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47 匣入り娘―匣の中の娘


 孝里は、宗教施設廃墟の最奥部にある本殿内のホールに辿り着いた。


「すごい悪穢だ……」


 体育館ほどの面積の広い空間に、悪穢が充満している。悪寒が背筋を這い上がって行って無意識に身震いした。


 息を整えながら感覚を研ぎ澄ませて慎重に進む。どこに禍身が潜んでいるかわからないからだ。濃密な悪穢に覆い尽くされていて、禍身の気配の動きを感知できない可能性がある。悪穢頼りではなく、心身を駆使するのだ。


 ホールの中央辺りまで進めたところで、孝里は躓くように足を止めた。床に釘付けになる。


 この場で三百名余りの信者が自殺したのだと、孝里は白蟻と雨漏りで柔く腐敗した床に染み込んだ人型のシミを見下ろして確信した。人型のシミは一つだけではない。様々な死の時の体勢を刻み残している。


 首の無い木製の巨像が奥に聳え立っている。後光のような精巧が施されているので、きっと模したのは神だろう。首の断面は、何らかの強い衝撃によって折れたでも、腐敗と経年劣化によって腐り落ちた形跡があるわけでもなく、横一文字に平らだった。


「斬首されてるみたいだ……」


 明らかなる神への冒涜だ。釈神は現人神になるという野望を持って、かつて阿蝉山の氏神と狛犬を無惨にも殺害した。まるで、この世の神は自分一人で十分だと呈示しているかのようだ。その自意識過剰と傲慢さに反吐が出る。


 殺された巨像は蔦が絡み苔に寄生されても、その佇まいは堂々たる威厳があった。弁慶の死に際を彷彿とさせる。落ちた首は崩落した天井に埋もれ、腐敗した右目だけが見えている。


 その右目は、ホールの前方に設られた神楽殿を真っ直ぐに見つめていた。そこを目指せ、と孝里へ示し誘っているかのようだ。孝里は巨像の意のままに注視する。ホールと神楽殿の天井には穴が空いている。そこから、雨と灰色の儚く淡く薄い光芒が差し込んでいる。雨水がいくつもの筋となって流れ落ち、棺桶のような(はこ)にぶつかって飛沫と音を立てた。


「――っ!」


 それが何なのか、孝里にはわかった。急激に込み上げてくる涙をグッと堪え、息を整える間も惜しくて駆け寄る。出入り口から神楽殿の匣までは一直線だ。通路の両側を、信者を模した木彫りの像が何百台も配置され、前方を拝むように手を合わせている。壮観さと恐怖を同時に感じる。どれもこれもが無表情だが、孝里を忌々しく思っているかのように睨みつけられているような視線を感じる。


 匣に駆け寄った孝里は、その外装を見て先ほど以上に泣きたくなった。天板と側板を固定するように、何枚もの呪符が貼られている。中央に梵字とも漢字ともアルファベットとも判然としない文字が赤く書き記されている。素人目でも、一目で悪しきモノを封じるための呪符なのだと理解するだろう。


 孝里は匣を引き摺って雨を(しの)ぎ、呪符に爪を立てて剥がしにかかる。正規の方法があるのだろうが、その方法を模索している暇はない。


 涙声で呟いた。


「遅くなってごめんね」


 呪符に爪で傷を付ける度に、爪の間に刃を刺し入れられるような激痛が走った。血が流れ出して、呪符を汚す。すると、呪符を剥がす感触が変わった。容易く爪が引っ掛かり、爽快な程に剥がれていくようになったのだ。あまりにもの変わりように、この呪符の正規の解呪法が自分の血液であることを悟った。それでも指先の痛みに苦戦しながら全ての呪符を剥がし終えると、ゆっくりと天板を持ち上げる。


 ――匣の中には少女が入っていた。


 納棺の際に着せ替えられた死装束だけでは、雨の湿気と悪穢に満ちたこの場所が寒いのだろう、我が身を抱き締めるように身体を丸めている。


 瑞里だ。唯一無二の双子の片割れだ。


 目元から頬へと何かが滑り落ちるかのような感覚。孝里はついに涙を堪え切れなくなった。


「――瑞里」


 瑞里の頬を親指の腹で撫でる。鋼のように冷たい。血が掠れて、孝里は慌てて手を引っ込めた。


「瑞里」


 もう一度名を紡ぐ。


「瑞里、起きてよ……助けに来たよ」


 しかし、瑞里は何の反応も返さない。まるで、空の器のようだ――。


「――……鞘……?」


 忌蔵(きぞう)に封印さていたのは、祈瀬瑞里ノ太刀の鞘だ。影倚や奏士郎が言っていた言葉を思い出す。しかし、この匣の中には瑞里の肉体しか収められていない。


「瑞里自身が、鞘……?」


 干戈とは、魂が武器として転生したものだ。第一の生前と同じ姿を有しているが、その肉体は別物である。銃であればホルスター、刀剣であれば鞘のようなんものだ。指輪やピアス等に擬態できる異質性を持つ。あまりにも匣の中の瑞里が死体のようだから、十年前の死体が納められているのかと思う程だ。第一の死の際に生前の肉体は葬られているはず。つまり、匣の中の瑞里の身体は、他の干戈と同様に鞘なのだ。


「僕の中から、瑞里の刃を取り出すのか……?」


 鞘へと刃を納刀する。そうすれば、祈瀬瑞里ノ太刀が揃い、彼女はきっと目を覚ますだろう。


「でも、どうやって……?」


 自分の胸の中に腕でも突っ込めばいいのか? 


