03.日曜日のカフェ
日曜日、午後二時。
美雨はマンションのエントランスで、晴臣を待っていた。
淡いベージュのブラウスに、焦げ茶色のロングスカート。足元には、少しだけヒールのあるパンプスを合わせた。
仕事の日とは違って、髪もいつもより丁寧に整えている。
「……ちょっと、気合い入れすぎかな」
軽く巻いた前髪をいじりながら心配する美雨をよそに、ほどなくして晴臣がエレベーターから降りてくる。
白いシャツに、少し大きめのマスタード色のカーディガン。すっきりとした細身のパンツを合わせている。
いつものスーツ姿とは違う、休日らしいラフな格好も晴臣にはよく似合っていた。
「お待たせ、水瀬さん」
「いえ、私も今来たところです」
「よかった。じゃあ、行こうか」
「はい」
二人は並んで歩き出した。
晴臣は歩幅が大きいけれど、美雨に合わせて歩いてくれる。その隣は、いつも自然に歩きやすかった。
ただ、晴臣はもともと気遣いのできる人だ。自分にだけ特別なのかどうかは、やはりわからない。
「そういえば、立花さん」
「うん?」
「今日はケーキ、何個の予定ですか?」
晴臣は悩ましげに唸った。まるで重大な決断を迫られたかのように、形のいい眉を寄せている。
「うーん……三つかな」
「ふふ、最初から三つなんですね」
「うん。今日は、迷わないことにしたんだ」
「潔いですね」
「まあね。昨日、メニューを見て決めておいたから」
「それは、準備がいいことで」
晴臣が朗らかに笑う。美雨もつられて笑ってしまった。
こういうやり取りが好きだ。
何か特別な話をしているわけではない。それなのに、晴臣といると、他愛のない会話まで面白く感じる。
そんな会話を交わしながら、二人はいつものカフェへ向かった。
店に着くと、ちょうど窓際の席が空いていた。午後の日差しが差し込む、明るい席だ。
店員に案内され、二人は向かい合って腰を下ろした。
「今日は天気もいいし、いい席だね」
「ですね」
メニュー表を開き、美雨は少しだけ考えた。
甘いものは嫌いではないけれど、得意というわけでもない。
結局、いつも通り紅茶と小ぶりなチーズケーキを選んだ。
晴臣は宣言通りに、ケーキを三つとコーヒー。
店員が注文の際、驚いたようにまばたくのを見て、美雨は笑いを噛み殺した。
「立花さんが厳選したケーキ、楽しみですね」
「うん。どれもおいしそうだったからね」
やがて、注文した品が運ばれてきた。
晴臣の前には、モンブラン、チョコレートケーキ、季節限定の洋梨のタルト、それにコーヒー。美雨の前には、小ぶりなチーズケーキと紅茶が並んだ。
「どれから食べるんですか?」
「水瀬さん、難しいことを聞くね……でも、まずは洋梨かな」
「新作ですもんね」
「うん」
晴臣は瞳を輝かせながらタルトにフォークを入れ、一口分を口へと運んだ。
一瞬、大きな瞳を見開いたかと思うと、蕩けるようにふっと眦を下げた。
その幸せそうな表情に、美雨は思わず笑ってしまう。
「おいしいですか?」
「うん、すごく」
「ふふ、よかったですね」
「……水瀬さんも、一口食べる?」
美雨は小さく首を横に振り、自分の前に置かれたチーズケーキへ視線を落とした。
「ありがとうございます。でも、立花さんが楽しみにしていたものですし、今日は自分のケーキで満足です」
「そっか」
晴臣は無理に勧めたりはしない。
美雨が甘いものをあまり得意としないことを、よく知っているからだ。
その代わりに晴臣は、美雨のチーズケーキを見て言った。
「水瀬さん、チーズケーキ好きだね」
「ここのは甘さ控えめで、特に好きなんです」
「なるほど。水瀬さん向きだね」
「立花さんには、ちょっと物足りないかもしれませんけど」
「そうかも」
くすくすと二人は笑い合った。
晴臣が三つ目のケーキを食べ終える頃、美雨は紅茶を飲みながら、その顔を眺めていた。
格好いい。優しい。話していて楽しい。それに、甘いケーキを三つもペロリと食べてしまう。
(ああ、本当に、立花さんのこと好きだな)
心の中で呟いて、美雨は紅茶のカップを両手で包み込んだ。
「水瀬さん」
「はい」
「僕の顔、なにかついてる?」
「……いえ、なんでもないです」
「そう?」
納得できなさそうに頷く晴臣に小さく笑って、美雨は紅茶の入ったカップをソーサーに戻す。
「ただ……立花さん、幸せそうだなと思って」
晴臣は一度まばたきをすると、ゆるりと目を細めた。
「……うん、幸せだよ」
その言葉に、美雨は思わず息を止めた。
晴臣が言っているのは、もちろんケーキのことだ。それは美雨だってわかっている。
わかっているのに――晴臣のそういう言い方は、本当にずるい。
美雨は誤魔化すように、チーズケーキを一口食べる。
甘さは控えめのはずなのに、今日はやけに甘く感じた。
◇
カフェを出た二人は、近くにある書店に立ち寄った。お決まりのコースだ。
美雨が平積みされた新刊のファンタジー小説を見つけると、晴臣は隣で興味深そうに色鮮やかな表紙を眺めた。
「新しいシリーズ?」
「はい。前から気になってたんです」
「面白そうだね」
「立花さんも読みますか?」
「水瀬さんの感想を聞いてから決めようかな」
少しだけ意地悪そうに晴臣が笑う。
美雨はまばたいて、わざとらしく眉を下げた。
「……それは、責任重大ですね」
「期待してるよ」
「ふふ、任せてください」
美雨は悩んだ末に一冊だけ本を購入し、晴臣と一緒に書店を出た。
少しずつ日が傾きはじめた街は、穏やかな空気に包まれている。
遠くには高層ビル群。その隙間を縫うようにして、空中交通路を小型の公共車両が行き交っていた。
ネオ・トーキョーは、今日も平和だった。
「今日はありがとう、水瀬さん」
「こちらこそ、ありがとうございます。楽しかったです」
「うん、また行こうね」
「はい。次はどこにしましょうか」
「水瀬さん……どこか、行きたいところはある?」
行きたいところ。
夕焼けに染まりつつある街を晴臣と二人で歩きながら、美雨は考える。
カフェもまた行きたいし、晴臣となら書店を巡るのだって楽しいだろう。
以前、彼は映画が好きだと言っていたから映画館もいいかもしれない。
美雨はカフェだけではなくて、二人で、もっといろいろな場所に出かけたい。
「ありますよ」
「本当?」
「……立花さんと行きたいお店ばかりが増えて、困ってるんです」
晴臣が、ほんの一瞬だけ足を止めた。
「……僕と?」
「はい。立花さんと一緒だと楽しいので」
美雨が目を細める。
それを見た晴臣は、少し遅れて口元を緩めた。
「じゃあ、少しずつ制覇していこうか」
「ふふ、お願いします!」
隣を歩く晴臣の頬を染めているのが、夕日の赤色だけではないことに、美雨は気づかなかった。




