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50 黎明—一つの悲しみの終わり

 数分前。


 奏士郎は、数が二倍と力が二倍、相手取るならどちらが良いかを考えていた。


「 ――ゔぉおおぉぉおぉおぉぉおぉおおぉッ!! 」


 巨人の禍身は咆哮を轟かせる。両面宿儺を彷彿とさせる、二つの頭と四本の腕。カイによって解き放たれた禍身の三体の内の一体を祓除した後、残る二体が突如として融合した。


 そしてわかったのは、三体は元々一体だったということだ。三つ首と六腕の巨人。だが、今では剪定された大樹のような、首と二本分の腕の空白が目立つ。


 三つ子――否、恐らく多重人格。奏士郎は主人格を祓除したのか、空白はすべて真ん中に位置していた。残された左右の首の表情は対極で、左は口角を裂けさせ流血しながら笑い、右は血の涙を流しながら怒っている。


 分身している時は皆同じ表情をしていた。真ん中の表情はわからない。血膨破裂によって跡形もない。そして、興味も湧かない。


 奏士郎にとって、この世で起きている遍く事柄の中で、何よりも孝里と瑞里の安否の方が重大で重要だ。


 さっさと殺して、孝里と瑞里の元まで急ぎたい。だが、相手は甲一級。そして、先程祓除した一体の二倍の力を有している。


 禍身や退獄師、忍備役、そして干戈の等級は最大で甲一級だ。しかし、その甲一級の中でも、当然力量差というものは存在している。退獄界には護国五指師と呼ばれる退獄師達がいるが、彼等もまた、特別な枠組みに名を連ねているが等級は甲一級だ。


 それ以上の等級を付けようがないので、総じて一つの等級にまとめて抑え込んでいるだけなのだ。


「クソ。ちょっと手間取るな。……擬神じゃないだけ、まだマシか」


 ――甲一級を遥かに凌駕する災いを齎す存在、擬神。


 黎明社の見解では、この事件の首謀者たる釈神が現人神になることを目論んでいるというものだった。前例が無いので、誰もが半信半疑である。


 元々、神の血を引き継いでいるのであれば不可能ではないだろう。


 純正の人間は完全な神になる方法など、ありはしない。なれたとして、それもまた擬えの神――擬神だ。


「孝里、瑞里……」


逸る心を宥める事ができない。


巨人が二本腕を組んで振り下ろす。


「チッ! 邪魔ったらしいわね!」


苛燐が応戦すべく振り向いたその瞬間、流星群が巨人の胸元に続々と飛び込んだ。眩い光が弾け、天には爆炎と煙が、地には血肉が降り注いだ。


流星群が飛んできた先に目を走らせると、支塚影倚が大弓を下ろした状態で天空に立っている。


「ヨリン!」

「ごめんごめん、待たせたね! チビの相手に手間取っちゃって!」


 巨人は痛みに残った四腕を振り回しながら暴れ出した。空気を殴って変形させ、強風を巻き起こす。


 しかし、銀色の線が閃いたと思いきや、一番上の二本の腕が突如として落下し、地面を揺らす。禍身は轟雷の如く絶叫した。


「だぁれがチビだ? あぁ?」


 禍狩第一部隊隊長、明空遵は貼り付いたような笑みの額に青い血管を浮き上がらせながら低く凄んだ。


「よりんさん! と、明空さん……」


 明空は、奏士郎の禍狩時代の先輩であり、忍備役として何度も任務を共にした仲だ。奏士郎は、禍狩の中で彼に対してだけは剣呑な態度をとる事ができない。何度か、庇い守られた経験があるからだ。孝里と瑞里の事に関して対立しているが、彼に殺す気が無いのはわかっているので、こちらも殺意を抱いてはいない。


