13.魔法乙女の十二月
十二月に入り、ネオ・トーキョーの街は少しずつ華やかさを増していた。
駅前には大きなクリスマスツリーが飾られ、通り沿いの店先には赤や緑のリボンが揺れている。
冷たい朝の空気のなか、街を彩る温かな光が、どこか心を浮き立たせた。
美雨はマフラーに顔を埋めながら、中央第三地区魔法乙女支援センターへ向かっていた。
夏生まれのせいか、昔から冬は苦手だ。冷たい風が頬を撫でるたび、思わず肩をすくめてしまう。
ふと、先日訪れた港町のことを思い出した。
あの日も、海から吹く風は冷たかったはずだ。それなのに、寒さを気にした覚えがあまりない。
赤レンガの建物に、海沿いの遊歩道。店先に並ぶクリスマスの飾りを眺めながら、晴臣と並んで歩いた。
石段を下りるときには、さりげなく手を差し出してくれた。
その温もりを思い出すと、冷たい風にさらされていた頬が、少しだけ熱を帯びた。
あの日、美雨は晴臣に気持ちを伝えようと決めた。けれど、いつ、どんなふうに伝えればいいのかは、まだわからない。
これまで何度も二人で出かけてきた。晴臣と話す時間も、以前よりずっと自然になったと思う。
それでも、好きだと伝えることを想像すると、途端に言葉が見つからなくなってしまう。
「……難しいな」
思わず漏れた独り言は、白い吐息とともに冬の空気へと溶けていく。
美雨はマフラーを整え、支援センターの自動ドアをくぐった。
◇
「美雨先輩、おはようございます!」
更衣室に入ると、莉子が元気よく手を振った。
「おはよう、莉子ちゃん。今日も早いね」
「ちょっと早く目が覚めちゃって……そうだ、見てください、これ!」
莉子が差し出した携帯端末の画面には、色鮮やかなクリスマスケーキの写真が並んでいた。
「駅前のケーキ屋さん、今年も限定ケーキを出すらしいんですよ。どれにするか迷ってて」
「わあ、可愛い。これって、雪だるまの形なの?」
「そうです! でも、こっちのブッシュ・ド・ノエルも捨てがたくて」
画面を覗き込みながら、美雨はくすりと笑った。
「莉子ちゃん、去年も同じこと言ってなかった?」
「去年はちゃんと決めましたよ!」
「二つ買ってたよね」
「決めきれなかっただけです」
莉子は悪びれる様子もなく、楽しそうに笑った。
どうやら、自分の周りには甘いものが好きな人が多いらしい。
晴臣も、きっとこのケーキを見たら喜ぶだろう。そんなことを考えると、自然と口元が緩んだ。
いつもと変わらない朝だった。
魔法乙女の仕事は、決して穏やかなことばかりではない。けれど、こうして同僚と何気ない話を交わせる時間が、美雨は好きだった。
「そういえば先輩、今年のクリスマスはなにか予定あるんですか?」
莉子が端末を操作しながら尋ねた。
「えっ?」
「私はシフト次第ですけど、休みが合えば友達とチキンを食べようかなって。先輩は?」
「私は……まだ、なにも決まってないかな」
「そうなんですね。先輩もおいしいごちそうを食べられるといいですね!」
莉子はにこにこと笑い、端末をしまった。
美雨も自分の荷物を片づけながら、なんとなく晴臣の顔を思い浮かべた。
甘いものが好きな彼なら、クリスマスのケーキにも詳しそうだ。今度、おすすめの店を聞いてみようか。彼のおすすめなら、莉子も気に入ってくれるだろう。
そんなことを考えていると、更衣室の外から朝の放送が流れた。
『おはようございます。今日も安全に街の平和を守りましょう。本日の警ら担当隊員は、準備をしてください』
美雨と莉子は顔を見合わせた。
「行こうか、莉子ちゃん」
「はい!」
二人は表情を切り替え、更衣室をあとにした。
◇
中央第三地区、商業エリア。
午前の警らを始めて間もなく、通信指令部から緊急出動の指示が入った。
第二商業区画の広場に、ギアビーストが出現したという。
美雨と莉子は指定された地点へ急行し、変身承認を受けて、それぞれ魔法乙女の姿へと変わった。
