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53 黎明―残酷なる蒼炎

「――……一度だけだ」


 秀作は呟き、釈神は「はい?」と聞き返した。


「何ですって?」


 釈神は無防備に耳を寄せる。秀作が完全に術中に嵌っていると、自分の異能を慢心しきっている。


 秀作は肩越しに振り返り、前髪の隙間から紅玉のような眼を釈神を向けた。


「一度だけ……見逃してやるっつってんだよ!」

「なっ!」


 殺意が(ほとばし)る。釈神は咄嗟に後方へと飛んで退いた。視界の下――丁度首元を白銀の一筋の残像を残す。


「――ケホッ!?」


 軽く咳き込み、自分の喉元を抑えた。ぬるりと滑って、掌を(ひるがえ)せば血で染まっている。


 秀作の攻撃は、日華の刃は、釈神の喉を掠っていた。浅くとも、一撃を与えたのだ。


「そんな、わたくしの異能が効かなかったとでもいうのか!?」

「いいや、ちゃあんと効いてたぜ。一度、救われた恩を忘れた馬鹿なオレが煩くほざいていやがった」


 秀作の眼は、釈神を見ていない。彼の眼差しは、力無く転がる歯型の傷跡だらけの腕を睨んでいる。


「アイツは一度、オレを禍身から救った。あの時だけは、きっと本心からオレを救おうと命を懸けた。祈瀬瑞里と再会できる可能性を失いかけながらな。……でも、今日でその恩もチャラだ。日華もうるせえしな」


 日華はずっと、秀作に懇願している。


 お兄ちゃんを殺さないで。

 秀ちゃん、お願い。


 泣きながら、助命を嘆願している。


「だから、今日は殺さねえ。今日、コイツの代わりに死ぬのは――テメェだ!」

「愚か者が!!」


 鋼を鳴らし、火花を散らし、斬り結ぶ。干戈は銀色の残像を伸ばし、本体の動きを目視することはできない。互いが殺意の方向に刃を振るう。だからこそ、両者は攻撃の全てを防ぎ、有効的な一撃を与えることができなかった。