「ハァ~。おい、青の鳳越。テメエ、何ぐずぐずしてんだ」


 明空は昔と同じように奏士郎を叱責した。


「ソウシローを責めないでよ! 孝里の恩人の手助けしながら戦ってたんだからね! 弱すぎて、全然勝てないのよ!」


 苛燐は痛烈に言い返した。聞こえていた安西は悔しさに顔を歪めた。怒りを力に、叫びながら猫の禍身へと突進していく。


 阿蝉山の氏神と狛犬達との事情を知る影倚が、ひょいっと腰を曲げて空から提案を持ち掛ける。


「安西さーん、そろそろバトンタッチしましょうか」

「駄目だ! 爺さん達と……娘の仇だ!」

「娘……?」


 初耳の事件だ。この短時間で、影倚は安西が娘を喪った事を知って痛切な心地になった。だが、仇とはいえども、これ以上時間をかけさせるわけにはいかない。安西の傷の処置と避難を行わなければ、彼は死んでしまう。


「その雌猫に殺されても、娘さんと同じ所には逝けませんよ。魂が完全に破壊されます」

「日華は干戈になった! 秀作がそう言ってたんだ!」

「干戈に?」

「斎場衆の奴等、本格的に全面戦争の準備を始めてやがるな。転生の儀まで模倣しやがったのか? それとも……日澄よすがか」

「寝返った退獄師達が方法を売ってるんだろうさ。よすがクンだと断定すべきじゃない。まあ、いずれそうなるだろうとは思ってたよ」

「次は魂縛符の生成にまで着手すんじゃねえか?」

「それには、統導家当主の血が必要でしょ。警戒態勢のレベルを上げた方がいいよね……」


 影倚は目を細めて口角を上げた。


「禍狩任せじゃ心配だし。実際、忌蔵の警護、突破されちゃったからさ。孝里クンと瑞里チャンを捕まえて封印とかしちゃうつもりなんだろうけど……できんの? その体たらくでさ」

「そりゃ十二師家に言えよ。責任者はそっちだ。俺等が雑兵なのはわかってんだろ? 王族の御贔屓さんよ」


 煽り煽られ、また煽り返す。


 いい加減にしてくれ、と奏士郎が苦言を呈そうとしたその時、唐突に本能が悲鳴を上げようとした。咆哮のような激しいがなり声で。


 岩の如き重圧が全身を軋ませる。血の気配、殺意の波動――醜悪な悪穢が衝撃波のように身体を打って広がっていく。


 滅多に経験しない質量、重圧、破格だ。奏士郎はこれまでに二度、同一の悪穢を体感したことがある。


 一度目は、十年前に短野(たんの)県で発生した令架地獄顕現災害。顕現時は現場におらず、養成学校時代の恩師であり当時の上司であった神志名白呂の出動要請を受けて領域内に入った時。


 地獄顕現は時折顕現する。奏士郎は後方支援員である忍備役だが、戦闘能力は優秀で戦線に駆り出される任務の方が多かった。退獄師としての戦闘も、忍備役としての作業も一人二役でこなしてしまえる。なので、単独で地獄顕現を収めた事もある。


 だが、令架地獄顕現災害はあまりにも規模が桁違いだった。到底一人では解決できない。事実、奏士郎も何度も死を覚悟する場面が多々あった。


 二度目は、八年前――孝里を不慮に殺しかけた時だ。


 本殿の方向を振り返る。赤黒い螺旋が天空へと伸びていく。螺旋は灰色の雨雲を突き破って更に突き進んだ。次に何が行われるか、すでにわかっている。


 雨雲を抜けて降り注ぐ灰色の光に赤色が滲み始めた。空が、じわじわと赤く変色していく。異変は、雨雲の奥で始まっている。


「うそだろ」


 脳裏に想起するのは、常人ならば即死している容体、肉塊に等しい状態で、尚も通う擬神の血によって生かされている、小さな少年の姿だ。


 思い出したくない。それなのに、否応も無く記憶は少年の血肉の鮮やかさと少女の透明な涙を高画質に彩る。


「うそだろ」


 この悪穢は、紛れもなく令架地獄顕現災害だ。またそれを感じるという事は、孝里と瑞里の身に危機が振りかかったという事だ。


 死亡、もしくは近い状態。そうでなければ、アレを封じる扉と錠の器達が、封を解くはずがない。


 扉が損なわれた。

 錠が破壊された。


 どちらにせよ――奏士郎の中で、不安と絶望は濁流となって荒れ狂っている。


 強大な地獄が顕現するからではない。夥しい数の禍身が解き放たれるからではない。大勢の民間人が無残に殺傷され、悲鳴と怒号の大波に溺れるからではない。


 孝里と瑞里の安否が一切の不明である事が、奏士郎の気を狂わせようとしている。


 放心して立ち呆けている奏士郎の頭上から、禍身の掌が空気を圧し潰しながら叩き落される。奏士郎は太刀を力任せに振り抜いた。鋩が掌を切り裂く。浅い負傷――かに思われた。


