46 匣入り娘―私もよ。
推測を的中させた孝里へ向ける盛大な拍手かの如く、ついに降り出した雨が木の葉を打ち鳴らす。雷鳴かも戦闘による轟音かも判然としない鈍い音が、地震と共に響き渡る。耳の中に入る音は満ち溢れ、けれどもさっきまで苦しい程に高鳴り、音として聞こえる程だった第二の鼓動が唐突に途切れた。まるで、息を潜めて身を隠すように。
「何で……? 何で瑞里が僕の中に!?」
気持ちが逸り、疑問が雪崩れ、語気が荒くなるのを抑えられない。
「それは、孝里が瑞里から聞い言った方が良いよ」
「君は何があったのかを知ってるんだろ⁉ お願いだ、教えて欲しい……!」
「えー? でも、いいの? ユウ、斎場衆の子だよ? 孝里、ユウのこと信じられる?」
後ろ手に組んで自分を見上げ、わざとらしく言うユウに、何を今さら、と思いつつも、確かに、とも思う。だが、完全にすべてを疑心するには信憑性のある情報をいくつも提供してくれているという事実が、孝里に半信半疑の念を抱かせていた。
苦虫を嚙み潰したような顔をする孝里に、ユウは可笑しそうに笑った。
――オォオオォオォォオォオォオォッ!
低く太い咆哮が雨を弾きながら響き渡った。声量から、それが巨大な存在だというのが推察できる。
「あの声は何だ⁉」
「……カイのお気に入りの禍身達ね。何があったのかな」
「――とんでもねえクソ親父に虐められたんだよ‼」
背後から若い男の苛立った声が聞こえて来て、孝里はすかさず振り返った。今にも消えそうな赤い転移枠に枝垂れかかり、血塗れの顔面を顰めている茶色の蓬髪の青年と、陶器で出来ているのかという程に無表情の男が傍に佇んでいた。こちらも血と砂で汚れている。
「クッソ、あんのオッサン!」
悪態をつく青年に、ユウはきょとん顔で駆け寄っていく。
「わ、カイもオモカゲもボロボロだね」
「も~帰ろうぜぇ~……祇雲に拉致られ襲われて、オッサンにボコられ血塗れで……何なんだよ今日散々だよ疲れたよぉ~」
青年の方が片腕を目元に押し付けてさめざめと泣き事を言った。
「カイったら、今日はそんなに力使っちゃったの?」」
「使わざるを得なかったんだよ! お気に入りの禍身まで消費することになったしさあ……っ」
「別にそんな無茶しなくてもよかったじゃない。どこかに隠れてれば。ユウがお迎えに行ったよ?」
ユウと親し気に話すあの茶髪がカイか。ということは、陶器みたいな眼球で自分をじっと見つめているのがオモカゲってことか。孝里はじりじりと後退しつつ、瞬きもせず自分から目を逸らさないオモカゲの不気味な目を睨み返した。
斎場衆が三人。ユウとカイとオモカゲ。カイとオモカゲは奏士郎と苛燐を相手取って戦闘を行っていたはずだ。負けたのか?
