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英雄

小さな谷と古い城壁に囲まれた町の中ほどを少し下った所に、お祭りやお祝い事をする為に平らに均された小さな広場がある。そちらの方から賑やかな声が聞こえて来て、お使い途中の子犬は赤い髪を跳ねさせて広場に向かって坂道を駆ける。


広場では子供達が輪になって何やら盛り上がっている。その真ん中で一組の少年が力比べの勝負をしていた。子犬が観客の輪に加わった所で丁度勝負がついて、応援していた子達と一緒に子犬も指笛を鳴らす。観戦していた輪の中に一人、厳つい髭面の大人が混ざっていた。子犬を見ると腕組みしたまま「よう」と声を掛けた。

「あ、おっさんじゃん」

「おっさんじゃねえよ、このやろう」

からかうように言う子犬を捕まえて、太い腕で頭を抱えて締め付ける。子犬は痛がりもせずけらけらと笑う。


おっさんと呼ばれているのは兄の遠出仲間で、実際の歳は子犬と一回りほどしか違わない。国境の街へ行っていて、数日前に帰って来た所だった。彼だけでなく他の遠出の者達も、お祭りが近付くこの町に徐々に帰って来ていた。お祭り当日は離れた所にある村の人達も大勢やって来ると、幼馴染と祭の支度をしながら兄が子犬に教えてくれた。


少しも絞め技が効いていない子犬の頭をおっさんはぐりぐりと雑に撫でる。

「何だよ暇してんのか?」

「暇じゃないよお使い中だよ。おっさんこそサボってんの?」

「サボってねえよっ」

投げ技を掛けようと子犬を高く持ち上げる。その勢いを使って子犬は腕から抜け出して、宙で軽く一回転して着地した。見ていた子供達がやんやと喝采を送る。特に大きな声で囃した少年が子犬に駆け寄って肩を叩く。

「お前さ、次の一番俺だから見ていけよ」

「うん」

「なんだ、お前は勝負しないのか」

おっさんがつまらなそうに子犬に言う。

「うん、全部勝っちゃうから。俺は指南役だよ」

「ほう?」

「そうそう、勝ち方とか教えるの」

「でもちょっと分かりにくいんだよな」

「何だよ、俺はそれで勝ったぞ」

「お前は何であれで意味通じるんだよ」

子犬と子供達がやいやい騒いでる横から、おっさんが子犬に誘いを掛けた。

「お前も偶には勝負したいだろ、俺が相手になってやろうか?」

そんな風に言うけれど、実の所自分が力比べが好きなだけだった。もちろん子犬の大力の事は知っている。なので尚の事、直に勝負したい所だった。けれど子犬にはさっぱりその気は無かった。笑って断る。

「いいよ、やっぱり俺が勝つから」

「あったり前みたいに言うな」

ちぇっ、と舌打ちする。

「それならお前、兄貴と勝負した事はあるか?」

「ないけど、兄いにも負けないよ」

「大した自信だな。俺より兄貴より強いってなら、もう世界一だな」

そう言っておっさんは子犬の背中を分厚い手のひらで叩いた。結構な力を入れたつもりだったけれど子犬はびくともしないで笑っている。

「よっ、世界一!」

「やるじゃん」

「やっぱな」

「まあね」

子供達と子犬は手を高く上げて叩き合った。


その日も暮れて、子犬は兄と部屋に戻っていつもの様に昼間の出来事を話す。広場で友達の力比べを見ていた時に子犬は世界一だと言われた話をすると、兄もにこにこと頷いた。

「お前ほどの力自慢は他所でも聞いた事が無いよ。きっと世界一だろうな」

「そっかあ」

兄も同じ意見なのが嬉しくて子犬は照れたように笑う。ふとある事を思い付いて、子犬は兄に聞いてみる。

「あのさ、俺、みんなの役に立てる事ないかな?」

「もう役に立っているだろ?力仕事があれば頼りにされるし。足が速いから屋敷の使いをしてくれて随分助かるとあいつも言ってるよ」

そう言われて子犬は頬を赤くする。

「うん。でも、それだけじゃなくてさ」

考え考え思い付きを説明しようとする。

「もっと特別な、俺にしか出来ない事で。みんなの、この国全部の役に立つような事。そう言うのって無いかな」

説明しようとしながら、何故そんな事を思い付いたのか、ほわほわと色んな理由が浮かぶ。


この頃は町の中で過ごす時間が増えて、友達や町の人達といるのがますます楽しくなってきたから。この国に来てから自分一人が生きる為に力を使う必要が無くなって、だからと言って持て余している訳じゃないけれど、代わりにみんなの為に使って良いと思えた事。