 骨に衝撃が響く。疲労に重なった強かな一撃に手が緩んだ。柄を手放しそうになり、秀作は息を呑んだものの、日華も懸命に秀作の掌に吸い付くかの如く離れない。


 日華も戦っている。共に、懸命に。


 確と握り締めて、気合の声を上げる。


「うおぉおおぉおおぉおおぉおおぉおぉッ!!」


 下袈裟斬りに振り上げる。刃が肉を立ち、拍動に圧し出された血が線のように噴き零れた。


「ぐあっ!?」


 痛みに怯み、戦意を忘れた一瞬の隙を突き、秀作は横一線に日華を振るう。


 狙うは首。禍身だろうと擬神だろうと、首を刎ねられれば死ぬ。


 ――パキ。


 木を折るような音。それは秀作の真横から。


 左の蟀谷に何かが強打し、ぶわりと熱が広がる。痛みが電流のように駆け巡った。視界が二重にも三重にもぶれ、釈神の姿が傾き、そして真横へ。

 秀作は、自分が何者かによって殴打されたのだ。秀作自身も、身体の側面を床に叩き付けたと同時に把握した。


 しかし、その相手は釈神ではない。孝里はまだ目覚めず、災いの螺旋を発し続けている。


 つまりは、第三者。


 起き上がり、眩暈で歪む視界を凝らすと、影のような人型が見えた。木製のデッサン人形のような風貌で、人間の裸体のように滑らかな木肌をしている。

 それは、ホールの中央部に配置されていた何百体もの信徒を模した木像だった。


 彫刻刀で掘られたかのようだった眼は生々しい眼球がギョロギョロと動き、口は無理矢理割ったかの如く大きく裂け、不揃いの無数の木の牙が空気を噛んでいる。


 動きは硬く、マリオネットのように歪だ。今にも足から崩れ落ちそうなりながら、信徒木像は木の音を鳴らしながら近付いてくる。不気味だ。


 からん、ころん、ぱき、ごとん。


「――は?」


 木の音が徐々に湧き出していく。ホールに満たす赤い天光と、薄闇の境界を越えて――大勢の信徒木像が押し寄せて来る。


 ただの信徒を模した木像ではなかったのだ。ホール内の全ての信徒木像は――かつてこのホールで集団服毒自殺をした、釈神の信徒の禍身だったのである。


 殺人と強姦を犯した者は、人型の禍身に転じる。自殺も、自分自身の殺害だ。


 今、この場には三百余名の人型禍身がいる。信仰する神の危機に、動き出した、忠実で敬虔な人喰いの信徒が。


「木製のハゲ共が!!」


 堪らない嫌気に秀作は罵倒した。


 多勢に無勢も甚だしい。昨日禍狩の退獄師養成学校に合格したばかりで実戦経験など皆無の秀作は、これが初陣なのだ。苦境の乗り越え方も、場の切り抜け方も、意識のない救護者を庇いながらの戦い方も、まだ何一つ知らない、教わっていない。


 苦し気に狼狽する秀作に、釈神は勝ち誇った高笑いを発する。


 信徒木像の動きは滑らかになっていく。木造から、生き物のように。


 ついに、一斉に走り出した。秀作と孝里を包囲し、大きく口を裂いて眼球を光らせながら。


「クソが!」


 自分達と禍身の間の輪型の空白を防衛するよう、忙しなく移動しながら禍身の手足を斬り払う。


 木の音色が哄笑のように聞こえてくる。


 何度太刀を振るっても、死の群れは押し寄せる。ハイエナの群れに囲まれた羊だ。焦燥に逸る動悸を宥める事ができない。


「うわっ……!」


 後ろ襟を掴まれて引き倒された。数体の信徒木像に手足を抑え付けられて、干戈の恩恵たる超人の腕力や脚力をもってしても、相手も人外の力を発揮しているので振り解くことができない。


「離せクソ! キメェんだよ木偶の棒共が!」


 口汚く罵声を浴びせ掛けても禍身が怯むわけがない。


 秀作が同胞達に喰い尽くされ、食い扶持を得られないと悟った信徒木像達は孝里へと腕を伸ばす。


 一体の信徒木像の手の甲に、蒼白い羽が舞い落ちた。


「――孝里に触るな」


 冷徹なテノール。


 蒼白い羽は突如として大きく燃え盛り、信徒木像に纏わりついた。


「 ギィイイィッ!! 」


 眩く膨らんだ蒼炎の中で、耳障りな悲鳴を上げながら漆黒の人影が苦悶に踊り狂っている。


 他の信徒木像達は、本物の木像のように硬直した。激しく叫び、蒼炎に翻弄される同胞に目を奪われている。


 人間が、燃えているようだ。


 釈神は、一体何故信徒木像が燃焼したのか、鮮烈な蒼炎を凝視しながら慄いている。


 秀作は信徒木像達の力の弛緩を感じて、腕を振るって殴り飛ばし、足を突き出して蹴り飛ばしながら拘束から抜け出した。


 孝里を背に庇い、上を見上げる。天井に空いた穴。差し込む赤い光。そこに、声の主はいなかった。


 その何者かは、背後に倒れる孝里の傍らに降り立っていたのである。焼けるような殺意の波動を感じて振り返ると、膝をついて孝里の顔を見下ろしている男がいた。


 ――鳳越奏士郎だ。


「孝里」


 呼び覚まそうとする声は、今しがた上空から発した冷徹な声音とは隔絶した温かさが込められていた。だが同時に感じるのは、深い悲しみと――燻る激しい怒り。


 ゆらりと力無く顔が上がる。美貌を幽鬼の如く変貌させた昏い形相の中で、孔雀青の双眸が幽光を放っている。その眼が向けられているのは、未だに唖然としている釈神の手元――瑞里へと向けられている。


「瑞里。――おじちゃんが来たぞ」

「――っ」


 瑞里へと微笑みかける奏士郎の異様な気配に怯んだ釈神は。瑞里ノ太刀を奏士郎へと向けた。奏士郎はコロンと首を傾げ、その刹那――奏士郎の背中から鮮やかに広がる蒼炎の片翼が、信徒木像達を薙ぎ払った。