 蒼炎を燻らす亀裂が、掌から腕へと駆け上がり、肩から一羽の蒼炎の鳥が飛び出した。そのまま天空まで雨を蒸発させ、白い蒸気を振り払いながら羽ばたいた。


 雨雲の中へと飛び込み、舞い踊り、そして燃え盛った。蒼炎の膨張により、雨雲が蒸発し、気温が急激に上昇した。水蒸気が町全体を覆う。


 ――水蒸気が晴れる。そして見えたものは、快晴と太陽ではなかった。


 空に繋がる螺旋は血管のようなものを枝を広げるように張り巡らせている。それはどくん、どくんと脈打つ度に赤を滲ませ広げていく。周囲は夕暮れに染まるかのように、徐々に薄暗くなっていく。


 猛烈な眩暈で視界が見えないのに、過去の凄惨な記憶は鮮明に見えていた。


「ソウシロー! あの脈動が止まっちゃう前に、孝里を助けに行かなきゃ! 死んでない……まだ死んでないのよ!」

「わかってる、わかってる、わかってる……」


 虚ろな目で、奏士郎は繰り返した。


「 ああ、旦那様がついに、祈瀬瑞里を手中に収められた……! 」


 猫の禍身の歓喜に蕩けた声がぼやけて聞こえる。


「チッ。あのガキに死ぬなって言わなかったのか?」

「まだ生きてくれてる。よし、偉い、超頑張ってる。とはいえ、感動的な儀式ではなかったみたいだけど」


 影倚は大弓を構え、天に向けて無数の矢を放つ。噴水のように矢は阿蝉山一帯へと降り注いだ。 


 影倚の矢は、岩を砕き、木を裂き、地面を穿ち、そして、禍身を射った。爆発音と水気を含んだ破裂音が木霊して聞こえてくる。時折「ギャーッ!?」や「ウワー!?」という悲鳴も。


「見境なく射ってんじゃねえ!」

「防げない子が悪い。ま、これで手の空いた子達がここに来てくれる。ここでの最強戦力は地獄顕現阻止のために離れちゃうからね」


 シビアに言い返し、再び矢を番えながら奏士郎の名を呼ぶ。


「ここは任せな。孝里クン達の所に行っちゃって」


 言い切られぬうちに、奏士郎は本殿へと全力で駆け始めていた。


「 行かせない! 」


 猫の禍身が身を翻す。しかし、力を込めた後ろ脚は、どういうわけかずるりと滑って地へと倒れる。


「行かせない、は、こっちのセリフだ……!」


 猫の禍身は両断されていた。


「行ってくれ、鳳越さん! 孝里と秀作を、頼みます!」


 鳳越は頷きを返して本殿へと駆けた。


 血糊を鋩から垂らす安西の殺意の眼差しに怯みながらも、爪を出し八つ裂きにしてやると前脚を振るった。


「 おのれ! 」


 安西は短く息を吐いてしゃがみ、攻撃を躱す。そのまま地を蹴って喉元に入り込んだ。


「――阿形」


 猫の禍身の頭に覆い被さる阿形の顔。陶器の珠のような眼に、歓喜の光が煌いたように、安西には見えた。


 一閃。


 一拍の後、猫の禍身の首から噴き出す鮮血のベール。


 猫の禍身は逆流する血で溺れながら、うがいをするような絶叫を上げた。倒れ伏し、痙攣する。覆い被さる阿形の毛皮が、まるで食らい付いているかのようだ。


 安西は血みどろで痛まない部分のない身体を叱咤し、阿形の頭部へと手を伸ばした。口角の先に掌を滑らせ、額を合わせる。


「吽形とまた、神社に帰ろう。爺さんの仇を、俺が取れなくて、ごめん」


 安西の眼に光が満ちて揺れ動き、一筋となって流れた。目に見える歓喜と無念の色は無色透明で、同じ熱をしていた。

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