姫と雛 3
「すごい……キレイ!! ほらジュリ、見て見て!!」
「はいはい。姫様、少し落ち着いてください。馬車が壊れます」
「そんなわけないもんっ」
「それにしても本当に綺麗な色ですね」
「ジュリの意地悪っ!」
「……ぷっ! マーガレットは可愛いね、ふふふふっ」
「え、何急に。リヒャール様!?」
「ほら姫様落ち着いて。せっかくのピアスが飛んで行っても知りませんよ?」
「っ!」
初めてこの目で見るスーの湖は、素晴らしくキレイだった。わたしの知っている水は透明に近い青なのに、この湖は白の混じった明るい碧。光の加減によっては、青にも緑にも見える不思議な色だ。
「あ、あの街!?」
別荘を出て7日目。旅程は順調に進み、今日は湖の畔の街、トッカで1泊する予定だった。
これまでずっと山間の小さな町を進んで来たせいもあって、急に開けた大きな湖は目に眩しい。その畔、トッカは辺境随一の街として名高いだけあって、遠目にも栄えているのが感じられた。
「そうだよ」
リヒャール様がクスクスと笑いながら教えてくれる。……なんか最近、その「仕方ないなぁ」みたいな笑い方よく見るかも。なぜ??
「あそこがトッカだ。なかなか大きな街だよね。あ、マーガレット、右の奥を見て? 街の向こう、森の手前」
「あ! あっちが国境ね!?」
「そう。あの検問所を越えたら聖皇国だよ」
聖皇国の皇都はスーの湖をぐるりと回り込んだ先にある。皇都にある教会本部まではまだまだ遠いが、間もなく道程は半分を迎えようとしていた。
リヒャール様の計画だと、なぜか国境を越えた所から移動速度が上がるんだよね。だから、道のり的には三分の一というとこなのに、日程的には半分だ。
「なんか……遠くまで来たなぁ、って感じ」
「姫様……婆臭いです」
「はぁ!? どこが!?」
「ふっ……ふふふ……っ」
「ちょ……リヒャール様まで!? 無理して耐えるくらいならいっそ笑って!」
「アハハハハ」
「ジュリ棒読み!」
王都と保養地の別荘しか知らなかったわたしには、ここまでのあれこれが別世界のことのようで新鮮だった。
リヒャール様の組んでくれた旅程のおかげで、体に過剰な負荷をかけず、ここまで来られたのもあるだろう。
鉱石藍の美しさや、小さな村の素朴な暮らし。山道での馬車の揺れの激しさや、護衛達のどこか緊迫した様子。
宿のない村では村長さんの家に泊まって地元の話をいろいろ聞いたし、宿にたまたま顔を出した吟遊詩人の歌も、おもしろかった。
本当に、初めての連続で刺激的な毎日。ずっとこのまま続けばイイのに。つい、そう思ってしまう。
道中でも、天気のイイ日は馬車を停めて、ピクニックみたいにお昼を食べた。それもまた楽しくて新鮮だった。保養地から少し離れただけなのに、空気が、景色が全然違う。
王都から来た騎士達は無口だけど、眼差しはみんな、温かい。道案内だと自己紹介したリヒャール様に戸惑っていたようだったものの……彼が精霊術の使い手だと知って、その警戒もとけている。ジュリ達謹製の立派な衣服の効果もあって、「精霊術を駆使してわざわざ迎えに来た婚約者候補」、という解釈に落ち着いたらしい。
すべてが順調な旅の中で、わたしの心の中にだけ、へばりつく暗雲のような何かがあった。
聖皇国が近付くにつれて重くなるその、何か。考えないようにしているのに、ふとした時に影を落とす。厄介極まりない感情だった。
「今日でサンサーン王国の旅はおしまいだね。明日の夜は聖皇国だよ」
「聖皇国かぁ……思ったより、近かったかも。王都の方がずうっっと遠いもん」
「よろしゅうございましたね、姫さま、リヒャール様。王妃殿下の妨害もなく、存外順調な旅路でございました」
「うーん……その感想はまだ早いんじゃない? トッカの領主は辺境には珍しくあの宰相の血縁なんでしょ?」
「大丈夫でございますよ。聖皇国に嫁ぐ予定の姫様がここに来て不幸に見舞われれば、妃殿下も宰相閣下も聖皇国との関係悪化を懸念する他派閥にここぞとばかりに叩かれます。ジュリは最初の数日こそ緊張致しました」
「あぁ、それはわかるよ。マーガレットが婚姻を厭って失踪したことにしてしまえば周りへの言い訳は立つからね。まぁ、そんなことさせないけど」
……あれ? もしかして、わたしが一番見通し甘かった? おかしいな。
「……それで、最初のうちは増援の騎士を遠ざけてたの?」
「あら、お気付きでしたか? あちらの手の者が混じっている可能性がございましたから」
そっか……。そうだよね。その可能性に気付かないわたしの方がダメなんだ。
「……リヒャール様、せっかく故郷に帰れることになったのに、なんか……ごめんね」
「マーガレット?」
「リヒャール様1人なら、もっと速く動けるし、狙われたりもしないでしょう? こっちの権力争いなんて下らないことに巻き込んじゃって……ごめんなさい」
ジュリの言うように増援の騎士に悪意ある者が紛れていたら、わたしだけじゃなくリヒャール様やみんなだって危なかった。なのにわたし……。
「それは違うよ。マーガレットを守るって約束したでしょ? マーガレットの問題は、私にとっても大切な問題なんだ。マーガレットのいない世界なんて、何の価値もないんだから」
