子犬が兄に誘惑を試みる話
夜毎、子犬は兄と触れ合いたくて、兄もそれを楽しんでいた。兄の触れ方や仕種一つにも子犬はすぐに鼓動が早くなってしまう。少しは兄のそう言う反応も見てみたいと思った子犬は、兄を誘惑してみようと思い付いた。
思い付いたは良いけれど、何をどうしたものかと考える。とりあえず兄の隣に横座りしてしなだれ掛かってみる。肌着の襟元をずらしながら上目遣いに兄を見る。兄の体に触れ、撫でてみる。兄は、子犬がいつも甘えてくるのと様子が違うなと思う。けれどいつも通り子犬の肩を抱き寄せて、「良い子だね」と名前を呼び、よく跳ねる赤い髪をくしゃくしゃと撫でる。子犬は兄を惑わせてみたかったのに、もう自分の方がどきどきしている。困惑しながら思い切って身を乗り出すと、整った顔がとても近くて、深い色の目は優しく笑っていた。
「ねえ」
子犬がそう言ったきり固まってしまうと、兄は喉の奥で笑って尋ねた。
「もしかして、誘ってる?」
「あ」
子犬は返事をするより先に顔に出てしまう。腹を抱えて笑い出した兄に、子犬は情け無い声で言った。
「何でそんなに笑うんだよう」
「ごめん」
兄はすぐに謝ると、すまなそうに子犬の顔色を伺う。
「嫌な思いさせた?」
「ううん」
そう答えてから、子犬はふと首を傾げる。大笑いされたし期待した反応はしてもらえなかったのに、嫌だとは少しも感じない。思い通りに出来なかった事には少々落胆したけれど、兄が面白がってくれたなら、それはそれで良いかと思っていた。
「それなら良かった」
兄は安堵した声で言う。子犬の赤い髪を掻き上げるように優しく頭を撫でると、子犬の表情が緩む。しばらくそうしてから兄は言った。
「あんなに笑ったのは、お前があんまり可愛い事をしたからだよ」
子犬は「ふえ」と気の抜けた声を漏らす。その様子にまたくすくすと楽しげに笑って兄は言う。
「どんな事をしても可愛いけどな」
「んん」
子犬は頬を染めて中途半端な返事をする。そんな風に言われても、喜んで良いのか困るべきなのか分からなかった。ただ兄の言葉に気が付いた。兄の反応が期待したものでなくても、それは別に問題じゃない。どんな事でも、兄が子犬の言動を受け止めて反応を返してくれる。そのやり取りこそが望むものだと。
「俺も、兄いのすること全部が嬉しい」
子犬はにっと歯を見せて笑う。
「そうか」
兄も嬉しそうに笑って、子犬の頭をくしゃくしゃと撫でる。それから悪戯っぽく言った。
「さっきのも可愛らしかったけれど、誘惑するなら、迷った様子を見せずにやってごらん」
こんな風に、と子犬の頭を撫でる手を滑らせて、顎に指先で軽く触れると流し目をして見せた。見た事の無い兄の視線に子犬は真っ赤になって、もう笑っていられなかった。




