第一話 レッドカラー
夏休みが始まる直前。暑さのあまり人影もまばらな道場で、少年が一人、黙々と竹刀を振るっていた。竹刀の切っ先は先ほどから寸分たがわぬ直線を描き、心地よい風切り音を響かせる。同時に踏み込む足も、板敷きの床を気迫とともに激しく揺らす。その動きは流麗で、隙も無駄もほとんどない。少年の実力は相当な物のようだ。
だが、そんな少年を見ている何人かの門下生の視線は、決して尊敬の意味合いなど含んではいなかった。憐れみとかすかな侮蔑。彼らの視線に含まれる感情はほとんどそれだけである。なぜならこの少年がどれだけ努力しようと、どれだけ強くなろうと、活躍の場が与えられることなどないのだ。この少年はレッドカラーなのだから。
レッドカラー、それは能力者たちの通称。
この言葉は一般人たちにとってはさほど意味を持たない。能力者といっても僅かばかりの力が使えるだけで、さほど脅威でもなんでもないからだ。超能力による攻撃などを心配するより、車にでも注意していた方がよっぽど生産的である。ゆえに、能力者たちはさほど尊敬もされない代わりに差別されることもない。せいぜい片田舎に来た外国人といった程度の扱いを受けるだけ。若干の疎外感を感じるものの、許容範囲である。
だが、スポーツの世界においてレッドカラーはきわめて大きな意味を持つ言葉だ。わずかな力の差が勝負を決する世界においては、能力者の持つ能力は無視することができない。なので能力者は、すべてのスポーツにおいて公式試合には出場禁止。これがレッドカラーという言葉がスポーツの世界で持つ意味だ。
少年こと柏木直人は、将来を約束された剣士だった。彼は優れた目を持っていて、相手の動きが非常に良く見えたのだ。そのため試合では連戦連勝、負けなしの剣士と言われていた。このまま成長していけば全国大会で優勝することも、果ては世界の頂点に立つことさえもできるだろうとも。
しかし、十四歳の冬。定期検査でその目は加速眼と呼ばれる超能力だったことが判明した。
それからというもの、直人の生活は変わった。手にした賞状やトロフィーはもちろんのこと、段位すらも奪われた。周囲の人々から賞賛を受けることはなくなり、それに代わって憐れみと侮蔑が浴びせられるようになった。努力が認められる機会はほとんどすべて消えて、むなしい練習の日々だけが残った。
だが直人は剣道をやめなかった。剣を振るうのが好きだから、ただ単純にそれだけの理由だ。
そうして少年は今日も、奇妙な視線を浴びせられつつ道場で修練に励む。たとえそれが報われない努力だと知っていても――。
夕方、生ぬるい風が僅かながらも冷たさを帯びてきたころ。ようやく直人は竹刀を振るのをやめた。彼は渇いたのどを潤すべく水筒を取りに向かう。夕陽に影を差しながら、彼は道場の隅に置いた荷物へと歩く。その時、彼の頬に不意に冷たいものが当たった。
「久しぶりだな、直人」
直人がビックリして後ろを振り返ると、そこにはペットボトルを突き出している少女がいた。濡れたような長い黒髪に、切れ長で涼やかな印象の目元。細めの唇は少し薄く、全体として凛々しい顔をした少女だ。その顔を見ると、直人ははっとしたような顔をする。
「環? 何か月ぶりだ?」
「まだひと月ってとこだろう。道場で会うのは中学以来だがな」
「そっか、まだそれぐらいか」
環というのは直人の幼馴染の少女だ。家も近所で、直人とはこの道場でともに修練に励んでいた仲である。加えて、彼女もまたレッドカラーの一人であった。能力名は電磁誘導。乾電池ほどの電流を操ることしかできない能力だ。しかし、能力が弱くとも能力者は能力者。直人と同じく剣道の公式試合には一切の出場が禁止されていて、彼にとってはある種の仲間ともいえる存在である。
だが、環は直人とは違った。彼女はレッドカラーだと判明するとすぐに道場を辞めてしまったのだ。それ以来、二人は何となく気まずい雰囲気になって疎遠になった。中学までは毎日お互いの家に遊びに行ったりしていたのが、高校生の今では月に一度会えばいい方である。
そんな環が、なぜ直人に会いに来たのだろうか。しかも二人にとってはタブーとも言える場所であるこの道場へ。直人はスッと眼を細め、環を睨んだ。すると環は、その揺れんばかりの胸元から一枚のカードのようなものを取り出す。
「フフッ、今日はこれを直人に届けに来た」
「なんだこれ? ……って、これどうやって手に入れたんだよ!」
カードにはEL-Onlineのテスター当選通知と書かれていた。直人はそれを見て眼を丸くする。めったに手に入るものではない。
「二人分応募して置いたら見事に当たってたんだ。どうだ、一緒にプレイしないか?」
ニヤッと笑う環。その顔は自信満々だ。それもそうだろう、直人ぐらいの年頃の人間たちにはあこがれのテスター当選通知なのだ。だがそれに対して、直人は少々申し訳なさそうに顔を下に向けた。彼の唇が薄く開かれ、ぼそぼそと言葉が紡がれる。
「ごめん、せっかくだけどやめとく。お前一人で楽しんでこいよ」
「つれないなあ、こーんな美少女が誘ってるっていうのに」
「……お前、見た目は最高だけど中身は半分男じゃないか」
シャツが裂けそうなほど膨らんだ胸を寄せて色っぽい顔をした環を、直人は斬って捨てた。女や胸に興味はある……というより両方とも大好きな直人だが、環は別だ。そのガサツすぎる本性を彼は知りすぎていた。もっとも、環が本気だというなら相手をすることもやぶさかではないだろうが。
「くッ、相変わらず失礼な奴だ。こう見えて私はモテモテなんだぞ? ……まあ、そんなことは置いといて。EL-Onlineでは刀を使って戦うこともできるんだが、それでも嫌か?」
「…………!!」
薄くなっていた直人の眼が見開かれた。彼は環の手から驚異的な動作でカードを奪い取ると、食い入るように見つめる。その表情は、どこか虚無感の漂っていた先ほどまでとは違って、活力に満ちていた。そう、まだ能力者だと告げられる以前の彼のように。
「ククッ……」
彼の口から、かすかに音が漏れた。その空気音は段々と大きくなっていく。そして――
「……ハハハッ、わかった! EL-Onlineをやるぞ!」
少年の叫びが、人気のない道場にこだました――。




