遠出の者達が帰って来た時の事
子犬と兄はいつもの城壁近くの放牧地に来ていた。季節は少しずつ変わって草の色も濃くなった。小さな花が咲いて羊がそれを好んで食べる。ここがまだ若葉でいっぱいだった頃に街道沿いの街へ遠出の集団が旅立った。もうひと月近く前の事で、そろそろ戻って来る頃だった。子犬はここ何日か放牧地に来ると寝転がって地面を伝わる遠くの音を聞いた。子犬には戻って来る遠出の者達の足音が聞こえていた。
「多分、今日中に帰って来るよ」
それからしばらくして兄は一番遠くにある丘の縁にけし粒の様な影を見た。
「帰って来たね」
子犬は自分にはまだ見えない人影に向かって両手を大きく振った。
「気付いたかな? 」
「まだ気付いてないね」
出迎えに行こうと兄と子犬は羊の群と歩き出した。
およそひと月ぶりに顔を合わせ、子犬は大きくなったなと驚かれて得意げな顔をして、兄は預けた手紙の返事を受け取った。遠出の者達もここまで来れば急ぐ事もないので馬から下りて、道々話をしながら子犬達と一緒に町へ戻った。
町に着くと見張りから帰還を聞いて集まった人達が出迎える。子犬は子供達に囲まれて、道すがら何か面白い話を聞かなかったか口々に尋ねられた。屋敷では労いの席が設けられ、子犬は兄と一緒にその場に参加した。
次の朝。夜更かしをしてまだ眠い子犬は兄と一緒に台所に寄ってから放牧に出る。城壁の外に出て風を受けるとやっと目が覚めた。羊を追って歩く谷の町からの道は丘陵地を越えながら他の村や放牧地へと分かれていく。それから国境へ途切れ途切れに続き、街道は更に遠いと言う。子犬はまだ分かれ道へも行った事が無かったけれど、兄はどの道も迷わず行き来が出来ると言う。
子犬は兄に尋ねる。
「兄いもまたいつか遠出に行くの?」
子供や老人でも務まる小さな羊の群れの世話が、兄が本来やるべき事では無いはずだった。
「そうだね」
にこりと笑って兄は言った。
「お前も行ってみたいか?」
「行く!」
兄の行く所なら何処へでも一緒に行きたかった。だからそう言われて子犬はとても嬉しかった。それに新しい人や景色に出会いたいと思った。期待に胸が高まって、昨日遠出の者達が帰って来た丘の向こうを見る。けれど視線は下がっていって気付くと子犬は自分の足元を見ていた。力が抜ける気がしてしゃがみ込んで膝を抱える。
「兄いと行ってみたい」
小さな呟きだった。兄は子犬の隣に座る。
「一緒に行こう」
そう声を掛けたけれど、返事は微かだった。普段は町の子供達と何も変わらないけれど、ふとした拍子に引っかかる何かが子犬の中にあるのだろう。ゆっくりやれば良い、と兄は思う。俯く子犬の横顔を見つめて優しく話し掛ける。
「一緒に行く為に、お前にやって欲しい事があるよ」
「やって欲しい事?」
子犬は少し首を傾げて兄を見る。
「この国を良く知る事。他の国に行く前に自分達の事を理解しておかなければ」
「…うん」
「本ももう少し読めるように」
「う」
苦い表情をする。
「少しずつで良いよ」
笑いながら頭を撫でて言い添える。子犬はもっと撫でてと言うようにその手に頭をすり寄せた。
「やってくれるか?」
「うん」
子犬は顔を上げてはっきりと答えた。




