第5話:まさかの理解者と、秘書のひみつレシピ
「よし、今夜は何にするかな……」
デスクの片付けを終え、心の中で今夜の「ズボラ飯計画」を練りながらコートに手を伸ばした、まさにその時だった。
「さ、佐藤さんっ……!」
切羽詰まったような小走りとともに、声が聞こえた。
振り返ると、そこにいたのは秘書課の天井さん——天井美鈴さんだった。
小さめの小柄な体に、少し大きめのスーツ。いつもどこか「ほわぁん」とした柔らかい空気を纏っている彼女だが、今は珍しく顔を真っ赤にして焦っている。
天井美鈴。
初めて名前を聞いたとき、心の中で「漫画のヒロインみたいな名前だな」と思ったのを覚えている。砂糖(佐藤)と甘いみりん。なんとも妙な縁だ。
「天井さん? どうかしましたか、そんなに焦って」
「あ、あの……! 先日、佐藤さんにお渡しした月次報告書の書類の中にっ……私的な、すっごく大事な書類を間違えて挟み込んでしまいまして……っ! 本当に申し訳ありません!」
深々と頭を下げる彼女の頭頂部を見つめながら、佐藤はフッと好々爺のような笑みを浮かべた。
「なんだ、そんなことですか。だったらその書類、明日持ってくるから大丈夫ですよ。まだ鞄から出してもいませんし、見てませんから」
「さ、佐藤さん……! 私的な書類なもので、できれば……その、できれば今すぐ確認したく、私が佐藤さんのお宅にお伺いして……っ!」
「えっ、家ですか?」
流石に面食らった。
職場では「スマートなイケオジ」で通っている佐藤だが、自宅はハゲかけたテフロンのフライパンと缶チューハイ転がる、完全な「佐藤王国」だ。職場の女性、それも秘書課の人間を連れ込むような場所ではない。
しかし、天井さんは「お願いします……本当に大事なもので……!」と半べそをかきそうな目で訴えかけてくる。
「……はぁ、分かりました。じゃあ、家に着いたら探して……いや、玄関口で書類だけお渡ししますから」
数十分後。
佐藤の自宅アパートの玄関。
靴を脱ぎ、鞄の中から先ほど受け取った書類の束を取り出す。
「どれですか?」と尋ねる前に、パラッとめくられた書類の間から一枚のルーズリーフが滑り落ちた。
「あっ……!」
天井さんが小さく悲鳴をあげる。
佐藤は反射的にそれを拾い上げた。
手書きの丸っこい文字で、ぎっしりと書かれたタイトルが目に飛び込んでくる。
『究極のズボラ! 納豆とじゃがりこで作る・お湯注ぐだけ超絶とろとろマッシュポテト風』
『爆速! もやしを袋のままレンジでチンして焼き肉のタレとマヨで和える奴』
「……ん?」
佐藤の動きがピタリと止まった。
手元にあるのは、間違いなく狂気と情熱に満ちあふれた「ズボラ飯レシピ」のメモだった。
「あ、あわわわ……! 見ないでくださいぃぃっ!」
天井さんは顔をリンゴのように真っ赤にして、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
いつも職場で「おっとりして上品な秘書」として通っている彼女の、まさかすぎる裏の顔。
佐藤は呆然とメモを見つめ、それからしゃがみ込む小さな肩を見下ろした。
(まさか……この子も、“こっち側”の人間なのか……?)
驚きは、一瞬で深い親近感と親愛の情へと変わった。
「天井さん」
「……はいぃ(消え入りそうな声)」
佐藤は口元にニヤリと、今日一番の「悪魔的で自由な笑み」を浮かべた。
「……これ、『じゃがりこ』はチーズ味が一番美味いんじゃないですか?」
しゃがみ込んでいた天井さんが、ハッと顔を上げた。
まん丸く見開かれた彼女の目と、佐藤の目がしっかりと合わさった。
職場では決して誰にも見せない、ズボラ飯を愛する二人の「極秘の同盟」が結ばれた瞬間だった。




