04.学生のキス
ベルタ達の車は、マンハイムの市街地を抜けると、ネッカー川を渡って北東へと進む。
パタパタと軽快な音を立てながら走る見慣れない自動車に、道行く人は驚いた。馬のいない馬車が走っている。乗っているのは女性と子供だ。どうやら御者は女性のようだ。しかも歌まで歌いながら。
◇
「オイゲンも歌いなさい!」
「ええ?恥ずかしいよ。みんなこっち見てるのに。」
15歳のオイゲン、こういうのを恥ずかしがる年頃だ。
「だから歌うのよ!これは宣伝なんだからね。歌うことで『ベンツのパテント・モトールヴァーゲンは、運転は簡単!女性でも歌いながら運転出来る』ってアピールしてるのよ。」
「そうなの?母さんが歌いたいから歌ってるだけでしょ?」
「オイゲンも歌えば、『乗ると歌いたくなる楽しい車』だって、皆んなにわかってもらえるじゃないの。ほら早く!」
オイゲン、観念して歌い始める。
リヒャルトは、最初からもう満面の笑顔で歌っている。
何の歌かって?残念ながら記録には残っていない。
驚く人々の視線を尻目に、車は現代の自転車程のスピードで進んでゆく。車はやがてフィールンハイムへ。林檎畑が広がる景色を横目に見ながら通過して、次のヴァインハイムの街に入ると、ベルタは今度は南へと進路を変え、ハイデルベルクを目指す。
◇
車はやがて、ハイデルベルク市内へと入ってゆく。
「大きなお城が見えるね。」
「ハイデルベルク城よ。」
ハイデルベルクは古い歴史のある街で、ネッカー川左岸の山の斜面には、街を見下ろすようにしてハイデルベルク城が建っている。このあたりで採れる赤い砂岩でできた、大変立派な城だ。
ハイデルベルク城が見えはじめてから少し走ると、車は再びネッカー川を渡る。そこには、古い大きな橋がかかっていた。
「橋を渡るわよ。」
ベルタがこれから渡ろうとしているこの橋は、カール=テオドール橋という。石造りの大きな連続アーチ橋で、ハイデルベルク城と同じ赤い砂岩で出来ている。大変古いものらしい。
「橋を渡ったら、ちょっと寄り道するわよ。」
「お城を見にいくの?」
「残念。お城じゃないわ。」
「じゃあ何しに?」
「ちょっと買い物に。」
「オイゲンもリヒャルトも、甘いもの好きでしょ?」
「好き。」
「大好き。」
「私もちょっと小腹が空いたしね。」
◇
ベルタは橋を渡ると、左折して川沿いの道に入り、とあるカフェの前に車を駐めた。
「ちょっと待っててね。」
ベルタは車を降りて店に入ると、暫くしてから紙袋を抱えて戻ってきた。
中に入っていたのは、丸い形のチョコレート。今で言う「トリュフチョコ」みたいなやつである。
「ちょっと休憩ね。チョコレート食べましょ?」
◇
「美味しいでしょ?」
「美味しい。」
「すごく美味しい。」
もぐもぐ。
「これね、名前が面白いの。」
「なんて言うの?」
「学生のキス。」
「ええー?」
もぐもぐ。
◇
ベルタが寄り道したカフェは、「カフェ クネーゼル」というハイデルベルク最古のカフェで、このカフェが売り出したチョコレートが、当時、近くの女子校に通う女子学生に大人気になり、それを見た店主がこの名前を付けたのだとか。
このカフェは現在も営業しており、「学生のキス」は今では押しも押されもせぬハイデルベルクの名物となっている。まあ、「白い恋〇」みたいな感じだろうか。
◇
カフェの前に車を止めている間にも、道行く人は次々に立ち止まり、車を眺めてはオイゲンとリヒャルトにいろいろと質問をしていった。
チョコレートを買って車に戻ったベルタは、そうした人達に愛想を振り撒きながら、心の中でガッツポーズを決めていた。
(これは、売れるわ。)
◇
さて、短い休憩を終えて、車は再び走り始める。




