子犬が寝惚けてうなされる話
兄の隣で眠る子犬がうなされている。兄が腕の下を見ると、子犬はさっき同じとても無理のある体勢で寝ている。
今夜は書き物をしたかったので、もう眠そうな子犬に先に休んでいる様に言った。子犬は、眠いのと撫でてもらえないまでもくっ付いていたいのと兄の邪魔をしたくない気持ちの間で悩んだ結果、兄の隣で丸まって肘置きになる事にした。兄は、肘置きになるのは構わないけれどそんな姿勢で、と思っていたら案の定無理があった様だ。
頬に触れると、子犬は小さく変な声を上げて目を覚ました。涙で滲んだ目で数回瞬きして、頰を撫でられてるのに気付いて兄の顔を見て、夢か、と呟く。
「何の夢を見たんだ?」
兄が笑いながら子犬を撫でて聞くと、子犬はもぞもぞと姿勢を直して椅子に座って、ぼんやりしたまま説明する。
「羊がいっぱいいて。羊どんどん寄って来て。横からも前からも突っ込んで来て、上からも来て、羊が何段も積み重なって城壁の石積みみたいになって、挟まれて動けなくて揉みくちゃにされる夢」
「疲れる夢を見たね」
「うん」
子犬は頬に椅子の角の跡を付けて、眠そうに頭を傾げている。兄はそんな子犬を抱き上げると寝床に運ぶ。子犬は兄の腕の中で不満げに小さく唸る。けれど体を伸ばして寝床に入れられると、あっさりといつもの様に寝かし付けられてしまった。
素直だな、と兄は可笑しそうに声を立てずに笑う。子犬の寝顔を見ながら、いつも心の片隅にあって、けれど表には出さずにいる事を思った。出会う前の子犬の記憶の事だった。
子犬は兄と出会う前、独りぼっちだった頃と独りぼっちになる前の事を、未だに一言も話さなかった。生まれ故郷の言葉一つ口にした事が無かった。
記憶を失っていて話せないのかと考えた事もある。もし記憶が無いのなら、それに対する不安を抱えているはずだった。けれどそんな様子は無かった。
弟にした時から子犬は人懐っこい性格をしていた。尋常ならざる力を持っているのに、不思議とそれを特別だと思っていなかった。少しばかり人と違う自覚はあるけれど、単に個性の一つと捉えている。秀でていると誇る事も奢る事も、人と異なると卑屈に思う事も無かった。それは子犬が生まれ故郷でありのままに育てられて、それを心と体で覚えているからだろう。だから子犬の過去の記憶が空虚であるはずは無かった。
それ故に過去の記憶が子犬を苛む事は無いのか気掛かりだった。けれど子犬はいつも屈託なく、眠りの中でも過去に苛まれる様子は見られない。ごく稀にうなされているけれど、理由は今回の様に明白で他愛ないものだった。
まだ夢の中でも触れられない程、過去の記憶が深く遠いのだろうと想像するだけだった。無心な寝顔を見つめながら眠りを邪魔しないように、そっと赤い髪を撫でた。




