07.魔法乙女と六本脚の怪物
通信指令部から戦闘許可が下りた直後、ギアビーストが動き始めた。
六本の脚が金属質な音を立て、地面を叩いた。
ゆっくりと向きを変える機体を見据えながら、アクア・アムールは軽く拳を握る。
(さて、どうしよう)
今日の相手は、いつもの二足歩行型とは随分と勝手が違う。
地面に近い胴体から、左右に三本ずつ細い脚が伸びている。機体そのものは小柄だが、複雑な関節を持つ六本の脚はどの方向にも自在に動きそうだった。
(とりあえず、様子見かな)
方針を決めたアクアは地面を強く蹴り、一気に距離を詰めた。
機体の側面へ回り込み、まずは一撃を入れて反応をたしかめるつもりだった。
「っ、や!」
しかし、アクアの蹴りが届く寸前、ギアビーストの姿が横へ滑った。
六本の脚がそれぞれ異なる方向へ動き、機体がほとんど減速することなく向きを変えたのだ。
アクアの蹴りは空を切った。すぐさま後方へ飛び退き、体勢を立て直す。
次の瞬間、ギアビーストが跳ねた。
アクアの頭上を軽々と飛び越え、振り返ったときにはすでに着地を終えていた。
六本の脚を器用に動かし、再びこちらへ向き直る。
「なるほど……スピード重視型、かな」
アクアが小さく呟く。
いつもの二足歩行型なら方向転換の前に重心が動く。肩や腰の向きから次の動きをある程度予測できる。けれど、今回の機体にはそれがない。
六本の脚を使い、どの方向へでも素早く動けるらしい。
(これは、少し厄介かも)
ギアビーストが再び動いた。今度は真正面からアクア目掛けて突進してくる。
アクアは横へ跳んでかわした。ところが、機体はそのまま急旋回し、再びこちらへ向かってくる。
「わっ、と!」
アクアが身体をひねってかわすと、金属の脚が先ほどまで立っていた場所に突き刺さった。
衝撃でコンクリートに細かな亀裂が走る。小型とはいえ、相当な力だ。
アクアは距離を取り、相手の動きを観察する。
速いだけでなく、変則的な動きも得意らしい。ギアビーストは地面を滑るように走り、勢いを落とさないまま工場跡地の壁を駆け上がった。
「……壁を登るのは、ちょっと反則な気もするけど」
思わず恨めしい声が出る。
六本の脚が壁面を捉え、機体は重力など気にしていないかのように上へと移動していく。
アクアが見上げた瞬間、ギアビーストが壁を蹴った。黒い影が頭上から迫る。
「っ!」
アクアは反射的に後ろへと跳んだ。
直後、ギアビーストが地面へ激突する。鈍い音とともにコンクリートが砕け、細かな破片が辺りに飛び散った。
アクアは腕で顔を庇いながら着地する。
(今のは危なかった!)
あと半歩遅ければ、まともに攻撃を受けていただろう。けれど、そこで慌ててはいけない。
アクアはゆっくりと息を吐いた。
魔法乙女として働き始めて、もう二年になる。
これまでにも初めて見る機体と何度も戦ってきた。大切なのは、焦らずに相手の特徴を見極めることだ。
ギアビーストが再び動き出す。
アクアは今度こそ、その脚の動きを注意深く見つめた。
◇
六本脚のギアビーストは、工場跡地を縦横無尽に駆け回っていた。
アクアは何度か攻撃を仕掛けたものの、なかなか決定打を与えられない。
相手は小刻みに方向を変え、拳や蹴りが届く直前に逃げてしまうのだ。
「うーん、速いな」
思わず苦笑する。
しかし、いつまでも追いかけっこをしているわけにはいかない。
アクアは追撃をやめ、六本の脚の動きに目を凝らした。
右へ旋回。
左へ跳躍。
壁を駆け上がり、地面へ着地。
六本の脚はそれぞれ独立して動いているように見えるが、よく観察すると、一定の規則性があることに気づいた。
急な方向転換をするとき、機体は内側の脚で強く地面を踏みしめている。そのたびに胴体がわずかに傾き、脚の関節にも大きな負荷がかかっているようだった。
アクアは拳を握り直した。
六本も脚があるから、あんなにも素早く動けるのだろう。
(……じゃあ、脚を減らせばいいよね)
我ながらいい考えだ。
むしろ、なぜもっと早く思いつかなかったのだろう。
「よしっ!」
ギアビーストが正面から迫る。
アクアは相手が旋回する瞬間を狙い、勢いよく踏み込んだ。
「えいっ!」
力を込めた蹴りが右側の後脚の関節を捉え、甲高い金属音が響いた。一本の脚が大きくひしゃげ、ギアビーストの胴体が傾く。
