姫と心の支え 前
……喉が……乾いた……。
ひりつく痛みに、うっすらと意識が戻って来る。
体のあちこちが辛いのに、怠いまどろみの中にいるようで目が開かない。朦朧と靄のかかる意識で、わたしはただただ、不快感だけを感じていた。
「……だ」
遠くでヒトの声がする。どこかで聞いたことがある気もするけど、わからない。
『……ット! マーガレット!』
ふいに、切迫したリヒャール様の声が耳元で響いた。
何? どうしたの?
すぅ、っと頭の中の霧が晴れる。
リヒャール様、どこ……?
声を出そうとしたけれど、乾涸びた喉は荒い吐息を漏らすだけ。相変わらず目も開かない。
『良かったマーガレット……気付いたんだね!?』
あれ……? なんで……?
わたし、喋れてない、よね……?
『聞こえてる、精霊術だよ。精霊と、きみのピアスを通して話してるんだ。落ち着いて、そのまま聞いて?』
あぁ……そういえばリヒャール様、ピアスをつけてくれた時に精霊術を使ってたっけ。こんなこともできるんだ……?
ともすればまた闇に吸い込まれそうになる意識を辛うじて保ち、わたしはリヒャール様の声に耳を傾けた。
『大丈夫、すぐに助ける。マーガレットの居場所も犯人もわかってるんだ。ただ……ちょっとだけ根回しに時間がかかってて……ごめんね、あと少しだけ。すぐだから』
あ……わたし、誘拐されたのか……。
急にいろんなことを思い出した。
宿の屋上に居たのは、突風を起こしたらしき魔術師風のローブの男と、わたしを抱えた覆面の男。薬を嗅がされた後の記憶は一切ないが、ここが彼らの……またはその雇い主の隠れ家にあたる場所なのだろう。
薬のせいだと思えば、この異様な渇きも遠のく意識も頷ける。とりあえず、生きてて、良かった。
バタン!!
カッカッカッ……
「待て! まだ話しは終わっておらん!」
突然、リヒャール様のものとは違う男の声が予想外の近さで響いた。誘拐犯のものだろうか。でもやはり、どこかで聞いたことがあるような……。
『マーガレット、危ないから気付いていないフリをしててね』
ピアスを通してこちらの音が筒抜けなのか、リヒャール様がそう囁く。
バタンッ!!
今度はすぐそこ。ふわっと風が流れたのがわかったから、きっと今わたしの居る部屋のドアだろう。
「……これがマーガレット王女、か?」
確実に知らない老人の声。ズカズカと荒い足音の後、グイッと髪を掴まれた。
『マーガレット!』
大丈夫だよ、体がまったく動かないから「気付いてないフリ」どころじゃないし。痛みだって感じない。それよりリヒャール様、ダメだよ、声が聞こえちゃう。
『……私の声はマーガレットにしか聞こえない。精霊術だって言ったでしょ? それよりマーガレットが……』
「クソ……! 確かに前王妃に似ているな……冗談じゃないぞ、ロメオおまえ……!」
「だから言っているではないか! 大叔父上さえ黙って匿ってくれれば良いのだ」
ロメオ……? ……あっ! この声、ロメオ・ハーバースか!
「おまえ……本気で上手く行くなどと……? この短慮者めが!」
「なぜだ!? 出国させなければ私の勝ちだ! 直前で心変わりして私の元に身を寄せたことにすれば良い!」
「それで聖皇国との国交悪化の責任はどうとるつもりだ!? 割を喰うのは我ら国境を擁する領主なのだぞ!」
どうやら、もう1人はトッカの街の領主のようだ。……ということは、ここは領主の屋敷だろうか。
『マーガレット、用意ができたよ。待たせてごめんね』
言い合う男2人の声に重なるようにリヒャール様の声が響いた。その声を聞いた途端、緊張に強ばっていた心がふわっと弛む。
『少しうるさくなるけど気にしないで? それから、私が行くまで無理しちゃダメだよ』
ありがとう。でも……リヒャール様こそ、危ないことはしないでね?
『……っ、心配しないで。精霊を開放する。それじゃあ……行くよ?』
ふつり、とリヒャール様との繋がりが切れたような感じがあった。
何かが始まる、そう思うのに、リヒャール様の気配が遠のいた今、不安で不安で仕方ない。わたしのせいでリヒャール様に何かあったら……!
ドンドンドンドンドン──ッ!!
数秒後、どこか遠くで激しくドアをノックする音が聞こえた。
ロメオ達の言い争いがピタリと止まる。
息が詰まるかのような緊迫した空気の後、
「お待ちください! いくら大司教殿とはいえ……!」
「問題ありません。何せ、こうして騎士団の方々がご一緒されていますからね」
慌てたような足音と、迷いのない足音が近付いて来る。
「……なぜこのタイミングで大司教が……!?」
混乱したような呟きはトッカの領主のものだろう。
「クソッ! こうなったら……うわ!? 何だこれは……っ!?」
まだ目の開けられないわたしにはわからない。けれど、こちらに向かって来たらしきロメオが悲鳴を上げた。
「騎士様方。この部屋です」
「な……勝手をされては困ります!」
…………ガン……ガタ──ン!!
「ひっ……な、なぜここが……っ?」
「マーガレット姫ご無事か!?」
あ……この声……増援の騎士の1人だ……。
「マーガレット姫……!?
……ロメオ・ハーバース殿、ニコライ・オコットリー殿。マーガレット王女誘拐の咎で捕縛致す!」
「ひ……」
「私は無関係だ! ロメオが勝手に連れて来たのだ!」
「申し開きは王都にて為さるがよろしい。……では大司教殿、しばし教会の牢をお借り致します。取り押さえろ!」
バタンガタンと物々しい音が響き、同時に廊下の向こうからも争うような音が聞こえてくる。
どうやら騎士達による使用人の捕縛が始まったらしい。
「クソ……ロメオ! 許さんぞ、この大馬鹿者が!!」
「ぐぅ……ふざけるな! 貴様ら下賎の騎士風情が私に触れるな!」
しばらくしてその怒声は遠のき、外からの叫びに変わって行った。
けれどまだ、わたしの体は動かない。
少し前から聞こえる低い祝詞は、大司教と呼ばれたヒトのものか。彼はわたしに近寄るでもなく、一心に祈りを捧げているようだった。




