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魔法乙女は今日もお隣さんに恋をする  作者: 夏野モエギ
第二章 恋する魔法乙女と仮面のわるものさん
8/11

08.魔法乙女の恋愛相談

 金曜日、午前六時四十五分。

 昨日のギアビーストとの戦闘から一夜が明け、美雨はいつも通り中央第三地区魔法乙女支援センターへと出勤していた。


「美雨ちゃん、おはよう」


 事務室の前を通りかかると、聞き慣れた声がした。

 美雨が顔をほころばせて振り返ると、書類を手にした女性が立っていた。


「おはようございます、紫乃(しの)さん」


 佐藤(さとう)紫乃(しの)は胸元まで伸びたゆるい巻き髪を揺らしながら、手元の書類を軽く持ち上げた。


「昨日の戦闘報告書、確認したわよ」

「ありがとうございます。もしかして、なにか不備がありましたか?」

「ううん、いつも通り問題なし。ただ、ちょっと気になることがあって」

「気になること、ですか?」


 紫乃の言葉に首を傾げる。

 不備がないなら、一体どんなことが気になっているのだろう。


「美雨ちゃん、相手は六本脚のギアビーストだったんでしょう? どうやって倒したの?」

「どうやって、というと……蹴り、ですかね。あ、いや、最終的には拳だったんですが」

「……そうなの。動きが速かったと聞いているけれど」

「はい。それなら脚を減らせばいいかなと思って、脚を中心に破壊しましたね」


 紫乃は一瞬言葉を失ったが、やがて小さく笑うと懐かしそうに目を細めた。


「美雨ちゃん、相変わらずね」

「えっ、なにがですか?」

「ううん。ちゃんと倒せたなら、それでいいのよ」


 そう言いながらも、紫乃の口元には笑みが残っていた。


 紫乃は美雨より一つ年上の二十九歳。現在は支援センターの事務職として働いているが、以前は魔法乙女として現場に立っていた。

 美雨が魔法乙女になったばかりの頃には、訓練や実務を教えてもらったこともある。


「紫乃さんだったら、どうしてましたか?」

「そうねえ。私は美雨ちゃんみたいに前に出るタイプではなかったから……まずシールドで攻撃を防いで、仲間が動きやすい状況を作ったかしらね」

「なるほど」

「でも、昨日は美雨ちゃん一人だったんでしょう?」


 美雨は頷いた。

 近接戦闘を得意とする美雨は、ほかの魔法乙女と組んで行動することもあるが、基本的には単独での任務が多い。


「動きが速いなら、脚を狙うのは正解ね……方法は美雨ちゃんらしいけれど」


 紫乃はくすりと笑った。


「でも、怪我がなくてよかったわ」

「ありがとうございます」


 彼女は現場を離れた今でも、こうして美雨たち後輩の魔法乙女のことを気にかけてくれる。

 美雨にとって紫乃は頼れる先輩でもあり、気兼ねなく話せる友人でもあった。



◇



 昼休み、美雨が休憩室で昼食を取っていると、紫乃が飲み物を片手にやってきた。


「美雨ちゃん、ここいい?」

「もちろんです」


 紫乃は向かいの席に腰を下ろした。

 マグカップに入ったカフェオレから湯気が上がっている。


「美雨ちゃんは、明日も早番だったわよね?」

「そうですね」

「そうよねえ。休みか遅番なら、今晩食事にでも誘ったのだけれど」


 残念そうに呟く紫乃に首を傾げる。

 ランチならともかく、彼女から夜の食事に誘われるのは珍しい。


「今日、旦那さんいないんですか?」

「ええ、そうなのよ。うちのハニーちゃん、今は出張中でね。お弁当も自分の分だけだとやる気が出なくって、今日はコンビニで買ってきちゃったわ」


 紫乃は笑いながらサンドイッチの包み紙を剥がした。


「相変わらず仲良いですね」

「まあね」


 紫乃はサンドイッチを一口食べると、ふと思い出したように笑った。


「そういえば、美雨ちゃんはどうなの? 気になってる彼とは、なにか進展があったのかしら」


 その言葉に、美雨は先日晴臣と出かけたときのことを思い浮かべた。

 カフェでは嬉しそうにケーキを食べ、書店にも付き合ってくれた。帰り際には、また一緒に出かける約束もした。

 けれど、二人の関係が変わったわけではない。


「……紫乃さん」

「なあに?」

「紫乃さんと旦那さんって、告白はどちらからだったんですか?」

「あら、どうしたの急に」

「ちょっと、聞いてみたくなって」

「ふふ、実は私なの。ハニーちゃんは照れ屋さんだから……美雨ちゃんも、気になっている彼に告白したいの?」


 美雨は少し迷ってから、口を開いた。