広場を囲む店舗はすでに営業を停止し、周辺道路にも立ち入り規制が敷かれている。
避難誘導を担当する警官たちが、最後の確認を進めていた。
『警察から避難完了の報告が入りました。戦闘区域内に一般市民はいません』
「了解。戦闘許可を申請します」
『安全条件を確認。戦闘を許可します』
イヤリング型の通信機を通して、通信指令部の声が明瞭に響いた。
「アクア・アムール、確認しました」
「ピーチ・アムール、確認です!」
二人が応答すると同時に、広場の中央で重い金属音が響いた。
ギアビーストが、ゆっくりとこちらへ向き直る。
二本の脚で立つ機械の巨体。
厚い装甲に覆われた胴体からは長い腕が伸び、その先には人の頭ほどもある拳がついていた。頭部の赤いセンサーが、不気味な光を放っている。
「ピーチ、気をつけて。かなり大きいよ」
「はい!」
二人はそれぞれの識別口上を唱え、通信指令部からの確認を受けた。
その直後、ギアビーストの腕が唸りを上げて振り下ろされた。
アクアは素早く身をひねり、石畳を蹴って後方へ跳ぶ。
巨大な拳が石畳を叩き、鈍い衝撃音が響いた。足元に細かな振動が伝わり、砕けた石畳から白い粉塵が舞い上がる。
(……まともに受けたら危ない)
アクアは相手の腕の動きを見極めながら、慎重に距離を取った。
「アクア先輩、右から行きます!」
「お願い!」
ピーチが軽やかに駆け出した。
その手から伸びた桃色のリボンが宙を舞い、ギアビーストの右腕に絡みつく。相手が腕を引こうとした瞬間、リボンがぴんと張った。
「今です!」
その声に合わせ、アクアが一気に踏み込む。
青みがかった銀髪のツインテールが背中で跳ね、水色の光を帯びた拳がギアビーストの胴体を捉えた。
拳に硬い手応えが返ってくる。厚い装甲はびくともしなかったが、金属の巨体がわずかによろめいた。
アクアはその反応を確かめると、すぐに身を引いた。
次の瞬間、ギアビーストの左腕が大きく振り上げられる。
「アクア先輩、左です!」
「うん!」
アクアはピーチの声に合わせて横へ跳ぶ。
機械の拳が先ほどまで立っていた場所を叩き、重い音が広場に響いた。
アクアはその隙を逃さなかった。地面を蹴り、相手の懐へ飛び込む。
狙うのは、装甲の継ぎ目が見える膝関節。
鋭く放った蹴りが関節部を捉え、硬い手応えが足先から伝わった。ギアビーストの巨体が傾く。
「ピーチ、今だよ!」
「はい!」
ピーチのリボンがもう一方の脚へと伸び、関節の周囲に絡みついた。
相手が体勢を立て直そうとするたび、ぴんと張ったリボンがその動きを妨げる。
アクアは足を止めず、装甲の継ぎ目を狙って拳を打ち込んだ。
一撃、二撃。
硬い感触が腕に伝わるたび、ギアビーストの動きが少しずつ鈍くなっていく。
内部の構造まではわからない。それでも、関節の可動域を制限できれば、相手の攻撃を抑えられる。
アクアはギアビーストの重心がわずかに傾いたのを見逃さなかった。
「ピーチ、もう少しだけ引ける?」
「任せてください!」
ピーチが両手でリボンを引いた。
ギアビーストの脚が引き寄せられ、巨体が大きく揺らぐ。
アクアは地面を強く蹴った。
水色の光をまとった蹴りが、胴体の装甲へと叩き込まれる。重い金属音が響いた。
ギアビーストの巨体が後方へ傾き、片膝をつく。赤いセンサーが数度明滅した。
それから、内部の駆動音が徐々に弱まり、やがて完全に聞こえなくなった。
広場に静けさが戻る。
アクアはすぐには構えを解かず、相手の様子を見守った。
数秒後、イヤリング型の通信機から通信指令部の声が届く。
『ギアビーストの完全停止を確認しました。任務完了です』
「アクア・アムール、了解しました」
「ピーチ・アムール、了解です!」
アクアはようやく構えを解き、ゆっくりと息を吐いた。
「お疲れさま、ピーチ」
「お疲れさまです! 今日も無事に終わりましたね」
「うん。ピーチのリボン、助かったよ」
「アクア先輩がうまく動きを合わせてくれたからです!」