ところが、残った五本の脚がすぐさま地面を捉え、機体は姿勢を立て直した。
「……あれ?」
アクアは思わず目を丸くした。
脚を一本失ったというのに、ギアビーストはまだ動いている。それどころか、残った脚を器用に使って再び走り始めた。
(五本でも動けるってこと、だよね)
たしかに脚が六本もあれば一本くらい失っても、移動はできるのかもしれない。
アクアは少し考えた。
(……一本じゃ足りなかったんだ)
それなら、話は簡単だ。
(それなら、もう一本……いや、走れなくなるまで壊せばいい)
アクアは納得して頷いた。
もっとも、無闇に攻撃するわけではない。それでは同じことの繰り返しだ。
よく見ると、ギアビーストは以前と同じように素早く動こうとしているものの、右へ急旋回するとき、残った脚の動きがわずかに乱れるようになっていた。
失った一本の分まで、ほかの脚が機体を支えているのだろう。
アクアは右側の前脚に狙いを定めた。
ただし、相手は素早い。こちらから追いかけても、また逃げられるだけだ。
それなら、とアクアはあえてその場に立ち止まった。
ギアビーストが向きを変え、機体の内部から低い駆動音が響く。残った五本の脚が地面を強く蹴り、一直線にアクアへと迫ってきた。
(もう少し)
距離が縮まる。アクアは動かない。
(まだまだ)
ギアビーストがさらに加速した。
背後には、古い工場のコンクリート壁。このまままともに突進を受ければ、壁に叩きつけられるだろう。
それでも、アクアは相手から目を逸らさなかった。
(今!)
ギアビーストが目前に迫った瞬間、アクアは機体の左側へ斜めに踏み込んだ。
機体が反射的に右へ向きを変え、右側の前脚が強く地面を踏みしめる。その一瞬を、アクアは見逃さなかった。
「っ、てやっ!」
アクアの蹴りが、関節部分に叩き込まれた。
水色の光を帯びた一撃に、金属が軋む。右側の前脚が大きく折れ曲がり、機体の姿勢が崩れた。
勢いを殺しきれなかったギアビーストは、横倒しになって地面を滑る。コンクリートを削りながら、火花を散らした。
アクアは地面を強く蹴ると、倒れた機体へと一気に距離を詰める。ギアビーストは残った脚を動かして起き上がろうとしたが、もう間に合わない。
アクアは機体の背中に狙いを定めた。
「やあっ!」
水色の光を帯びた拳を力いっぱい振り下ろすと、勢いに合わせてスカートの裾がふわりと舞った。鈍い衝撃音とともにギアビーストの胴体が地面へと沈む。
アクアは拳を引き、ゆっくりと息を吐いた。
「……ふう」
しばらく機体を見つめる。動かない。
アクアは距離を取り、通信を開いた。
「対象の動作が停止しました。活動状態の確認をお願いします」
『対象の反応低下を確認。完全停止の確認が取れるまで、その場で待機してください』
「了解です」
アクアは周囲を見回した。
崩れたコンクリート。
壁に残った爪痕。
地面に刻まれた、いくつもの傷。
幸い、周辺の建物に大きな被害はなさそうだった。
それにしても、今回の機体はなかなか手強かった。小型だからといって、油断はできない。
改めてそう思いながら、アクアは通信指令部からの報告を待つ。
通信機からわずかにノイズ音がした。
『ギアビーストの完全停止を確認しました。任務完了です』
「お疲れさまでした」
アクアは肩の力を抜いた。これでようやく帰社できる。
◇
支援センターへ戻った頃には、午後五時を過ぎていた。
美雨は壁に掛けられた時計を見上げ、小さく息を吐く。
「……定時、とっくに過ぎちゃったな」
早番の勤務終了時刻は午後四時。
けれど、美雨の仕事はまだ終わっていなかった。戦闘報告書には、機体の特徴や戦闘経過、現場の被害状況を記録しなければならない。
しかも、今日はそれだけではなかった。
「美雨先輩、おかえりなさーい!」
明るい声に振り返ると、莉子がこちらへと駆け寄ってきた。
「ただいま、莉子ちゃん」
「ギアビースト、六本脚だったんですよね? どうでした?」
「うん。すごく素早くて、ちょっと大変だったかな」
「うわあ、私だったら目が回っちゃいそうです!」
莉子は大げさに頭を抱えた。
それから美雨を見て、首を傾げる。
「それで美雨先輩、どうやって倒したんですか?」