「その人とは一緒に出かけたりしてるって、前に言ったじゃないですか」

「そうね」

「そこから進展がなくて……恋人になりたいな、とは思うんですけど」

「けど?」


 紫乃が首を傾げる。

 美雨は手元の紅茶の入ったマグカップに視線を落とした。


「今の関係もすごく心地よくて……それが変わってしまうのが、少し怖いんです」


 美雨はマグカップの縁を、親指でそっとなぞった。


「もし気持ちを伝えて、今みたいに話せなくなったらって思うと、どうしても尻込みしちゃって」

「……そうなのね」


 紫乃は美雨の言葉を受け止めるように頷き、優しく微笑んだ。


「美雨ちゃん、その人のことが本当に好きなのね」

「……はい」


 美雨は少しだけ頬を赤く染めた。

 晴臣が好き。その気持ちだけは、ずっと変わらなかった。


「それなら、無理に急がなくてもいいんじゃないかしら」

「……そうでしょうか」

「ええ。今の関係も大切なんでしょう? それが壊れてしまうのが怖いと思うことは、自然なことよ」


 紫乃はカフェオレを一口飲んでから、続けた。


「でもね、美雨ちゃん。恋人になりたいという自分の気持ちも大切にしていいのよ」

「……自分の気持ち」

「そう。今の関係を大切にしたいと思うのも、彼ともう少し近づきたいと思うのも、どちらも美雨ちゃんの大切な気持ちでしょう?」


 美雨は、ゆっくりと頷いた。


「だから、焦らなくていいの。ゆっくりと悩んで、自分がどうしたいのかを決めればいいと思うわ」

「……はい」


 紫乃はいつものように穏やかに微笑んだ。


「ふふ、また彼とのこと聞かせてね」

「はい。また、相談に乗ってください」

「任せてちょうだい。経験豊富な人妻のお悩み相談室を開いてあげるわ」

「もう……なんですか、それ」


 二人の笑い声が休憩室に小さく響いた。



◇



 午後四時十五分。

 今日は定時で仕事を終え、美雨は支援センターを後にした。


 夕方の街を歩きながら、美雨は昼休みに紫乃から言われた言葉を思い返していた。


(自分の気持ちを大切にして、自分で決める)


 今の関係が心地よくて、大切だからこそ壊してしまうのが怖かった。

 けれど、もし恋人になれたなら、今よりもっと近くで彼と過ごせるのだろうか。そんな未来を想像すると、胸の奥が少しだけ温かくなった。


(私の気持ち、ちゃんと伝えたいな)


 美雨は小さく微笑み、いつもより少し軽い足取りで家路についた。



◇



 午後八時。

 帰宅し、夕食を済ませた美雨はベランダへと出た。隣の部屋には明かりがついている。


(立花さん、今日は帰ってきてるんだ)


 それだけで少し嬉しくなった。

 夜風に当たりながら街の明かりを眺めていると、隣からカラカラと窓の開く音がした。


「こんばんは、水瀬さん」

「……こんばんは、立花さん」


 聞き慣れた穏やかな声に、美雨の表情が自然と緩む。


「今日はもうお仕事終わったんですか?」

「うん。今日は少し早く帰れたんだ」

「そうなんですね。昨日は遅かったんですか?」

「……そうだね。ちょっと仕事が立て込んでて」

「お疲れさまです」

「ありがとう。水瀬さんにそう言ってもらえると疲れが吹き飛ぶよ」


 晴臣の軽口に、美雨は小さく笑った。

 それからも二人は、明日の天気や最近見つけたお店のことなど、他愛のない話を続けた。

 ときどき会話が途切れても、気まずくなることはなかった。遠くを走る車の音を聞きながら、どちらからともなく次の話題を口にする。


 そんな穏やかな時間は、いつもあっという間に過ぎてしまう。


「……そろそろ、戻ろうかな」


 晴臣の声に、美雨は名残惜しさを感じる。


「そうですね。明日は土曜ですけど、立花さんはお休みですか?」

「うん、そうなんだけどね。少しだけ仕事が残ってるんだ」

「そうなんですね。無理しないでくださいね」

「ありがとう。水瀬さんも無理しないでね」

「はい、ありがとうございます……おやすみなさい、立花さん」

「おやすみ、水瀬さん」


 隣の窓が静かに閉まる。

 美雨は、ひとりベランダに残った。


(……好きだなあ)


 隣の部屋へ視線を向けながら、美雨はそっと微笑んだ。

 いつか、もう少しだけ勇気を持てたのなら、そのときはこの気持ちを伝えられるだろうか。

 美雨は夜空を見上げた。秋の夜風が、頬をそっと撫でていった。

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