第4話:魚肉ソーセージをバター醤油で焦がす至福
「佐藤さん、このあと少しお時間ありませんか? みんなで飲みに行こうって話になってて……佐藤さんも是非!」
夕方、社内のチャットツールで後輩の女性社員からそんなお誘いが届いた。
佐藤は画面を見つめたまま、フッと小さく息を吐く。
職場での佐藤は、常にパリッとしたシャツに身を包み、どんなトラブルにも眉一つ動かさず対処する「頼れるベテラン」。巷で言うところの“イケオジ”なんてカテゴリに括られているらしいことも、うっすら耳には入っていた。
だが、本人にしてみれば冗談じゃない。
職場でのスマートな立ち振る舞いは、単にプロとして張り詰めた緊張感の中で仕事を処理している結果に過ぎない。周りが勝手に理想の大人像を投影しているだけだ。
本当の俺は、もっと身勝手で、もっとズボラで、欲深い。
(すまんが、俺には今夜、どうしても譲れない先約があるんだ)
「ごめんなさい、今夜は先客(?)がありまして。また声かけてください」
角の立たない返信を素早く打ち込み、PCをシャットダウンする。
職場の華やかな飲み会? 女子社員との楽しげな会話?
魅力的かもしれないが、今の佐藤にとっては「自分の時間」と「深夜のズボラ飯」の価値には遠く及ばない。
腹が減った。一刻も早く、俺の王国へ帰ろう。
静かな我が家に帰り着くと、いつものようにネクタイを緩め、ジャケットを脱ぎ捨てる。
ピンと張っていた背筋がフッと緩み、無精髭の生えた「ただの55歳のオッサン」へと戻っていく。
「さて……今夜の『先客』を待たせるわけにはいかんからな」
冷蔵庫を開け、ドアポケットに転がっていたピンク色の棒を取り出す。
昭和の生き残り、魚肉ソーセージ。一本数十円のチープな食材だ。
「今夜は『魚肉ソーセージの厚切り焦がしバター醤油』だ」
今夜は包丁なんて使わない。
フィルムをペリペリと剥がすと、ソーセージを手でダイナミックに斜め厚切りへと「ちぎって」いく。
「ふふ、包丁でキレイに切っちゃダメなんだよ。断面を凹凸に手でちぎるからこそ、バターと醤油がよく絡む」
ハゲかけたテフロンのフライパンを火にかけ、バターを10グラム、ドカッと投入する。
ジワジワと溶けたバターから甘い香りが立ち上り、そこへちぎった魚肉ソーセージを投入。
チリチリ、ジリジリ……
木べらで転がしながら、表面にしっかりとカリッとした焼き色をつけていく。安っぽいピンク色だったソーセージが、バターの衣を纏って狐色に化けていく。
仕上げに、醤油をフライパンの縁から一回し。
ジュワァァァッ!!
激しい音とともに、焦がしバター醤油の香ばしい煙が爆発的に立ち上り、狭い台所を一瞬で支配した。仕上げに粗挽き黒胡椒をバサバサと、過剰なまでに振りかける。
「よし……化けたな、ギョニソ」
お気に入りのグラスに、氷をカランと音を立てて入れ、ウィスキーを炭酸水で割った自家製ハイボールを作る。
ローテーブルに、フライパンごとドンと置く。
皿に移す手間すら省いた、熱々の「焦がしバター醤油」。
ハイボールをグビグビと煽り、喉を潤してから、割り箸で一番カリッカリに焦げたソーセージをつまみ、口へ放り込んだ。
「……ッ!! んん〜〜……っ!!」
一口噛んだ瞬間、バターの濃厚なコクと焦げた醤油の香ばしさが口いっぱいに広がる。
手でちぎった香ばしい皮目のサクサク感と、中のむっちりとした歯ごたえ。そこへ黒胡椒のピリッとした刺激が追いかけてきて、チープだったはずの魚肉ソーセージが、高級居酒屋の最高のおつまみへと完全覚醒していた。
すさかずハイボールを流し込む。
シュワシュワッ……
「っはあ〜……美味すぎる。間違いない選択だった」
職場で見せる「スマートなイケオジ」の佐藤が見たら、ハゲかけたフライパンから直接ちぎりソーセージを食らう今の姿に呆れるかもしれない。
だが、誰かの期待に応える必要のないこの空間で、欲望のままにウマいものを喰らう。これ以上の幸せがこの世にあるだろうか。
「飲み会を断って正解だったな……」
佐藤はニヤリと笑うと、口の端についたバターの脂を指で拭い、再び熱々のソーセージに箸を伸び伸びと伸ばした。