「鳳越さんたちはどうした‼」
「だから俺のお気に入りに共と闘り合ってんだってばぁッ‼」
轟音と共に上空に蒼炎と土の柱が突き上がるのが見えた。そしてそれらを突き破って更に高く打ち上げられたのは、漆黒の巨大な腕である。
「ホラァッ!」
と、カイが指を差した。
石礫や土が葉に降り注いで千切って散らす。それなりに遠方で巻き起こった光景だというのに、戦闘の威力の凄まじさが窺い知れる。
窓枠に腰が当たる。両手を枠に乗せ、重心は僅かに左に寄せる。いつでも飛び越えることができるように体勢を構えた。
「追いかけたりしねえよ。もう帰るし、俺等」
「僕を捕まえなくていいのか?」
「今日はちょっと無理そうだし、またの機会に」
疲労困憊の声音でほとんど抑揚も無く言いながら。カイはユウに身体を伸ばした。
「わっ」
カイはユウの手を掴んで枠の中へと引き込んでいく。突然のことに、ユウは前のめりになってカイの胸の中に飛び込む形になった。
「お前、ヤベェのに目ぇ付けられてンね。次の襲撃は大変そうだ、何人死ぬ事になるんだろ……祈瀬孝里、お前が祈瀬瑞里と大人しくこっち側に来てくれれば、一滴の血も流れないんだけど。……俺等の方がね」
「……ホントに僕が着いて行くと思ってる?」
湯気立つような怒りを抱きながらカイを睨むと、彼は飄々と「だよね」と簡単に諦めた。本気で孝里と瑞里を勧誘したわけでも、仲間の安全を危惧したわけではないようだ。軽薄で薄情な性質なのだろう。しかし、ユウには篤実な様子だ。
「……孝里」
初めてオモカゲが口を開いた。思ったよりも暖かみのある声音に驚いてしまう。しかし抑揚はほとんどなく、それがまたオモカゲの人間味を減少させていた。
「……瑞里と離れてはいけないよ」
そう言って、オモカゲは窓の外を指差した。孝里の背後、釈魂永楽会の本殿が建ち、そして瑞里の鞘があるという方向だ。
何の忠告だろうか。孝里にはもう、瑞里と離れるつもりは毛頭無い。そして、このオモカゲはどうして自分を心配しているかのような事を発現するのかも判然としない。孝里にとって、否、日本中にとって斎場衆は宿敵だ。擬神を崇め、禍身を使役し、大勢の無辜の命を殺害する犯罪組織。そんな奴らに心配されても嬉しさも有難みも感じなかった。
「わかってるよ」
腕に力を込めて身体を持ち上げる。右腕は物を掴まなければ弛緩しないので、掌に体重を乗せる方法を行使する。
窓枠を飛び越えて、斎場衆の三人組から目を離さないように後退しながら木陰の中へと入って行く。先程よりも一層暗さを増した木陰にしとしとと雨粒が滴り落ちている。
「孝里、またね」
ユウが振る生白い手が、黒衣に映えてよく見えた。
彼女は敵だが、自分に対して全く敵意を感じられなかった。好意的に手を貸してくれた事は事実なので、孝里も無碍にするのは流石に憚られた。無視しようにも良心というものが痛む。気まずい気持ちで、しかしせめてもの反抗心で返事は返さず、小さく頷いたあと身を翻した。
斎場衆の目的とは一体何なのか。天原祇雲は瑞里をどうするつもりなのか。ユウが孝里と瑞里の再会に加担する本心とは何なのだろうか。疑問は絶えない。
胸に手を押し当て、第二の鼓動――瑞里の鼓動を探る。感じるのは自分の鼓動ばかり。瑞里の気配も、鼓動も消え失せてしまったかのように何も感じない。
しかし、ユウが真実を伝えていたのであれば、自分の中に瑞里がいる。
隠れてしまった理由を知りたい。
どうして自分の中にいるのかを知りたい。
八年前に何があったのかを知りたい。
十年前に、どうして自分を刺したのかを知りたい。
だが、それ以上に――会いたい。
たった一人のきょうだいだ。双子の片割れだ。今となっては唯一無二の、かけがえのない存在なのだ。
僕の気持ち、伝わってるかな。
何を考えているか、伝わっているかな。
以心伝心は今も僕達を繋いでいるかな。
瑞里、僕は君が恋しいよ。
木陰が晴れる。滂沱の雨が瞬く間に全身を濡らした。また轟音と共に足元が揺れた。石畳に亀裂が走り小さな隆起を作り出された。飛び越えて階段を駆け上がる。
重厚な木の両開きの扉は右側が外れて倒れている。そこから見える先は影が溜まって闇のようだ。しかし、その直線の果てに小さな光が見えている。
「今行くよ、瑞里」
胸元を叩いて小さな光を見据える。
――とくん。
自分の鼓動に紛らせるように、浅い鼓動が一度、鳴った。




