11.悪の組織の想定外
金曜日、午前十時。
中央第三地区魔法乙女支援センターの面談室で、美雨は一人の男性と向かい合っていた。
「ええと……それでは、水瀬さん。今週水曜日に発生したギアビーストの制御異常について、いくつか確認させてください」
「はい。よろしくお願いします」
向かいに座るのは、株式会社アムール公共安全の安全管理部から派遣された田中という男性だ。
三十代くらいだろうか。きちんとしたスーツにメガネをかけているが、どこか気弱そうな雰囲気がある。
田中は手元の資料に目を落とし、メガネの位置を軽く直した。
「報告書と当日の通信記録は、事前に確認しています。通信指令部の相川部長からもすでにお話を伺いましたので、今回は現場での状況を中心にお聞きできればと思います」
「わかりました」
「まず、ダークネスの関係者が現れたときのことですが」
田中は慎重に言葉を選びながら、質問を続けた。
水曜日の午後、中央第三地区の再開発区域に出現したギアビーストは、戦闘中に突如異常な動きを見せ始めた。それまで美雨に向かっていた攻撃は周囲の設備にも向けられ、現場は一時、危険な状況に陥った。
そこへ現れたのが、黒いスーツに仮面をつけたダークネスの関係者だった。
「その人物は、機体の制御ができなくなっていると説明したんですね?」
「はい。遠隔操作も緊急停止もできない、と」
「なるほど。それで、胸部の制御装置を破壊するよう依頼された、と」
「そうです」
田中は頷きながら、資料にメモを書き込んだ。
「相川部長からは、一時的な協力を許可したと伺っています。水瀬さんご自身は、どのように判断されましたか?」
「相手はダークネスの関係者ですから、信用していいのか迷いました。でも、ギアビーストが暴走しているのは事実でしたし、このまま放置するわけにはいかないと思いました」
「なるほど。現場の安全確保を優先した、ということですね」
田中は再び資料を確認した。メガネの向こうでまばたきを繰り返す。
「……それから、制御装置の破壊についてですが、その、報告書によると、胸部の装甲を直接破壊したとのことで」
「はい。前脚の関節を蹴り上げて体勢を崩してから、胸の部分を殴りました」
「なぐっ……た、んですね」
「はい」
「ええと、装甲ごと、ですか?」
「そうですね。制御装置が中にあったので」
「なるほど、なるほど」
田中の視線が、一瞬だけ美雨の手元へと向いた。もちろん、今の美雨は変身していない。
魔法乙女が魔力によって高い身体能力を持つことは、田中も承知しているはずだ。それでも、実際に本人の口から聞くと少々驚くらしい。
田中は小さく咳払いをすると、すぐに資料へと視線を戻した。
「失礼しました。では、破壊後の機体の状態について確認させてください」
その後もいくつか質問が続き、聞き取りは滞りなく終了した。
「ご協力ありがとうございました。追加で確認が必要になった場合は、改めてご連絡するかもしれません」
「はい。お疲れさまでした」
美雨は軽く頭を下げ、面談室をあとにした。廊下に出ると、ようやく肩の力が抜ける。
別に悪いことをしたわけではない。それでも、安全管理部から聞き取りを受けるとなると、どうにも緊張してしまう。
「美雨せんぱーい!」
聞き慣れた明るい声に顔を上げる。廊下の向こうから、莉子が小走りで近づいてきた。
「美雨先輩、事情聴取お疲れさまです! ところで、悪の組織の人から求婚されたって本当ですか?」
「…………はい?」
間の抜けた声が出た。遅れて莉子の言葉を理解し、美雨は目を見開いた。
「きゅ、求婚?」
「はい! ダークネスの関係者に!」
「されるわけないでしょ!」
美雨が即座に否定すると、莉子は目を丸くした。
「えっ、そうなんですか?」
「そうなんですか、じゃなくて……どこからそんな話になったの?」
「なんだか支援センターで噂になってるんですよ。ダークネスの仮面の人が、アクア・アムールに協力を申し出たって」
「それは本当だけど」
「それがいつの間にか『敵がアクアに惚れたらしい』って話になってて」
美雨は言葉を失う。
一体、なぜそんな話になっているのだろう。
「で、今朝聞いた話だと、美雨先輩が求婚されたことになってました」
「……もう、みんなして面白がってるんだから」
莉子は楽しそうに笑っている。美雨は額に手を当てた。
たしかに、ダークネスの関係者と一時的に協力したのは事実だ。だが、どう考えても求婚とは結びつかない。
「そもそも、あの人とはほとんど話してないんだよ」
「えー、でも、敵なのに助けてくれたんですよね?」
「助けてくれたっていうか……暴走したギアビーストを止めるために協力しただけだよ」
「ふーん? 悪の組織なのに変わった人なんですね」
「……そうだね」
美雨は、あの黒い仮面を思い浮かべた。
