06.仮面のわるものさん
木曜日、午後三時十八分。
中央第三地区の工業エリアに、ギアビーストが出現した。
警らを終え、支援センターに戻る途中だった美雨は小さく息を吐く。
(今日は早番だったから、もう定時で帰れると思ったんだけどな)
美雨は気持ちを切り替えて、携帯端末に入った通信指令部からの呼びかけに応じた。
『アクア・アムール、出動可能ですか?』
「はい。現在地からおよそ五分で現着可能です」
『了解。アクア・アムール、出動を承認します』
「承知しました」
美雨は人通りのない路地へ入り、手首につけたブレスレット型の変身デバイスに触れた。
「中央第三地区、アクア・アムール。変身の承認をお願いします」
『本人認証完了。アクア・アムール、変身を承認します』
「承認確認。――ラブ・オン!」
水色の光が弾けた。
変身を終えたアクア・アムールは、軽やかに屋根へ跳び上がり、現場へ急行する。
(目標は手早く安全に片付けて、定時退勤!)
そんなささやかな願いを胸に。
◇
中央第三地区の工業エリア。
一体のギアビーストが工場跡地を徘徊していた。
周辺はすでに封鎖され、警察と消防による避難誘導が進んでいる。
「こちら、アクア・アムール。現着しました」
『了解。市民の避難完了まで待機してください』
「了解しました」
アクアは遠目からギアビーストを観察する。
今日の機体は普段見かけるものより小型だ。
いつもの二足歩行型とは違い、細い脚が六本もある。見るからに小回りが利きそうだった。
アクアも初めて見る型だ。
動きの癖がわからない以上、慎重に対応する必要がある。
そのとき、ふと建物の陰でなにかが動いた。
ギアビーストの位置を確認してから、アクアはそちらへ視線を向ける。
逃げ遅れた人がいたのだろうか。
そう思ったアクアは、周囲を警戒しながら建物の陰へと向かった。
「どなたかいらっしゃいますか? ここは危険です。一緒に避難しましょう」
「……おや、見つかってしまいましたね」
返ってきたのは、この場においては不自然なほど落ち着いた男の声だった。
そして建物の陰から姿を現したのは、見るからに怪しい男。
「アクア・アムール、今日も随分とお早い到着だ」
黒い三つ揃いのスーツに、黒いネクタイ。手には同じ色の革手袋をはめた、黒ずくめの男だった。
しかし、なによりも怪しいのは目元を覆う黒い仮面だ。表面に施された精巧な細工が、男の異質さを際立たせている。
そんな男の声には、わずかに電子的なノイズが混じっていた。
「……どちらさまですか?」
アクアが警戒しながら尋ねると、男は片手を胸に当て、軽く頭を下げた。
「私、ダークネスの者です」
アクアは男から一歩距離を取った。
悪の組織、ダークネス。
ギアビーストを街に送り込む、正体不明の集団──その関係者が、いま、目の前にいる。
「ダークネスの方が、なんのご用ですか?」
「少々、現場の様子を確認しに来ていまして……あなたに見つかる予定はなかったのですが」
「……現場確認?」
「ええ。こちらにも事情があるんですよ」
悪の組織の人間だという男の言葉遣いは、妙に丁寧だった。まるで仕事の打ち合わせでもするような口調だ。
「それで、今日はなにを企んでいるんですか?」
「企む、というほど大げさなものではありませんが」
「ギアビーストなんて危険なものを街に出しておいて、それは無理があると思いますけど」
「ごもっともですね」
男がやけにあっさりと認めたので、アクアは思わず片眉を上げた。
悪の組織の人間なのに素直にアクアの指摘を認める。そのちぐはぐさに、なんだか調子を狂わされそうだ。
「とにかく、ダークネスの関係者だと名乗った以上は、あなたを見逃すわけにはいきません!」
アクアが一歩踏み出すと、男は不思議そうに首を傾げた。
「困りましたね。ですが、あなたには私を拘束する権限がないはずです」
「それは……でも、あなたはギアビーストを街に放っているダークネスの関係者、なんですよね?」
「ええ。ただ、あなたは私が今回の件に関与するところをご覧になったのでしょうか?」
アクアは言葉に詰まった。
たしかに男がギアビーストを街に放ったところも、操作しているところも見ていない。
魔法乙女に認められているのは、災害時の救助活動とギアビーストへの戦闘行為。それ以外の権限は、一般市民と変わらない。
魔法乙女になる際の研修でもそう教わっていた。
相手がダークネスの関係者を名乗ったからといって、それだけで拘束できるわけではないのだ。
「……そうなると、あなたは悪の組織の関係者を名乗る、不審者ということになりますが」
「……それは、まあ、そうですね。この格好については私もどうかと思いますし」
男は自分の服装を見下ろすと、いかにも不満そうに答えた。
これにはアクアも少しだけ毒気を抜かれてしまう。けれど、ここで引き下がるわけにはいかない。
「ダークネスの目的はなんなんですか?」
「なんでしょうねえ……大いなる意思に従っているまで、ですよ」
男はどこか芝居がかった調子で答えた。
アクアは眉根を寄せる。
男は質問に答えているようで、なにひとつ答えていない。暖簾に腕押しとは、まさにこのことだ。
「……あなたたちの目的はわかりませんが、市民を危険な目に遭わせるのはどうかと思います」
アクアは苦々しく呟く。
男を拘束することもできず、有益な情報を引き出すこともできない。
