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魔法乙女は今日もお隣さんに恋をする  作者: 夏野モエギ
第二章 恋する魔法乙女と仮面のわるものさん
12/13

12.お隣さんと冬の港町

 十二月に入って最初の日曜日。

 美雨は玄関の姿見の前で、くるりと一回転した。


 淡いベージュのコートに、お気に入りのニット。くすみブルーのロングスカートの裾がふわりと揺れる。

 足元はショートブーツ。小ぶりのショルダーバッグを肩に掛ければ、今日の準備は完了だ。


「うん、これでよし」


 鏡の中の自分に頷いて、美雨は携帯端末で時刻を確認した。


 今日は、隣に住む晴臣と少し遠くまで出かける約束をしている。

 以前から約束していたものの、お互い仕事の都合でなかなか予定が合わなかった。ようやく休日が重なったのが、今日だった。


 行き先は、ネオ・トーキョーから電車で一時間ほどの港町。

 古い赤レンガ倉庫を改装した商業施設や、海沿いの遊歩道が人気の観光地だ。


 晴臣とは、これまでも何度か一緒に出かけている。

 カフェに行ったり、書店に立ち寄ったり。今では、休日に二人で出かけることも珍しくなくなっていた。

 それでも、今日は少しだけ特別な気がする。


「……楽しみだな」


 美雨は小さく呟くと、玄関の扉を開けた。



◇



 マンションのエントランスには、すでに晴臣が待っていた。


 チャコールグレーのコートに、黒のタートルネック。普段のスーツ姿とはまた違った落ち着いた雰囲気がある。


「おはようございます、立花さん」

「おはよう、水瀬さん」


 美雨に気づいた晴臣が、柔らかく微笑む。


「今日はいつもと少し雰囲気が違うね。そのコート、よく似合ってるよ」

「本当ですか? ありがとうございます。立花さんも今日の服装、素敵ですね」

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな」


 晴臣は穏やかに笑った。

 そんな何気ないやり取りだけで、美雨の気持ちは少し浮き立つ。


「それじゃあ、行こうか」

「はい!」


 二人は並んでマンションを出た。



◇



 電車に揺られること、およそ一時間。

 港町の駅を出ると、潮の香りを含んだ冷たい風が頬を撫でた。


「わあ……!」


 美雨は思わず声を上げる。


 広い空の下には、青い海がどこまでも続いていた。港には大小さまざまな船が停泊し、その向こうには赤レンガ造りの建物が並んでいる。


「思っていたより、ずっと素敵なところですね」

「そうだね。天気もいいし……水瀬さんの日頃の行いかな?」

「そこは立花さんじゃないんですか」


 くすくすと笑う美雨に晴臣は目を細めた。


「じゃあ、まずは倉庫の方に行ってみる?」

「はい。気になるお店がいくつかあるんです」

「僕も調べてきたんだけど、評判のいい菓子店があるみたいでね」

「焼き菓子とかですか?」

「うん。季節限定のシュトーレンがあるらしいんだ」


 あまりにも嬉しそうに言うので、美雨は思わず笑ってしまった。


「立花さん、本当に甘いものがお好きですよね」

「僕は甘いものを愛し、甘いものに愛される男だからね」

「もう、なんですかそれ」

「……だめ?」

「だめじゃないですよ。どうせなら、いろんなお店のシュトーレン探しちゃいましょう」


 晴臣が楽しそうに笑う。

 美雨もつられて笑いながら、赤レンガ倉庫へと続く道を歩き始めた。



◇



 赤レンガ倉庫の中には、雑貨店や飲食店が立ち並んでいた。

 古い建物の面影を残した高い天井に、暖かな色の照明。店先には小さなクリスマスツリーやリースが飾られ、十二月らしい華やかさが漂っている。


 二人は気になる店を覗きながら、のんびりと歩いた。


 美雨が雑貨店の前で足を止めれば、晴臣も一緒に店内を覗く。晴臣が菓子店を眺めれば、美雨も一緒に焼き菓子を探した。


 晴臣は気になっていた菓子店で目当てのシュトーレンを見つけ、別の店でも一つ購入した。二つの袋を手に、どこか満足そうだ。


 どちらからともなく次の行き先を提案し、相談しながら歩く時間が心地よかった。


 昼食は港を見渡せるレストランで取ることにした。


 窓際の席からは、冬の日差しを受けてきらきらと光る海が見えた。


「水瀬さん、デザートはどうする?」


 食事を終えた晴臣がメニューを開きながら尋ねた。


「私は、このチーズケーキにします。立花さんは?」

