子犬が女の子達に花飾りを編まれた日に不機嫌そうだった理由
短い春から短い夏に変わる頃。日に日に昼の時間が長くなる。小さな谷と古い城壁に囲まれたこの町は、谷の向こうに聳える山々に日が遮られて日没よりも早く暗くなってしまうけれど、見上げればまだ青い昼間の空が広がる。お祭りの頃にもなれば、夜眠る時間まで空は明るい。
一日の仕事を終えた働き手や町の人々の為に、屋敷は広間や庭を開放する。人々は集まって夕べの憩いの時間を過ごし、子犬と兄もいつもと同じようにその輪に加わる。弾き語りの青年を囲んで歌を聞いたり、杯を傾けたり、羊の骨で作った賽子遊びをしたり。屋敷の人が灯りを消しに来てお開きの時間になると、それぞれが自分の家や部屋に戻る。子犬も兄と二人の部屋に戻る。二人だけの時間になると、子犬は兄の膝に抱かれて昼間の出来事を兄に話す。いつもならば色々話したがるのに、今夜はどうも様子が違う。ただ撫でられるだけの子犬に兄が尋ねると、子犬は口を尖らせて言った。
「昼間、戻った時に見たとおりだよ」
今日、子犬は屋敷のお使い帰りに町の女の子達に捕まって、お祭りの花飾りを編む練習台にされたらしい。解く時間も惜しかったのか、花とリボンを髪に編み込まれたまま兄と幼馴染が待つ仕事部屋へ戻って来た。
「そうか」
兄は笑って、気ままに跳ねる子犬の赤い髪を撫でる。
「でも、何か言いたい事があったんじゃないか?」
花飾りを付けて戻った子犬はくしゃくしゃと髪を解くと、むくれた顔で外した花のいくつかを兄の髪に挿した。その時本当は何か言いたい事があって、その代わりに花を挿したのではと兄は思っていた。兄に促され、子犬は足をぶらぶらさせながら少しずつ話す。
「お祭りでさ。女の子達はみんな兄いと踊りたいって」
「うん、言ってたね」
お祭りでは男女が組になる踊りがあった。踊り手達が広場に集まって踊りたい相手に申し込み、受けた相手はその手をとって、演奏に合わせて拍子をとって踊る。華やかで、上手な組が踊る時は観客が大勢集まった。一曲毎に相手を変わる事もある。けれど一曲踊ればそれなりに息が上がるので、連続で踊る人は少数だった。
「兄いは、申し込まれたら全員の相手をするんでしょ。去年もそうだったって。そうやって、皆んなは自分の好きな相手を誘うのに、兄いからは誘った事がない」
兄は子犬が不貞腐れていた理由を理解して、優しい目で子犬を見る。子犬には、姉になってくれたら良いなと仄かに思っている人がいた。足がやや不自由で兄より少し年上の、この国を治めている屋敷の一人だった。子犬がいつも身につけている兄の服を、子犬に合うように直してくれたのもその人だった。子犬はその人によく懐いていて、彼女も子犬を可愛がっている。だから子犬は、兄がお祭りでその人を誘わないのが不満なのだろう。
「あいつは自分が踊るより、見ている方が良いんだよ」
「ん。それは聞いたけど」
子犬は兄から、お祭りの時ではないけれど、二人が一度だけ踊ってみた時の話を聞いていた。それはまだあの女の人が幼気な少女で、兄が彼女より少し背が低かった頃だった。そう言うのは見ている方が良いと言う杖を持つ少女に、兄は自分が踊らせてあげるからと、部屋の真ん中に椅子を置いて誘った。少女がその椅子に腰掛けて兄の手をとると、兄は曲を口遊みながら少女を中心に踊りだす。少女も真剣な顔で、ぎこちなく手を差し出す。最後のお辞儀をして、兄が顔を上げて少女に微笑むと、少女は渋い顔を何とか笑顔にして言った。
「やっぱり、見ている方が良いな」
子犬としても兄とあの女の人の事に口を挟むのは不作法と心得ている。そもそも踊りたい人も見ていたい人も、それぞれの楽しみ方がある。それでも子犬は、自分が兄の立場だったら、と考えてしまう。
「けど。俺ならやっぱり誘いたいよ」
兄は笑って子犬の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「その真っ直ぐさはお前の良い所だね」
そう言われて子犬は頬を赤くし、口角を上げる。機嫌を良くして兄に頭を擦り寄せて、いつもの夜のように愛撫をねだる。兄は子犬をぎゅっと軽く抱き締めると片手を離して、自分の髪に挿してあった花を取った。
「その前に、この花を押し花にしてくるよ」
子犬はそれを見て困り顔で言う。
「ほんとにずっと付けてたし」
兄は楽しそうに笑う。
「お前が付けてくれた花だからね」
「付けたけど」
子犬は言い返す言葉が無く、小さく唸る。
兄は仕事の間も花を髪に挿したままだった。仕事が終わって晩御飯の時間になっても、そのまま皆んながいる台所へ行こうとした。流石に子犬が「そのまま行くの?」と引き止めると、兄はにこにこと頷く。立っている兄の髪の花に子犬は手が届かない。もちろん軽く飛び跳ねれば取れるけれど、小さな子供が意固地になってるようでそれも出来かねて、子犬は眉を思い切り下げて兄を見上げる。結局、花はそのままで今に至る。
兄は髪から外した数輪の花を机に置いて、傍にある厚い本を開く。子犬が覗き込むと、本文の周囲には兄の前の持ち主や兄自身の手による書き込みがしてあった。兄は頁をめくって書き込みの無い余白を見つけ、花をそっと挟んだ。