それから兄の事。兄はこの国が好きだと言って、幼馴染らと共にこの国を良くする事に努めている。だから子犬もこの国の為になれば、兄とずっと一緒にいられると思ったから。

そして思い付きを兄に聞いた理由。子犬自身、自分の力を把握しきれていない所がある。けれど兄は子犬の力で何が出来るのか、子犬以上に理解していると思っていた。だからその使い道についてきっと良い知恵を出してくれる。そう思った。


子犬は期待するような目で兄を見る。

「兄いはそう言うの考えるの上手いと思うから」

兄はずっと子犬の変化を見守って来たし、子犬を拾った時から、見た目から想像も付かない力を持っている子犬に付いて考えを重ねて来た。兄の答えをわくわくとした顔で待つ子犬を撫でて、「そうだな」といつもの低く落ち着いた声で言った。

「国の為、みんなの為にお前の力を使うとしたなら。お前は英雄と呼ばれる存在になるだろうな」

「英雄?」

思ってみなかった答えにきょとんとして聞き返す。

「歌や昔話に出てくるような?」

「そうだ」

子犬は炉端でみんなと聞いた歌や兄が語ってくれた寝物語を思い浮かべる。


類稀なる能力を持ち英雄と称えられた者達は華々しい活躍をして、語り継がれる伝説をいくつも作って、それからは?黄昏の空に掛かる星となり、世界の終わりまで一人この世を見守る者。長い旅路の果てに恋しい故郷に帰る事の叶わなかった者。かつて共に戦った親友と最期には命の奪い合いをしなければならなかった者。


子犬は居心地悪そうにもぞもぞと座り直して、兄を見上げて困ったように言う。

「そう言うのになりたいんじゃないんだけど」

「だろうね」

ふふ、と兄は笑う。笑ってから静かに子犬に言い聞かせた。

「でもお前の力にはそう言う可能性がある。英雄にはなりたくてなれるものでは無いし、なりたくないからと言って逃れられるものでもない。自身が望むと望まざるとに関わらず、為すべき事を為すだけなんだよ」

子犬は首を横に振った。

「そう言うの、向いてないと思う」

「うん。俺もそう思うな」

「じゃあどうしよう。今までのままが良いのかな」

子犬はそれならそれで構わないと思った。兄が言うのなら尚の事だ。ただ折角の思い付きが萎んでしまったので肩を落とす。兄は気落ちした子犬を膝に抱き抱えて、赤い髪を指で梳くように撫でた。

「みんなの為にと言う思いは大事だよ。お前がそう考えてくれて俺は嬉しいな」

子犬は「ん」と小さく答える。

「だけどもし、お前が持つ力を本気で使う事があるなら。その必要があるなら、誰か一人の為が良い」

誰か一人と言われて、子犬は兄の為にと思う。けれど子犬の頭でいくら考えてみても、兄が子犬の力を必要とする場面を想像出来なかった。兄でないのならその一人は一体誰になるんだろう、と子犬は首を傾げる。もう知っている人かも知れないし、これから出会うのかも知れない。いつになるのかも分からない。けれど兄がそう言うならば、いつかそんな時が来るのだろうと思った。子犬は自分の力の事は、単なる生まれ付きのもの、誰もが持つ個性の一部に過ぎないと捉えていたから、約束された意味があるとは考えてもいなかった。けれどたった一人の誰かの為かも知れないと初めて思う。ぼんやりと、けれど確かに子犬の世界が広がって、かつて想像もしなかった遠い先への道筋が示された気がした。


新しい考えを抱きながら子犬は段々と眠くなる。けれど英雄と言う言葉が引っかかっていた。自分でさえその可能性があるのなら、兄はもっとそれに近いはずだった。ただ子犬は兄にそうなって欲しいとは思えなかった。なって欲しくはないけれど、英雄とは自身の意思によるものでは無いと兄は言う。子犬は眠気で重くなってきた頭を上げて、じっと兄を見つめて聞いた。

「兄いは、英雄になりたいと思う?」

兄は少し目を伏せて、それから子犬に笑いかけて答えた。

「その時には、なってみるよ」

その言葉に兄を信じる思いを強くして子犬は頷く。

「もし、兄いが英雄になったら」

子犬はうとうとして兄の胸元にもたれた。

「どんな物語にも、語られた事がない英雄になると思う」

そう言って目を閉じた子犬を兄は静かに布団に横たえる。

「お前が言うなら、そうなってみせるよ」

穏やかに寝息を立て始めた子犬に向けて兄は優しく微笑んだ。



後に。

兄は一度だけ、子犬が放たれた赤い矢の様に全力で駆ける姿を見る。

2021.04.14 脱字等一部修正。

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