「別に、いつもと一緒だよ」
「……いつもと一緒?」
「相手が倒れるまで、やる」
「……なるほど」
莉子はなんとも言えない顔で頷くと、少しためらってから口を開いた。
「……美雨先輩って、結構脳筋タイプですよね」
「えっ、そうかな?」
「そうですよ! 訓練のときの指摘は的確なのに、自分のことになると、ちょっと、こう……もっとアイテムに頼ろうとか思わないんですか?」
「でも、アイテムは各々の得意な戦闘スタイルに合わせて貸与されてるから」
「……ああ、美雨先輩は攻撃補助用のグローブとブーツでしたよね」
美雨が頷くと、莉子は少しの間黙り込んだ。
それから、にっこりと笑う。
「でも、美雨先輩のそういうところ好きです!」
「え、どういうところ?」
「そういうところです!」
莉子が楽しげに笑う。
美雨は首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
「って、あれれ? 美雨先輩、報告書が二つありませんか?」
莉子が美雨の端末に目を向ける。
美雨は開いていた書類を確認しながら、小さくため息をついた。
「そうなんだよね。今日はちょっと、いろいろあって」
「えっ、なにがあったんですか?」
「実は、ダークネスの関係者を名乗る人と遭遇して」
「……ええっ!」
莉子の声が支援センターに響き、周囲にいた職員が何人か振り返った。
美雨が苦笑すると、莉子は慌てて口元を押さえる。それから声を小さくした。
「それ、大丈夫だったんですか? 美雨先輩、なにかされませんでした?」
「うん、なにもされなかったよ」
「本当ですか?」
「……むしろ、お仕事頑張ってくださいって言われちゃったんだよね」
「はい?」
莉子はぽかんと口を開け、まあるい目をぱちくりとさせた。
「悪の組織の人に、ですか?」
「そうだね」
「……なんでですか?」
「それが、私にもよくわからなくて」
二人は顔を見合わせた。
しばらくして、莉子がぽつりと呟いた。
「……変な人ですね」
「うん。私もそう思う」
美雨は苦笑した。
それから端末をデスクに置くと、軽く伸びをする。
「でも、ダークネスの関係者を名乗った以上、きちんと報告しないとね」
「そうですね……あ、美雨先輩、なにか手伝えることありますか?」
「ありがとう。でも、接触したのは私だから、自分で書かないと」
「ですよねえ」
莉子は残念そうに肩を落とした。
それも一瞬のことで、やる気を出すように胸の前で拳を握る。
「じゃあ、私も自分の仕事に戻ります! 美雨先輩、頑張ってくださいね!」
「うん。ありがとう、莉子ちゃん」
莉子が手を振って離れていく。
美雨は端末に向き直り、表示された書類の一覧を見つめた。
「よし、頑張ろう」
美雨は気を取り直し、入力を始めた。
まずは戦闘報告書から。
今回のギアビーストは六本脚の小型機。高い機動力を持ち、壁面を移動する能力があった。
脚の一部を破損しても行動を継続できたことは、今後の対応にも関わる重要な情報だ。
美雨は内容を一つひとつ確認しながら入力していく。
戦闘報告書を終えると、今度は接触報告書だ。
画面に表示された項目を見て、美雨は少しだけ眉根を寄せた。
『接触した人物の特徴』
「黒いスーツに、仮面……」
思い出しながら入力する。
背が高い男性。声には電子的な加工が施されていた。
『人物の言動』
美雨の指が止まった。
あの男は、一体なにを言っていたのだったか。
『私、ダークネスの者です』
まず、そう名乗った。
『こちらにも事情があるんですよ』
『市民の皆さまの安全確保は、とても大切なことですから』
美雨は思い出した言葉を一つずつ整理していく。
けれど、どれも悪の組織の人間が口にするには、妙に穏やかなものばかりだった。
「……うーん」
美雨は小さく唸った。
悪の組織の関係者なのに、市民の安全が大切だと言う。自分たちが街へと送り込んだギアビーストの危険性も、あっさり認めていた。
いや、それもだが。
『お仕事、頑張ってくださいね』
「……私、なんで応援されたんだろう」
思わず声に出してしまった。
悪の組織の人間から、仕事を応援される魔法乙女。なんだか、おかしな話である。
(悪い人……なんだよね?)