せめて文句のひとつくらいは言ってやりたかった。
「その通りですね」
「……その通り?」
「ええ。市民の皆さまの安全確保は、とても大切なことですから」
悪の組織の人間が、市民の安全について語っている。しかも、慇懃すぎるほどに真面目な口調で。
アクアは返す言葉を探した。
「それでは、私はこれで」
「えっ、いや、ちょっと待って!」
「お仕事、頑張ってくださいね」
「えと、ありがとうございます?」
普段、市民から励まされたときと同じように、アクアは反射的に答えてしまった。
男が小さく笑ったような気がした。もっとも、それすら加工された電子ノイズのせいかもしれない。
そうしてアクアが呆気に取られている間に、男は建物の陰を抜け、路地の向こうへと歩き去っていく。
思わず追いかけようとしたアクアは、足を止めた。今は避難誘導の最中で、ギアビーストもまだ動いている。勝手に現場を離れるわけにはいかない。
アクアは男の背中を見送り、通信指令部に報告しようと耳元のイヤリング型通信機に触れた。
「……最後の、なんだったんだろう」
思わず呟いてから、気を引き締め直す。今は報告が先決だろう。
「こちら、アクア・アムール。通信指令部、応答願います」
『こちら、通信指令部。アクア・アムール、どうしましたか?』
「すみません。ダークネスの関係者を名乗る人物と接触しました。現在、その人物は現場を離れています」
アクアの報告に通信の向こうで職員が息を呑む気配がした。
けれど、次に返ってきた声は努めて冷静だった。
『了解。人物の特徴を報告してください』
「黒い三つ揃いのスーツに、目元を覆う仮面。男性と思われます。声には電子的な加工がありました」
『承知しました。記録し、警察へ情報を共有します。現場の安全確認を継続してください』
「了解しました」
通信を終え、アクアは路地から元の位置へ戻るとギアビーストに視線を向けた。
まだ、任務は終わっていない。今は目の前の仕事に集中しよう。
『アクア・アムール、警察から避難完了との報告が入りました。戦闘区域内に一般市民はいません』
「了解。戦闘許可を申請します」
『安全条件を確認。戦闘を許可します』
「許可、確認しました」
アクアは拳を握った。
目の前では、ギアビーストが金属質な音を立てながら動いている。
大きく息を吸い、いつもの口上を唱えた。
「澄みわたる心に、恋のきらめき! 愛と希望の魔法乙女!」
「アクア・アムール! わるものさんは、恋のしずくでお仕置きです!」
口上を唱え終え、アクアはギアビーストを見据えた。
それでも、心の片隅には先ほどの男のことが引っかかっている。
(なんだか、変な人だったな)
悪の組織の謎は深まるばかりだ。
◇
同時刻。
工業エリアから少し離れた場所で、黒いスーツの男が通信を開いていた。
『立花部長、現場確認は終わりましたか?』
イヤホンの向こうから、部下である航の声が聞こえてくる。
アクア・アムールとの接触は予定外であったが、大事には至らなかった。
晴臣は安堵の息を吐き、通信に応じた。
「ああ。問題ないよ」
『アクア・アムール、来てました?』
「うん。彼女は今日も素早い対応だね」
『それはなによりです。部長、なんか嬉しそうですね』
航の言葉に晴臣は思わずまばたいた。
仕事中に私情を挟んだつもりはなかったのだが。
「そう?」
『はい。声がちょっと柔らかいです』
「気のせいじゃないかな」
『そうですかねえ』
疑うような声に晴臣は小さく苦笑した。
アクア・アムールこと、水瀬美雨。
彼女は今日も美しいほどにまっすぐだった。
誰かの安全を第一に考え、自分の職務に誇りを持っている。
それが――どうしようもなく、愛おしい。
『部長』
「なに?」
『次の会議、十七時からです』
「わかってるよ」
晴臣は人目につかない場所に停めてあった業務車両へ乗り込んだ。扉が閉まるのを確認してから、ようやく仮面を外した。
声から電子的なノイズが消え、普段通りの穏やかな声に戻る。
『あと、現場報告書の提出期限は今日中です』
「……そうだったね」
『忘れてました?』
「忘れてはいないよ」
『本当ですか?』
晴臣は、ややしつこい部下に返事をせず、話題を変えた。
「朝倉くん」
『はい』
「会議資料、準備しておいてくれる?」
『また話をすり替えましたね』
「そんなことないよ……資料、頼んだね」
『はいはい。了解です』
ぷつ、と通信が切れた。
晴臣はフロントガラス越しに空を見上げた。ネオ・トーキョーの空は、今日も狭くて青い。
美雨が守る街。自分が守ろうとしているもの。
その二つは近しいようでいて、決して同じではない。けれど、どちらも大切なものだった。
「……さて」
晴臣は小さく息を吐き、軽く伸びをした。
普段はデスクワークが中心だが、こうして現場に出ると書類だけではわからないことも見えてくる。
「早く会社に戻らないとな」
悪の組織の部長にも定時というものがある。
もっとも、今日は定時で帰れる保証などないけれど。
そして彼にはもうひとつ、仕事以上に難しい問題があった。
隣の部屋に住む愛しい女性。
彼女に思いを伝える日はまだ遠い──少なくとも、今は。
晴臣はその気持ちを胸にしまい、業務車両を発進させた。
魔法乙女も、悪の組織のわるものさんも、それぞれの仕事をこなしながら、今日も街の営みを支えている。
そして、そんな二人の恋物語は――まだ、始まったばかり。