現場の安全確認が終わり、周辺の立ち入り制限が順次解除されていく。
広場の向こうでは、避難していた人々が少しずつ戻り始めていた。
アクアとピーチも変身を解除するため、その場を離れようとしていた。
「あのっ!」
背後から、小さな声が聞こえた。
振り返ると、母親と手を繋いだ女の子が立っていた。
まだ幼いその子は、アクアとピーチを交互に見上げている。
なにかを言いたそうに唇を動かすものの、なかなか声が出ないようだった。
「どうしたの?」
アクアが目線を合わせるように膝を折ると、女の子は母親の手をぎゅっと握った。
「……まほうのおねえちゃん、ありがとぉ」
小さな声だった。けれど、アクアにははっきりと聞こえた。
「マイ、こわかったけど……おねえちゃんたちがやっつけてくれたから、もうへいき」
女の子はそこまで言うと、恥ずかしそうに母親の後ろへ隠れてしまった。
母親が穏やかに微笑む。
「娘がどうしても、お二人にお礼を言いたいって……今日は本当にありがとうございました」
「いえ、マイちゃんもお母さんも、ご無事でよかったです」
アクアが答えると、隣でピーチも大きく頷いた。
「マイちゃん、もう大丈夫だよ!」
その言葉に、女の子が母親の後ろからそっと顔を出した。
「……おねえちゃんたち、かっこよかった」
「えっ、本当?」
ピーチが嬉しそうに身を乗り出す。
「ありがとう! すっごく嬉しい!」
女の子はようやく笑顔を見せた。
アクアも自然と頬が緩む。
「ありがとう。お姉ちゃんたち、これからも頑張るね」
アクアは遠ざかっていく親子の背中を見送った。
女の子は何度か振り返り、そのたびに小さな手を振ってくれた。アクアも手を振り返す。
魔法乙女の仕事には、危険も責任もある。
訓練を重ねても、現場に立てば緊張することはあるし、帰ってからの報告書に追われる日も少なくない。
それでも、さっきまで怯えていた女の子が、あんなふうに笑ってくれた。そのことが、なにより嬉しかった。
「……私、この仕事が好きだな」
ぽつりとこぼれた言葉に、ピーチが顔を向ける。
「私もです!」
明るく答える後輩に、アクアも微笑んだ。
広場には、いつもの街の賑わいがゆっくりと戻りつつあった。
冬の澄んだ空の下、アクアはその光景を静かに眺めていた。
◇
支援センターへ戻ると、紫乃が二人に温かいほうじ茶を用意してくれていた。
「二人とも、お疲れさま。今日は寒かったでしょう」
「ありがとうございます、紫乃さん」
美雨は湯気の立つマグカップを受け取った。
香ばしい香りが鼻先をくすぐり、指先にはじんわりと熱が伝わる。
「今日のギアビースト、結構動きが速かったですね」
莉子が隣の椅子に腰を下ろす。
「そうね。でも、二人とも落ち着いて対応できていたって聞いたわ」
「やったあ! 紫乃さんのお墨付き!」
「ふふっ……でも、莉子ちゃん、まだ報告書が残ってるわよ」
「あっ、そうでした!」
慌てて端末を開く莉子を見て、紫乃がくすりと笑った。
美雨も自分の端末を開き、報告書の作成に取りかかった。
出動時刻、ギアビーストの動き、周辺の避難状況。現場での出来事を思い返しながら、一つずつ記録を残していく。
戦闘中は気づかなかったことも、こうして記録を整理すると見えてくる。次の出動をより安全なものにするためにも、報告書は欠かせない仕事だった。
しばらくして報告書の入力を終えると、莉子は次の業務の準備をするため席を立った。
美雨が空になったマグカップを片づけようとしたところで、紫乃が声をかける。
「美雨ちゃん、最近ちょっと楽しそうね」
「えっ?」
「なにかいいことあった?」
美雨は思わず手を止めた。
紫乃は穏やかに微笑んでいる。
「……私って、そんなにわかりやすいですか?」
「もう二年の付き合いだもの」
美雨はマグカップを両手で包み直した。
「この前のお休みに、ちょっと遠出したんです」
「あら、いいわね。どこへ?」
「海の方です。港町に行って、雑貨屋さんを見たり、ケーキを食べたりして」