 信徒木像達の首がぽーんと宙を舞う。ぶくぶくと身体が赤い水疱を多発させて膨らみ、猟銃の銃声のような騒音を響かせながら破裂した。


 蒼炎の片翼の中に、銀色の太刀が煌いている。


 それは、奏士郎の干戈――


「苛燐」


 片翼の蒼炎は吹雪き、晴れると同時に奏士郎の眼と同じ髪と目の色を鮮やかに放つ至高の美少女が現れた。憤怒に表情を凍り付いた表情で、まっすぐ釈神を射抜いている。


殲滅(せんめつ)しろ」

「――任せて」


 苛燐は電光石火の勢いで飛び出し、周囲の信徒木像を両断していく。縦にも横にも、斜めにも。


 奏士郎は、足元に転がって来た腕を掴むと、断面を下に向けて滴る血を孝里の口の中へと注いでいく。


「何してんだよ!」


 怖気が立つような不可解な行動に、秀作が怒鳴り付ける。奏士郎は淡々と答えた。


「孝里を起こす」


「こんなんで起きるわけがねえだろ! 禍身の血だぞ! 穢れだ!」


 奏士郎は動きを止めた。自分の制止が効いたのかと秀作が安堵したのも束の間、奏士郎は日華の刃毀れした刃に手首を滑らせた。


「は!?」


 奏士郎は意に介さず、自信の血を先程と同じように孝里の口の中へと注ごうとしたものの、秀作に腕を掴まれた。


「マジでテメェは何なんだよ!」

「五月蠅い」

「あぁ!? 五月蠅いじゃねえし意味わかんねえよ説明しろ! 何でコイツに血なんか飲ませようと……」

「説明?」


 奏士郎は冷笑した。


「知ってどうする? ――内容によっては、また孝里を殺そうとすんのか?」


 ドッと、心臓が跳ねた。殺気を向けられている。チリチリと肌を燻り、呼吸をするごとに気管を爛れさせようとする陽炎の如き殺気だ。


 釈神の異能に陥り、孝里に刃を突き立てようとした瞬間を、奏士郎は見ていたのだ。孝里に対して執着とも呼べる感情を向けているのが、今日の僅かな時間の中での関わり合いの中でも感じられる程の、この男に。


 過保護、溺愛――そして、恐怖。相反する感情を併せ持つ、奏士郎の孝里への――否、祈瀬双子へ向ける混沌は、加害に対して業火のように過激な言動として遺憾なく発揮する。


 ――オレが殺さなかったのはなんでだ?


 そんな男が、孝里に刃を突き立てようとした時点で自分を殺さなかった点に疑問が残る。


 秀作の疑問を読み取ったかのように、奏士郎は笑みを深くした。更に冷酷に、悪辣なものへと。


「俺がこの手でお前を殺さなかったのは、バレた時に孝里から嫌われたくなかったからだ。瑞里も起きてたしな。もしも状況が俺に有利だったら――俺は心置きなくお前を殺してたぜ」


 奏士郎は軽く頭を振って、安西日華ノ太刀を指した。


「その干戈もな」


  脳内に過る、仮設。


 もしかしたら、さっき禍身に拘束されていた時。孝里に禍身が襲いかからなければ、自分は禍身に喰い殺されていたのではないだろうか?


 奏士郎は、あくまで孝里と瑞里を救出しに降りて来たのだ。釈神に唆されていたといえども、あの瞬間、秀作は本心から孝里を恨み、憎み、殺そうとしていた事に変わりはないのだから。


 奏士郎は、秀作を敵だと認定している。見殺しにしようとする程、徹底的に。禍身に秀作が喰い殺されれば、それは――奏士郎が手を下した事にはならない。


 異常だ。と、秀作は戦慄した。


 祈瀬双子と鳳越奏士郎の間で、かつて何が起こったのかは微塵も知らない。だが、何かがあったとしても、ここまでの執着心を抱けるものなのだろうか。


 人間性のどこかが欠落しているのか、それとも、多すぎているのか。


 奏士郎は、正義側に立つ人物に変わりないものの――容易く人を殺す事ができる残忍さがある。


 自分の大事な存在に爪を立て牙を当てただけでも、すぐに血飛沫を浴びることを厭わない。


 秀作は、自分がまた、孝里へ振りかかった危機によって命を救われた事を悟った。

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