子犬の耳と兄の目
一日が終わり、二人の部屋に戻って少しばかり兄が本を読み子犬がそれを眺めた後、いつものように子犬は兄にくっ付いて寝床に向かう。ふと「灯り要らないね」と子犬が言う。「そうか」と兄は答えて子犬の言うようにしたけれど、小さな灯りでも消してしまえば室内を照らすのは窓から差し込む微かな星あかりだけ。子犬には間近にある兄の顔も見えないはずだった。寝台に座り子犬を膝に抱き上げて撫でると、子犬は心地良さげに兄にもたれる。
「暗い方が良いか?」
「どっちでもいいよ」
子犬は非常に耳が良く鼻も利く。目には兄の形の影にしか見えないけれど、動きも呼吸も手に取るように分かる。
「暗くても平気。見えなくても分かるから」
小さく笑って、子犬は正確に兄の顔に視線を向ける。
「兄いは、どれくらい見えてるの?」
子犬が何気なく聞く。兄は、じっと自分に視線を向ける子犬の顔を見つめ返して答える。
「お前の睫毛が数えられるくらい」
「え、あ。そう?」
子犬は曖昧な返事をした。兄の目ならそれくらい見える事は分かるけれど、そう答えた事は兄がいま自分の顔をじっと見ている訳で、普段から見つめられているのに何故か動揺して目が泳ぐ。兄は単に分かり易い例えをしたつもりだったけれど、どぎまぎしながら頬を赤くする子犬に声を立てずに笑う。
「お前の耳には、何が聞こえる?」
膝の上で落ち着かなげな子犬を撫でて、話を少し変えてみる。
「えっと。兄いが笑ってるのと、瞬きしてる音と」
「うん」
「それと」
子犬を大事に思っていて、愛しいと思っている音。それをただ聞きたくなって、子犬は兄の胸に顔を埋める。