「それが、迷ってるんだよね。ショートケーキもいいし、チョコレートケーキも捨てがたい」

「……それなら、両方頼んだらどうですか?」

「うん、そうしようかな。せっかくだからね」


 真剣な顔で頷く晴臣に、美雨は吹き出した。


「甘いもの、好きですね。この前もケーキを三つ食べてましたもんね」

「水瀬さん、よく覚えてるね」

「ふふ、忘れませんよ」


 二人で笑い合う。

 こんなふうに、なんでもないことで笑える時間が好きだった。



◇



 午後は、海沿いの遊歩道を散策することにした。


 倉庫街から少し離れると、観光客の姿もまばらになり、波の音がよく聞こえるようになった。


「ここから下りられるみたいだね」


 晴臣が指さした先には、海沿いへ続く石段があった。

 晴臣は先に数段下りると、振り返って美雨に手を差し伸べた。


「足元、気をつけてね」

「あ、ありがとうございます」


 美雨はその手を取った。晴臣の手は、大きくて温かかった。


 もちろん、これくらいの石段なら一人で何の問題もなく下りられる。魔法乙女として日々ギアビーストと戦っているのだから、むしろ得意な方だ。

 けれど、晴臣が差し伸べてくれた手を断る理由なんてなかった。


 石段を下り終えると、晴臣はそっと手を離した。


「大丈夫?」

「はい。ありがとうございます」


 美雨は笑顔で答える。

 けれど、手のひらにはまだ、彼の温もりが残っているような気がした。


(もう少しだけ、つないでいたかったな)


 そんなことを考えてしまった自分に、美雨は少しだけ苦笑する。

 晴臣は何事もなかったように、海の方へと視線を向けていた。


「向こうまで歩いてみようか。あ、この先にフォトスポットがあるらしいけど……水瀬さん、写真撮る?」

「いいですね!」


 美雨は彼の隣に並び、再び歩き始めた。


 遊歩道の先にあるフォトスポットでは、二人で海を背景に写真を撮った。

 近くにいた観光客が声をかけてくれたので、せっかくだからと二人並んだ写真も撮ってもらった。



◇



 日が傾き始めると、港町の景色は昼間とは違う表情を見せた。


 赤レンガの建物が夕日に染まり、海面には細長い光の道が伸びている。遊歩道の街灯も、ぽつぽつと灯り始めていた。


「きれいですね」

「うん。来てよかったね」


 二人は海を見渡せる場所で足を止めた。


 しばらく並んで景色を眺めていると、晴臣がふと口を開いた。


「暖かくなったら、また来てみたいね」

「いいですね」

「うん……今とはまた違った景色が見られそうだから」


 美雨は晴臣を見上げた。


「……私も、また来たいです」

「じゃあ、春になったらまた一緒に来ようか」

「ふふ、約束ですよ?」

「うん、約束」


 晴臣はいつものように、優しく微笑んだ。


 春になったら、また二人でここへ来る。

 今日と同じように並んで歩いて、カフェに入って、なんでもないことで笑い合う。

 そんな未来を想像すると、自然と嬉しくなった。


 けれど、そのときも自分たちは今と同じ関係なのだろうか。

 ただの仲の良いお隣さんとして、彼の隣を歩いているのだろうか。


 美雨はそっと晴臣の横顔を見つめた。


(そんなの、私は──)


 その先に続く思いを、美雨はまだ言葉にできなかった。



◇



 帰りの電車では、今日撮った写真を二人で見返した。


「この写真、よく撮れてるね」

「本当ですね。海がすごくきれい」

「水瀬さんにも送っておくよ」

「ありがとうございます。私が撮った写真も送りますね」


 いつも通りの会話。いつも通りの穏やかな時間。

 けれど、美雨の心には夕暮れの港で感じた気持ちが残っていた。


 春になったら、また一緒に出かけられる。けれど、その先もずっと同じように過ごせるとは限らない。


 もし、晴臣に好きな人ができたら。

 もし、その人と恋人になったら。


 今のように、二人で休日を過ごすことはなくなるかもしれない。


 今の関係を壊したくない。ずっと、そう思っていたけれど、なにもしなければこの関係が続くというわけでもないのだ。


「水瀬さん?」


 隣から声を掛けられ、美雨は顔を上げた。


「どうかした?」

「あ、いえ。なんでもないです」

「疲れた?」

「……少しだけ。でも、すごく楽しかったです」

「僕も。今日は誘ってくれてありがとう」


 晴臣が微笑む。

 その笑顔を見た瞬間、美雨は改めて思った。


(やっぱり、私は立花さんのことが好き)


