子犬が新しい仕事を始める話
子供達は働く年頃になると大体は親の仕事を手伝い始めて、大方そのまま同じ仕事を受け継ぐ。子犬は今、兄の仕事を手伝っている。だから将来は兄と同じ仕事をするだろうと、周囲の人達は何となくそう思っていた。兄は誰よりも目が良くまた成長が早かったので、子犬の年頃には見回りや放牧の為に国境まで遠出に出ていた。けれどそれは例外的で、当然子犬にはまだ早い。でもいずれは子犬も遠出に出るだろう。子犬の足の速さも腕力も大人以上なのは周知の事だったから、その時はきっと良く務めるだろうと思われていた。
この国での職業はお針子のような職人や先生のような専門職もあるけれど、城壁の見回りや見張り塔の番など一部の仕事は交代制だった。放牧地も季節毎に変わるので構成要員が変わる。この町を治める屋敷の人達がその都度相談をして決めていた。子犬と兄の城壁の見回りも交代の時期になった。順番を代わってもらってもう少し続けても良いし、日帰り出来る放牧地に出ても良いけれど、子犬は新しい事を覚えたかった。兄と子犬は、幼馴染と親父殿に相談に行く。幼馴染は腰に手を当てて考える。
「そうだなあ。屋敷の中の仕事をやるかい?うちのお使い事はどうだろう」
屋敷のお使い事は他の村へ行く場合は大人の仕事だけれど、町の中ならば子犬と同じ年頃の子供達も行く。大体は屋敷の働き手の子供がやっていた。けれどそれは兄の仕事の手伝いではなくて子犬自身の仕事になる。だから子犬は一人でお使いに行く事になる。
「やります」
子犬は緊張しながら、けれどしっかりと応えた。
子犬が一人で屋敷の使いを始めるので、兄は屋敷の執務等の手伝いをする事になった。
新しい仕事を始める日、子犬と兄は幼馴染の所に行く。
「よし、手伝ってもらおうか」
幼馴染は椅子に腰掛けて笑いながら、ちょっと偉そうに言ってみせる。そこに幼馴染の兄弟が顔を出して兄に言った。
「また手伝ってくれるんだってね。それならこっちも頼むよ」
幼馴染は、こっちが終わったら回すよ、と兄弟を追い返す。それから子犬に早速だけど、とお使いを頼んだ。
「今日はずっとこの部屋にいるから、終わったらここに来ておくれ」
兄も、ここで待ってるよ、と笑う。子犬は幼馴染にもいいところを見せたいと思った。
「すぐ戻るよ」
と、部屋から飛び出していく。
「そんなに急がなくて大丈夫だよ」
子犬の後ろ姿に兄が声を掛ける。
「聞こえてるかな」
笑いながら幼馴染が言った。
子犬は屋敷の勝手口に立って、一人だけで屋敷を出るのは初めてだったなと思う。でも兄が待っているから大丈夫。兄と一緒に歩いたから、町の中ならどんな小さな通りも、猫の通り道だって知っている。だから一人で行って帰って来れる。深呼吸をして、傾斜のある曲がりくねった道を駆け出した。
子犬を見送ってから、兄が幼馴染に聞く。
「どの位で戻ってくると思う?」
「あの子、足が速いしな。ここまで終わる位かな?」
幼馴染は仕事の山の上の方を少し摘んで見せる。
「俺はそれより早いと思う」
そう言って兄は笑う。
幼馴染は主に町の中の事を受け持っている。兄弟達は他の村の事や、遠出に関わる事を担当していた。先程兄に声を掛けて来たのはその辺りの話をしたかったらしい。幼馴染が面白くなさそうに言った。
「親父殿がさ。良い羊飼いには良い牧羊犬が必要だとか言うんだよな」
「成る程、牧羊犬か」
兄はその例えを聞いて笑う。それから幼馴染を真っ直ぐ見て言った。
「俺に教えられる事は全部あいつに教えるよ。その許可も貰っている。でも何になるかは、あいつ自身に決めて欲しいんだ」
「うん」
幼馴染は兄自身もそうあって欲しいと思いながら頷いた。
子犬が戻るまでに終わらせるはずの仕事が大して進まない内に、廊下の向こうから飛ぶような足音がして、開けたままだったドアから子犬が部屋に飛び込んで来た。
「ただいま!」
「おう、お帰り。いや、めちゃくちゃ速いな」
幼馴染が目を丸くする。
「ちゃんと、行って来たよ」
子犬はこれ位で息が切れたりしないけれど、心臓は緊張でどきどき言っている。
「分かってるよ、ご苦労様」
「うん、ご苦労だったね」
二人から労われて、子犬は目元と頬を少し赤くして笑う。
その日の夕べの憩いの時間。いつものように屋敷の広間や庭には人々が三々五々集まって、談笑したり和やかに過ごす。子犬も好きな時間だけれど今日は早目に部屋に戻って兄に甘えたい所だった。兄の後を付いて庭に出ると、昼間お使いの途中に会った町の子供達が話し掛けて来た。
「今日はせっかく誘ったのにさ」
「だってお使いの途中だったから」
「次は寄って来なよ」
「あれまたやって見せてよ」
「今日こいつ、すごい事したんだよ」
女の子の一人が兄に言う。
「どんな事?」
「屋根から屋根に飛んでってね」
「それに足すごく速いし」
それはすごいね、と兄も笑う。子犬は友達にはしゃがれて悪い気はしないけれど、屋根を飛ぶのはちょっとやり過ぎたと思っていたので困ったように笑った。
部屋に戻ると兄はいつものように膝の上に子犬を乗せて、屋根を飛んだ時にそこの家の人を驚いてなかったか尋ねた。子犬は小さな声になって、多分、屋根とか壊してないし、と応える。けれど正直な所、中の人の事まで気が回っていなかった。兄は笑って子犬の頭を撫でる。
「そこは心配してないよ。でも屋根を借りた家の人に挨拶はしておこうか」
次の日に子犬が兄と一緒に訪ねてみると、当の家の住人は屋根を通り道にされた事に気付いていなかった。
「そう言えば、猫にしちゃ大きな音だと思ったけど」
「ここらで一番でっかい生姜猫が通ったのかと思ったら」
どの家でも驚かれたけれど、少しも構わないよと笑ってくれた。
並んで歩く帰り道、兄が子犬に言う。
「友達に誘われたなら、少しくらい寄り道して良いんだよ」
「そんなの良いの?」
「急ぎじゃなければそう言うもんだ。俺もよくしていたよ」
兄は悪戯そうに笑う。子犬は別に寄り道はいけないと思ったのではなく、兄の所に一瞬でも早く戻りたくて真っ直ぐに、人の家の屋根を越えてまで一直線に屋敷に戻っただけだった。けれど友達の遊びの誘いに全く誘惑を感じなかった訳では無かった。子犬は、んん、うん、と曖昧に頷きながら、
「そう言うもんかな」
と言った。




