03.マンハイムからプフォルツハイムへ
「………いいわよ、ゆっくり押して。」
◇
さて、カール・ベンツが自宅でベルタの名を叫んだ時刻から、時計の針を少しだけ巻き戻そう。
1888年8月5日。早朝5時。
カールはまだ寝ている。
ベルタ・ベンツは、夫カールが作った「パテント・モトールヴァーゲン試作3号」の運転席に座り、舵を握ると、後ろにいる二人の息子に、小声で車を押すように指示した。
もちろん、カールにばれないように、こっそり出発するためだ。
ベルタの二人の息子、15歳のオイゲンと14歳のリヒャルトは、無言でうなづくと、車体の端をつかんで押し始めた。
車はゆっくりと自宅の工房を出て、表通りへと出てきた。
「………もうちょっと先まで押して。」
ここまでは上手くいった。だが、次が問題だ。
「………エンジンかけて。」
オイゲンが座席下の空気取入口を開け、バッテリーのスイッチを入れる。そして、リヒャルトが燃料タンクのコックを開け、水平に置かれた大きなはずみ車を両手で抱えると、勢いをつけて回す。これがこの車の始動方法だった。
当時、パテント・モトールヴァーゲンに積まれていたエンジンは、圧縮比(点火前に混合気を圧縮する比率)がわずか2程度だったせいで、このやり方で大した力をかけることなく始動できたのだ。ちなみに現代のガソリンエンジン車のそれは、10~12程度と数倍高いので、こんなやり方で人力で始動させるのはもう無理だろう。
ただ、ひと抱えもある大きなはずみ車は、勢いをつけて回すのにちょっとコツがいる。リヒャルトは二度失敗した後、三度目の挑戦でようやくエンジンは目覚めた。
パン・パン・パンパンパンパンパパパパパパ…………
エンジンがかかった。
毎分200回転ほどでゆるゆると回る牧歌的なエンジンだが、今と違ってマフラー(消音器)がついていないから、排気音はそれなりに大きいのだ。家からはもう十分離れたはずだが、それでもカールが気づいて起きて来るかも知れない。
「………乗って、急いで。」
二人の息子が座席によじ登ると、ベルタは運転席脇のレバーを前に倒して動力を繋ぎ、車を走らせ始めた。
さあこれから、ベルタの旅が始まる。
カールの自宅があるここマンハイムから、ベルタの実家があるプフォルツハイムまで、106km。
世界初の、自動車による長距離旅行である。
◇
ところで。
読者の皆様は、ここまで読んでこのような疑問を抱いたのではないだろうか。
「ベルタって何者?」
そう、ベルタはただの奥さんじゃあなかったのだ。
ベルタは、カールと結婚する前から彼の事業に投資をしており、結婚後も積極的に彼の事業を後押ししていた。カールのビジネスパートナーでもあったのだ。また、技術者でもあった彼女は、この旅の途中で何度か故障したパテント・モトールヴァーゲンの応急修理もこなし、重要な部品の改良まで行った。そして、プフォルツハイムに着いてからカール宛にベルタが送った電報には、車の改良についての提案事項まで書かれていた。
この旅を通してカール・ベンツの「パテント・モトールヴァーゲン」の信頼性と有用性は見事に実証された。そして、彼女の旅の成功は、この上ない宣伝効果を上げ、結果、ベンツの自動車は売れた。
すごい奥さんである。
カールは多分、ベルタに一生頭が上がらなかったのではないだろうか。
◇
丈の長いスカートに夏物のブラウス。大きなつばのある帽子。
ベルタは、そんな当時の普通の婦人がするような恰好で、二人の息子を乗せた車を運転した。
「この車なら、女性でも普通の恰好で運転して旅が出来る。」
ベルタは、道行く人々にそうアピールしたかったのかも知れない。
◇
「歌よ。歌を歌いましょ!」
こうして、まるでこれからピクニックにでも出かけるかのように、ベルタは自動車の歴史に残る旅に出発したのである。