初めて会ったときも、彼は妙に丁寧な物腰だった。敵であるはずの自分に、まるで仕事仲間にでも話しかけるような調子で声をかけてきた。
そして今回も、危険な状況を放置する理由はないと言っていた。
ダークネスはギアビーストを送り込む敵組織だ。
それなのに、あの男はどうしてあそこまで安全を気にするのだろう。
「……本当、よくわからない人」
「美雨先輩、もしかして気になっちゃいました? 立場を越えたラブですか?」
「もう、そういう意味じゃないよ」
美雨が慌てて否定すると、莉子はまた楽しそうに笑った。
どうしてこういう話になると、莉子はこんなに元気になるのだろう。
美雨は小さくため息をつき、莉子と並んで廊下を歩き始めた。
結局、仮面の男がなにを考えているのかは、わからないままだった。
◇
同日、午後二時。
株式会社ダークネス本社、作戦運用部。
晴臣は机に向かい、書類に目を通していた。
今週水曜日に発生したギアビーストの制御異常については、事故発生直後から技術部門による調査が進められている。同型機の運用はすでに停止し、共通部品を使用している機体についても点検を指示していた。
そんな中、執務室の扉がノックされる。
「立花部長、失礼します!」
「どうぞ」
入ってきたのは、部下の航だった。手には数枚の書類がある。
「例のギアビーストの件、設備保全部と技術開発部から中間報告が上がってきました」
「早いね、ありがとう。どうだった?」
「それが、まだ原因は特定できていないそうです」
航は晴臣の机に報告書を置いた。晴臣は書類を手に取り、目を通す。
通常の遠隔操作が機能しなかったこと。緊急停止の指令にも反応しなかったこと。外部システムには、いずれの指令についても送信記録が残っていること。
そして、機体内部の動作記録が一部失われていること。
「動作記録の一部喪失?」
「胸部制御装置の損傷がかなり激しくて、内部の詳細な動作記録も一部失われていたそうです」
「なるほど」
「それで、これが回収時の写真なんですけど」
航が差し出した資料には、破壊されたギアビーストの胸部が写っていた。装甲は大きくひしゃげ、内部の機器も原形を留めていない。
晴臣は写真を見つめた。
胸部制御装置の破壊を依頼したのは、ほかでもない自分だ。あの状況では、機体を停止させるために必要な判断だった。
ただ、ここまで壊れるとは思っていなかったが。
「……さすが、アクア・アムール。僕の想定の上を行くね」
「いや、部長! 感心してる場合じゃないですよ」
航が思わず声を上げた。
「内部の動作記録まで一部失われてるんですよ!」
「そうだね。でも、彼女に制御装置を破壊してほしいと頼んだのは僕だから」
「それはそうですけど」
「それに、あの場では機体を止めることが最優先だった。彼女は必要なことをしてくれたんだよ」
晴臣が穏やかに答えると、航は少し困ったような顔をした。
「まあ……それは、そうですね」
晴臣はもう一度、写真に目を落とす。
昨夜、彼女を抱き寄せたときの感触が、ふと脳裏をよぎった。
思っていたよりもずっと華奢で、軽かった身体。その身体で、これほどの力を発揮するのだから不思議なものだ。
もちろん、アクア・アムールの戦闘能力については以前から把握している。それでも、こうして改めて目にすると、驚かされる。
「それで、制御系統については?」
「まだ原因を絞り込めていないそうです」
「……そう」
通常制御に異常が起きても、緊急停止は作動するように設計されている。それなのに、今回はどちらも機能しなかった。
両系統に共通する電源や保護機構に問題があったのだろうか。
「……妙だね」
晴臣は小さく呟くと、眉根を寄せた。
「え?」
「二つの系統が同時に機能しなくなるなんて」
「そうですね。技術開発部もそこを重点的に調べているそうです」
「共通部分も含めて、もう一度確認してもらえるかな。内部の記録が不足しているなら、外部の通信履歴や、ほかの機体の点検結果と照らし合わせてほしい」
晴臣は報告書を机に置いて、航を見た。
「それから、同型機の運用停止は継続。共通部品を使用している機体についても、点検が終わるまでは慎重に扱うよう伝えておいて」
「了解です。運用再開については、まだ見通しが立たない感じですか?」
「原因がわからない以上は、安全だとは言えないからね」
晴臣は静かに答えた。
市民と魔法乙女の安全が最優先だ。
「確認が取れるまでは、再開できないよ」
「……はい」
航は頷き、報告書を一部残して執務室を出ていった。
扉が閉まると、室内に静けさが戻った。
晴臣は椅子の背にもたれ、報告書に記された通信履歴を見つめた。
送信された指令は、機体に届いていなかったのだろうか。それとも、受信したあとに処理ができなくなっていたのか。
なにか重大な見落としがあるのではないか。
その疑念は、書類を閉じたあとも晴臣の胸に燻り続けていた。