 そう考えていると、瑞里の鼓動が胸の中に響き渡った。警告や奏士郎と会った時とは違う、暖かな波紋が広がるかのような初めての感覚だ。


「僕を呼んでる?」


 直感だったが、ただそれだけだと侮ることはできない。なんせ、双子の片割れからの信号なのだ。瑞里と孝里は以心伝心。直感が正しかった事例は、これまでに何度も存在しているのだから。


 孝里は胸板に右手を押し当てた。その瞬間、水面に触れたかのように手が自分の中へと沈み込んでいく。


「えっ!?」


 驚愕に思わず反射的に引き抜こうとした手だったが、胸の中で何かが指を絡めて止めた。小さな子供の手だすぐにわかった。


「……瑞里?」


 小さな手はぐいぐいと孝里の手を引き込んで誘っていく。肘が沈んだあたりで、何か棒のようなものに触れた。小さな手は棒を握らせると離れた。

 棒の形状を更に詳しく調査しようと、手探りで特徴を捉えていく。


 何か編まれた糸のような物が巻かれ、縦一列に菱形の浅い凹みが何連か続いている。脳内でイメージを描きながら探りを進める。指先が壁のようなものに当たった。それは薄いが真っ平ではなく、複雑な精巧が施されているようなざらつきがあった。薄い壁を越えて、もっとその先を探ろうとした瞬間、手の甲を(つね)られて孝里は悲鳴を上げた。


「イタっ!」


 それ以上は進むなという警告だろうか。大人しく後退し、脳内で構成されたイメージ図の観察を始める。


 ただの真っすぐな棒ではなく、T字。そこに、菱形の列を刻んでいけば、すぐにそれの正体を掴む事ができた。


「ああ、そうだね」


 ――柄(つか)(つば)


 鈴ヶ谷通いで見慣れたものだ。安西の干戈である宮地佳奈子ノ太刀も、同じ柄をしていた。


 ということは、鍔の先にあるのは刃である。確かに、瑞里が抓ってでも止めるわけである。指を斬り落としていたかもしれない。


「ありがとう、瑞里」


 孝里は柄を握り締めた、握りやすい太さだ、まるで、自分の為だけに設計されたかのような満足感を感じる。


 痛いかな。


 不安が過る。一度深呼吸をして、心を落ち着かせた。そして――


「っ」


 ――抜刀。筋肉の圧だったのだろうか、粘土から引き抜くような硬さだった。出血は無く、痛みも無い。体感に何か異変が生じることも無く、無事に抜刀を成功させた孝里は、十年振りに目にする双子の片割れの転生体――干戈・祈瀬瑞里ノ太刀の刀身に見入った。


 水を纏っているかのような、潤いを感じる鋼の銀色。刀剣の干戈は刃文に性格が現れるもので、大まかには気性が荒かったり明るい動の者は乱刃(みだれば)寄りで、穏やかだったり真面目な静の者は直刃(すぐは)寄りの刃文を持つと言われている。


 奏士郎の干戈である苛燐は鋸刃(のこぎりば)と呼ばれる刃文だ。確かに、彼女の気性を表している。


 瑞里の刃文は、なだらかな波打ち際を想起させる(のた)れ刃と呼ばれるものだった。金糸混じりの黒の柄糸が菱巻きにされ、後光のような漆黒の透かし鍔が鈍い光を反射している。


 ――どくん。


 柄から鼓動が掌へと伝わって来る。やはり、この瑞里の刃が第二の鼓動の正体で間違いなかったのだ。


 孝里は逆手に持ち直し、鋩を瑞里に突き付けた。


「瑞里が鞘なら、きっと、この方法が正しい……」


 だが。


「……くそ、嫌な気分だ」


 十年前の瑞里も、同じ気持ちだったのだろうか。孝里には当時の彼女の表情を思い出すことができない。


 行為への嫌悪感で手が震える。呼吸もだ。蟀谷から流れた汗が肌をくすぐった。


「……でも、やらなきゃ」


 覚悟を決め、孝里は刃を振り上げた――その瞬間、何者かが疾駆する足音が徐々に大きく聞こえてくるのを感じ、孝里は刃を唯一の出入口である扉の方向へと向けて警戒態勢を取った、


 誰だ? 天原祇雲か?


 薄闇の中から白っぽい人影が現れ、扉の前で急遽立ち止まった。


 その人物は大きく肩を上下させて、孝里を凝視している。孝里も、その人物が何者なのかを把握し、驚愕に刮目(かつもく)した。


「――何で君がこんな所にいるんだ!!」


 腹の底からの怒号。こんな大声を彼に向けたのは、三年前の阿蝉山での事件以来だ。


「秀作君!!」


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