「でも……」
「気にしないで? 愛してるよ、マーガレット。お願いだから、私にきみを守らせて。……不安なんだ。きみと出会えたのは奇跡だから……この手でしっかり守っていないと、どこかに消えてしまいそうで怖くなる。マーガレット……私を1人にしないで……? お願いだから一緒にいさせて」
「……ありがと、リヒャール様」
縋り付くような抱擁は、むしろそうしていないとリヒャール様こそがどこかに消えてしまうんじゃないか……と思わせた。精霊に愛された、精霊みたいなヒト。わたしの親友だった、不思議なヒト。
嫌われたくない。でも、彼の邪魔もしたくない。だから……どうすればイイのかわからない。
リヒャール様はいつかきっと、わたしへの想いが偽物だったと気付くのに……。
「姫様はどうされるおつもりですか?」
その日、辿り着いた宿でジュリにそう訊かれて、わたしは返す言葉に詰まった。「何のこと?」ととぼけることもできない。
「ジュリはイイと思いますよ。リヒャール様は姫様のことを本当に大事にしてくださいます」
「……」
「聖皇国内のことはよくわかりませんがね。『あちらの皇太子殿下の補佐役との婚姻』と考えれば、リヒャール様でも釣書の男性でも変わりません。だったら、ジュリは断然リヒャール様を推しますね」
馬車移動用だった旅装を普段着に替えてくれながら、ジュリは独り言のように話し続ける。
公式には、わたしの旅の目的は聖皇国にある聖教会本部への巡礼だ。そして、洗礼を受けること。大前提として聖皇国への嫁入りがあり、その相手は皇弟の息子ということになっている。
リヒャール様が相手じゃ、ない。……というか、リヒャール様の呪いが解けた今、聖皇国とサンサーン王国の結びつき自体、きっと、必要ない。
「ジュリは姫様がお幸せならそれでイイんです。今となっては、リヒャール様が呪いなんて不気味なモノにかかっていてくれて良かった、とすら思いますね」
「それは流石に……」
わたしの幸せを願ってくれるジュリは、わたしが「尼になる」と言っても、そのままでいてくれるだろうか。
「だって、そのおかげで今があるのですもの。愛のある婚姻なんて、貴族であれば本来、夢物語です。それがこうして手の届くところにあるのですよ? 姫様だってリヒャール様、お好きでしょう? 絶好のチャンスじゃありませんか」
「…………」
嫌いじゃない。それは確か。でも……。
「何を悩んでるのか知りませんがね。姫様は難しいこと考えるのに向いてないんです。いつも通りでイイんじゃありませんか? 無駄な努力より、幸せになる努力をしてください。
……はい、出来上がりです。もう動いて構いませんよ」
「……ありがと」
まさか、悩んでいることをジュリに見透かされているとは思わなかった。できるだけ、いつも通りにしているつもりだったのに……。ハァ。わたし、いろんな面で未熟だなぁ……。
ふと、光の射し込む大きな窓が目に付いた。湖に面したこの高級宿屋なら、露台からの風景も楽しめそうだ。
リヒャール様が来る前に、少し頭でも冷やそうかな。今から観光するのに、このままじゃなんだか、落ち着かない。
まだまだ沈まない太陽を浴びるスー湖は、近くで見ても美しかった。
露台に出れば、目の前に広がる壮大なパノラマ。湖に面した崖の上に建つ宿の、さらに最上階の部屋だ。目の前を遮るモノは何もない。
宿の脇に小路が見えた。湖畔に繋がる遊歩道だろう。あれはぜひ、行ってみなくちゃ。
「あ……水鳥? ……すごいなぁ……」
この世は知らないことでいっぱいだ。別荘から1週間馬車に揺られただけなのに、こんな別天地が広がっている───。
わたし、なんてちっぽけなの。ホント、世界って広いなぁ……。
もっとたくさんのことを知りたい、そう思った。
早く成長したい。大人になりたい。
自分の気持ちすら持て余す子どもじゃなくて、湖みたいに泰然としていられる大人に……。
「……え?」
どのくらい経っただろう。そろそろ戻ろうかと思った瞬間、体が浮いた。
「何……? え、ぅあ……っ!?」
ゴオオオオッ!! と風が吹き荒れる。浮いた体が……飛ばされる……っ!?
自分の身に何が起こっているのか、欠片も理解できなかった。妙な浮遊感を感じたと思ったら風に煽られて……
「き……ゃあああああっ!!」
落ちる……!!
視界いっぱいに広がっていた湖が、唐突に空に変わる。木から落ちるのとは比にならない恐怖に、我を忘れて悲鳴を上げた。
「ぐ、ぅ……っ」
ガシ……ッ!
遠のきかけた意識が、腹部に感じた圧に呼び戻される。一点にかかる自重で、体が破裂しそうに気持ち悪い。
「ぅ……ハ、ァ……」
それが回された腕によるものだと気付くのには少し、時間がかかった。
ガツンと打ち付けるような衝撃。どうやら、突風のせいで屋上に巻き上げられてしまったらしい。
「……ケホ……ぅ……バイド……? ありが……」
また助けられた。珍しく乱暴だったけど、でも……とお礼を言いかけて。
首を巡らせたわたしは、身を竦ませて固まった。
「な……誰……!?」