美雨は首を傾げた。
もちろん、相手の言葉をそのまま信じるわけにはいかない。ギアビーストを街へと送り込んでいる組織の関係者なのだ。
けれど、あの男自身は少なくとも美雨に対して敵意を見せなかった。それどころか、妙に礼儀正しかった。
(……やっぱり、変な人だったな)
美雨は小さく息を吐き、入力を再開した。
個人的な感想は報告書には必要ない。大切なのは、事実を正確に記録することだ。
美雨はもう一度男との会話を思い返しながら、端末に向かって入力を続けた。
◇
すべての報告を終えて支援センターを出た頃には、すっかり日が暮れていた。
美雨は軽く肩を回しながら、帰路につく。
「……疲れたな」
思わず、そんな声が漏れた。
今日は朝から警らに出て、そのままギアビーストとの戦闘。さらに、ダークネスの関係者と接触したせいで、報告書が増えてしまった。
帰ったら、お風呂に入る。それから作り置きしている夕飯を食べて、あとはゆっくりと過ごしたい。そう考えたところで、ふと晴臣の顔が浮かんだ。
(立花さん、今日はお仕事だよね)
以前、晴臣は都市インフラ関連のシステム会社に勤めていると言っていた。平日なのだから、今日は仕事をしているのが当然だろう。
けれど、もしかしたら今夜もベランダで少し話せるかもしれない。そう考えただけで、美雨の口元がわずかに緩んだ。
特別な用事があるわけではない。魔法乙女としての仕事も、今日あった出来事も、守秘義務があるため話せない。
それでも、いつものように他愛のない話ができたら、それだけで嬉しかった。
晴臣の声を思い浮かべながら、美雨はいつもより少しだけ足を速めた。
◇
帰宅して、夕飯を済ませると、美雨は部屋着のままベランダへと出た。
夜の空気は少しひんやりとしている。昼間の工業エリアとは違って、マンションのある居住エリアは静かだった。
美雨は手すりに軽く手を添え、街の明かりをぼうっと眺める。
遠くまで続く高層ビルの窓明かり。その間を縫うように伸びる空中交通路には、小型の公共車両の光がゆっくりと流れていた。
ネオ・トーキョーの夜景は、いつ見てもきれいだ。
しばらく眺めてから、美雨はなんとなく隣のベランダへ目を向けた。
仕切りの向こうは静かだった。隣室の窓にも明かりはついていない。
美雨は小さく肩を落とした。
もちろん、約束をしていたわけではない。晴臣だって仕事があるし、帰宅後は自分の時間を過ごしたい日だってあるだろう。
美雨はもう一度、仕切りの向こうへ目を向けた。けれど、やはり物音はしなかった。
「……お疲れさまです、立花さん」
誰もいない隣のベランダに向かって呟く。
当たり前だが、返事はない。
「なにやってるんだろう、私」
美雨は小さく笑った。
誰もいないのに話しかけるなんて、自分でも少しおかしい。
美雨は夜空を見上げた。
ビルの明かりに照らされた空には、わずかに星が瞬いている。
(明日は話せるといいな)
もう一度だけ隣のベランダに目を向けてから、美雨は部屋へと戻った。
仕切りの向こうは、最後まで静かなままだった。




