらしい。信徒の眼球の数の替えが。
すべての眼球を使い潰す程に攻撃させるかと考えて、無謀だと悟る。全身が蜂の巣のようになって死ぬだろう。
「 ふふ。わたくしの力の偉大さがわかりましたか? 」
また眼球の充血が進んだ――新しく入れ替わったばかりで、まだ一撃も放っていない眼球までもが。
「……?」
孝里は違和感を抱いたが、答えとして形容できなかった。
「……テメェの力?」
せり上がる血に溺れる秀作の声は憤然としている。
「その力は殺した信者共の力だろ!」
秀作の叫びに、後光の眼球達が彼を見た。
眼球には瞼が無いので、作られる目の形から感情を読み取る事はできない。
「テメェ、勘違いしてんだろ?」
「 何? 」
「テメェは信徒共に地獄で自分を信仰させたっつったけど、多分そりゃあ……テメェが思ってるもんと内容が違うんじゃねえか?」
「 戯言を 」
釈神は鼻で嗤った。
「テメェは信徒共に、地獄で自分を神として崇めるように言った。そうだな? んで、信徒共は地獄に逝った。でもよぉ、文字通り地獄の苦しみの中で、他人を思いやれるような余裕があるわけがない」
性悪に口角を歪ませる秀作は更に続けた。
「テメェの信徒共は、確かに願っただろうよ。救ってくれ、開放してくれて、とな。初めはテメェへの敬慕は確実にあったはずだ。テメェには、地獄から奉げられる信仰の力が宿った。それがその力だ。だが、苦しみの時間が長引くにつれてどうなるだろうな。それは……怒りと憎しみに変わる」
釈神の表情は未だに小馬鹿にしている。秀作は続けた。
「こんなにも苦しいなら、自殺っつー大罪を犯してまで誰かを信仰する事なんざなかった。それに、自分の苦しみによってお前は神の力を得ようとしている。現世でのうのうとしているテメェのために、地獄で信徒共は敬虔なままでいてくれたのか?」
孝里はハッとして後光の眼球に注目した。すべてが、孝里越しに秀作を見つめている。骨と眼球の隙間から、滲み出るものがあった。
それに気付かない釈神は声を高らかにした。
「 そんなはずはない! もしもそうであれば、彼等はわたくしの許に戻ってくるはずがない!」
「斎場衆は禍身を使役する特異な力を有している奴がいる。お前のようにな。そして、禍身は生前執着していたモノに再度執着する性質がある……この二つの要素がマッチングしたんだ。だからこそお前は勘違いをした。信徒が戻って来たとな」
口を出したのは奏士郎だ。更に続ける。
「気付いてねえんだな。お前がその力を自分の力だと誇る度に――目玉共はお前を睨んでるぞ」
「 な 」
釈神は後光を首で見上げた。そして見てしまった――赤く充血しながら涙を流し、憎悪を眼光を向ける数多くの眼球……自分を信奉していると信じて疑わなかった信徒達の本心を。
「 何故そんな目を向ける? 」
だって貴方達は、わたくしの願望に同意して毒を飲んでくれたじゃないか。
驚愕に表情を硬直させる釈神に、孝里は言った。
「長年の苦しみへの恨みは、それまで相手に対して抱いていた信頼も愛をも凌駕する。……自業自得だ」
「 黙れェッ!! 」
釈神は拳を握って絶叫した。
「 この世を捨てて逃げた神に換わって、わたくしがこの世 を守護してみせる。その為の犠牲は仕方がない‼ 本人たちだって賛同してくれていた! だから 」
「信徒は教祖の言う事を全肯定するもんだ」
奏士郎は自身の役職上、宗教団体内の歪んだ主従関係を見て来た。信徒達が教祖が命令が法律や倫理上でタブーとされている事でると理解していても実行するものである。信奉する教祖こそが、法律や倫理よりも上位の存在だという認識が刻み付けられているからだ。
釈神は歯を食いしばった。
「信徒達は苦しんでいる。お前のせいで、お前の自分勝手な妄想のせいで」
孝里は責めた。
「 ……黙れ 」
「解放するんだ。信者達と瑞里をこのまま利用していた所で――お前は神になんかなれない」
「 黙れ! 」
「他人を犠牲にするなんて考えが出るような奴が、何かを守り通せるわけないんだ」
声に憐憫を乗せ、孝里は猟犬のように釈神の精神を追い立てる。
「お前のような神は――必要ないんだよ、天原祇雲」
「 ッ、黙れエェエェッ‼ 」
絶叫した釈神は、瑞里を真っすぐ構えて孝里に向かって突進した。
鋩が悪穢と文言を噴出する穴を貫通し、孝里の胸元へと突き刺さる。そのまま体当たりするよう、釈神は更に深く刀身を孝里の体内へと埋めていく。
孝里の背中に、トンと秀作の身体が当たった。
「……は?」
秀作は呆然と呟く。
祈瀬瑞里ノ太刀は、片割れである孝里を刺し、その深さは鍔に達する程だった。