「一人で?」
「……いえ」
美雨が小さく首を振ると、紫乃の目元がわずかに和らいだ。
「そう……楽しかったのね」
「はい、すごく」
答えた瞬間、あの日の景色が鮮やかに蘇った。
晴臣と並んで歩いた海沿いの道。
店先で見つけた小さなクリスマスの飾り。
帰り際に交わした、春になったらまた来ようという約束。
どれも、美雨にとって大切な思い出だった。
「……それで、紫乃さん」
「なあに?」
「……好きな人に気持ちを伝えるのって、やっぱり勇気がいりますよね」
紫乃は少し驚いたように瞬きをしたあと、柔らかく微笑んだ。
「そうね。どんなに仲が良くても、緊張すると思うわ」
「……ですよね」
「でも、美雨ちゃんが勇気を出したいって思ったのなら、恋の大先輩でもあるお姉さんは応援するわ」
紫乃は冗談めかして胸を張った。
美雨は小さく笑い、手元のカップに視線を落とす。
「もう……私と紫乃さん、一つしか違わないじゃないですか」
「あら、年齢だけがお姉さんの条件じゃないのよ?」
紫乃がいたずらっぽく笑うので、美雨もつられて笑ってしまった。
晴臣に気持ちを伝えたい。その思いは、もう揺らがなかった。
ただ、いつ伝えればいいのか。その答えだけは、まだ見つからずにいた。
◇
仕事を終えて支援センターを出ると、街はすっかり夕暮れに包まれていた。
ビルの窓には次々と明かりが灯り、歩道沿いのイルミネーションが柔らかな光を放っている。
美雨は行き交う人々の流れに混じりながら、マフラーに顔を埋めた。
吐く息が白い。今日も寒い一日だった。
通り沿いの店からは、クリスマスソングが聞こえてくる。なんとなくそちらへ目を向けたとき、店先の掲示板に貼られた一枚のチラシが目に留まった。
『ネオ・トーキョー ウィンター・クリスマスマーケット』
大きな文字の下には、温かな光に包まれた会場の写真が載っていた。
小さな木製の屋台がいくつも並び、軒先には色とりどりの飾りが吊るされている。屋台のカウンターには、湯気の立つ飲み物や焼き菓子が並んでいた。
会場の一角には小さなメリーゴーラウンドもあり、その向こうには、夜空に浮かぶ観覧車が見えた。
「わあ……!」
美雨は思わず足を止めた。
港町で見かけたクリスマスの飾りを思い出す。
晴臣と一緒に、こんな場所を歩けたらきっと楽しいだろう。そう考えた瞬間、胸が小さく跳ねた。
美雨はチラシに書かれた開催日を確かめた。
十二月二十四日、土曜日。クリスマスイブ。
「……これ、いいかも」
その日なら、特別な約束をするのにぴったりかもしれない。
イルミネーションの下を一緒に歩いて、おいしいものを食べて、楽しい時間を過ごしたあとに、自分の気持ちを伝える。
そこまで想像したところで、美雨は思わずマフラーに顔を埋めた。
もちろん、晴臣に予定があるかもしれない。誘ったところで、断られる可能性だってある。
それでも、美雨はもう一度チラシを見つめた。
港町で決めたことを、いつまでも先延ばしにはしたくなかった。
晴臣と過ごす時間は、今のままでも十分に幸せだ。けれど、隣に並んで歩くたび、もう少しだけ近づきたいと思ってしまう。
その気持ちを、今度こそ言葉にしたかった。
「……よし」
美雨は小さく頷いた。
クリスマスイブに、晴臣を誘おう。
そして、その日に気持ちを伝えよう。
そう決めると、胸の奥にあった迷いが少しだけ薄れていくような気がした。
美雨は携帯端末を取り出し、クリスマスマーケットの開催情報を確認する。
画面に表示された写真は、どれも楽しそうだった。
晴臣は甘いものが好きだから、きっと屋台のお菓子も気に入るだろう。観覧車にも、一緒に乗ってくれるだろうか。
想像するだけで、自然と笑みがこぼれた。
まだ約束もしていない。告白がうまくいくかどうかも、わからない。
それでも、クリスマスイブが少しだけ待ち遠しくなっていた。
十二月の街を彩る光が、いつもより眩しく見えた。