 優しくて、穏やかで。甘いものが大好きで、ときどき少し子どもっぽいところもあって、一緒にいると、自然と笑顔になれる人。



◇



 マンションに帰り着いた頃には、すっかりと日が暮れていた。


「今日はありがとうございました、立花さん」

「こちらこそ、楽しかったよ」

「私もです。また一緒にお出かけしてくださいね」

「もちろん」


 晴臣は柔らかく微笑んだ。


「それじゃあ、水瀬さん……おやすみ」

「おやすみなさい、立花さん」


 それぞれの部屋へ戻り、美雨はコートを脱いでソファーに腰を下ろした。

 端末を開くと、晴臣から今日の写真が届いていた。


 青い海。

 赤レンガの街並み。

 カフェで食べたケーキ。

 そして、二人で並んで撮った写真。


「……楽しかったな」


 美雨は小さく呟いた。

 写真の中の晴臣は、いつものように穏やかに笑っている。その隣には、嬉しそうな自分がいた。


 差し伸べられた手の温もり。春になったら、また来ようという約束。

 これからも、晴臣と一緒にいたい。ただのお隣さんではなく、恋人として。


「……私、もうこのままじゃ嫌なんだ」


 美雨は端末を胸元に引き寄せた。


 以前、紫乃に恋愛相談をしたときのことを思い出す。

 あのときは、今の関係が壊れてしまうのが怖かった。もちろん、今だって怖い。

 告白して、断られたらこれまでのように話せなくなるかもしれない。隣同士に住んでいるのだから、顔を合わせるたびに気まずくなるかもしれない。


 それでも、このままなにも伝えずにいるのは、もう嫌だった。

 晴臣が自分をどう思っているのかは、わからない。けれど、自分の気持ちだけは、はっきりしている。


「……よし」


 美雨は小さく息を吐いた。


「ちゃんと、伝えよう」


 大好きな晴臣に、この気持ちを。


 美雨はもう一度、端末の写真を見つめた。画面の中の晴臣は、今日と同じ優しい笑顔を浮かべていた。



◇



 一方、隣の部屋では、晴臣がリビングのソファーに腰を下ろしていた。

 テーブルの上には、港町で買ってきたシュトーレンの袋が二つ置かれている。


 晴臣は携帯端末を手に取り、今日の写真をぼんやりと眺めた。


 赤レンガの街並み。

 冬の海。

 楽しそうに笑う美雨。


「……楽しかったな」


 思わず、そんな言葉が漏れた。


 美雨と過ごす時間は、いつだって心地よい。

 今日もそうだった。彼女が笑うたびに嬉しくなり、隣を歩いているだけで満たされた気持ちになった。


 海沿いの石段で差し伸べた手。

 小さな手が自分の手に重なった瞬間、もう少しだけ離したくないと思ってしまった。


 そして、夕暮れの港で交わした約束。


『暖かくなったら、また来てみたいね』


 あの言葉は、考えるよりも先に口から出ていた。

 自分は、彼女との未来を当たり前のように思い描いていたのだ。


「……困ったな」


 晴臣は小さく笑った。


 美雨への気持ちは、もう何年も前から変わらない。彼女が自分に好意を寄せていることにも気づいている。

 けれど、その気持ちに応えるわけにはいかなかった。


 両思いになれば、魔法乙女の力は次第に低下していく。

 魔法乙女として働く彼女にとって、それがどれほど深刻な問題になるのか。晴臣はよくわかっていた。

 だからこそ、今の関係を守らなければならない。


 そう、決めていたはずなのに。今日の自分は、なんのためらいもなく彼女と未来の約束を交わしていた。

 しかも、それを後悔していない。むしろ、春が来るのを楽しみにしている自分がいる。


「……本当に、困ったな」


 晴臣はもう一度、同じ言葉を呟いた。

 端末の画面には、笑顔の美雨が映っている。


 この笑顔を守りたい。

 その気持ちは今も変わらない。けれど、彼女の隣にいるだけで満足できると、いつまで自分に言い聞かせていられるのだろうか。


 晴臣は静かに息を吐き、端末の画面を伏せた。


 窓の外では、十二月の冷たい風が吹いていた。

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